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日本を飛び出し、メディカルイラストレーターとしてのキャリアを切り拓く!アメリカで闘う挑戦者 Vol.2

この記事は、アメリカで働く日本人にインタビューし、彼らの挑戦に迫るシリーズになっています。日本人でありながらアメリカで働くという大きな挑戦をしている方々へのインタビューを通じて、挑戦への向き合い方やそのマインドセット、困難をどう乗り越えてきたのかに迫ることで、この記事を読んでくださっている皆様が一歩踏み出す後押しとなればと思っています。

第2回目は、アメリカの大学院を卒業し、現在はボストンでメディカルイラストレーターとして活躍中のめお(meow)さんにお話を伺います!

第一回「「留学」も「海外就職」も特別なことではない!アメリカ最高峰のPh.D.から電池業界に飛び込んだ研究者のマインドを学ぶ! アメリカで闘う挑戦者 Vol.1」はこちら


なお、めおさんは御自身の経験を生かしたブログも運営されていますので、ぜひこちらもご覧ください!


それではさっそくインタビューを始めていきましょう!!



まずは自己紹介をお願いします!

初めまして!めおと申します。大学院まで日本の学校に通い、生物学を専攻していました。その後、「メディカルイラストレーション」を学ぶために、アメリカの大学院に留学しました。卒業後はアメリカで就職をし、今は独立して自分のデザイン事務所を経営しています。



アメリカ留学を決めたきっかけを教えてください!

きっかけは、大学在学中にメディカルイラストレーションに出会ったことです。この分野について学びたいという思いがあったんですけど、日本では学問的にもキャリア的にもまだまだ発達していませんでした。興味はあるけども、それを追求する手段が日本にはあまり無かったんです。一方で、メディカルイラストレーションを専門として学べる大学院が、アメリカに3校、カナダに1校あったので、ちゃんと勉強するなら留学がほぼ唯一の方法かと思って、留学を決めました

あまりメジャーではない学問を学ぶためにアメリカ留学することは躊躇いもあったんじゃないかと思うのですけど、どうやって乗り越えたんですか?

まずメディカルイラストレーションの市場についてお話しします。医療分野に関するイラストを作るということで、市場がすごく大きいのは分かっていたのですが、日本ではメディカルイラストレーションはあまり発達していませんでした。その理由としては「メディカルイラストレーション」というキャリアが、レールに敷かれた選択肢のうちの一つではないから、というくらいの理由でしかありませんでした。であれば、やってみたらうまくいく可能性が高いんじゃないかと思い、留学を決断しました。そういう意味では、あんまり不安はなくて、成功する条件は揃ってるというふうに思ってました


ただ、先ほど少し触れましたが、「レールを外れる」というのは、日本で生きていく上では大きな障害になると思っていました。みんなが知らない学問を勉強することになるのに加えて、職歴がないままの留学になってしまうので、不安はありました。しかし、メディカルイラストレーションについて、「いつかは絶対やってみたい」と思っていたので、あとはもう「いつやるのか」という問題しか残っていなかったんです。そう考えると、1回働いてから留学するのか、今すぐ留学するのかっていう二択になりました。


今すぐ留学しようと思ったことには2つ理由があって、1つ目は留学準備でした。メディカルイラストレーションは、大学院に入学するための準備が特殊で、ポートフォリオを作る必要があるんですよね。ポートフォリオというのはこれまで作成してきた作品を1つのファイルにまとめた「作品集」で、美術やデザインスキルの履歴書として使われます。入学のために必須とされる美術やデザインスキルを反映した作品をたくさん作るところから始めないといけないんですが、留学を志したときには何の美術教育も受けてない状態だったので、社会人をしながら準備するとものすごく時間がかかるだろうと思っていました。それに対して、当時通っていた大学院の研究室の人達は理解があったので、学生のうちにまとめてやっちゃう方が、成長も早いだろうし、自分の勉強になるだろうと思ったのが、1つ目の理由ですね。


2つ目の理由は、準備に時間をかけている間にタイミングを失う気がしたからです。そういう意味では、「鉄は熱いうちに打て」じゃないですけど、どうせやりたいんだったら、今が一番体力もあるし、今が一番やりたいと思ってるだろうし、っていうので決めました。今すぐ留学した方が、もし全然うまくいかなかった場合のリカバリーが効きやすいと考えたのもあります。



「絶対これをやりたい」と思えるものを見つけることは難しいことだと思うのですが、メディカルイラストレーションをやってみたいと思ったきっかけはありますか?

ぱっと思いついてやりたいなって思ったわけじゃなくて、今までの積み重ねというか。生物学を専攻していたし、昔から物を作るのが好きだったので、年月をかけて積み上がった思いが大きかったです


大学時代、専攻していた生物学が好きだったのですが、卒業後に就職した場合に、生物学と全然関係のない部署に配属される可能性があるというのが自分はすごく疑問に感じていました。また、正規な教育を受けてなかったんですけど、美術全般にすごく興味あったので、美術に携わりたいという気持ちもずっとありました。生物学と美術のどちらか1本でやっていくと考えたときに、あまりユニークな結論には至らないし、競合となる方も多い中で自分がやっていけるのか自信がなかったんですけど、これら2つが合わさったときに「これならできるかもしれない!」という手応えがありました。何年も何年も好きだったので、やりたいという気持ちが薄いとは思わないし、失敗しても何らかの形で関わり続けたいと思っていました。

2年間アメリカに留学されていたと思うのですが、今振り返って留学中に一番印象的だったことは何ですか?

クラスの結束がものすごく固かったので、良い仲間に出会えたことが印象に残っています。卒業してもう5年以上経ってるんですけど、今でもそのネットワークが生きてるので、すごくラッキーだったと思います。当時、留学生は私しかいなくて、もちろんアメリカの人と比べると英語力で後れを取ってたんですけど、クラスメイトに恵まれたので、勉強を一緒にやってくれたりとか、あんまりちゃんと喋れなくても聞いてくれる、何度も説明してくれるっていうのをずっと繰り返す中で、自分がものすごく成長できたと思うんですね。だから、素敵な仲間に出会えたっていうのはすごく大きいなと。



次に就職についてお伺いします。大学院を卒業後アメリカで就職されましたが、アメリカで就職する決断はすぐにできたのですか?

日本に帰る可能性も最初から考えていて、「まずはやってみて、違うと思ったらやめたらいい」と思っていました。メディカルイラストレーションとしての現場経験もなければ、まだまだ学ぶこともたくさんある状態だったので、卒業後ももっとやりたいなって思っていました。そして、世界で一番市場が盛んなのはアメリカなので、アメリカに残ることは結構自明な答えでした。



アメリカで働かれている中で、何か苦労した経験はありますか。

アメリカの職場のカルチャーが日本と全然違うので、それに慣れるのに結構時間がかかりました。例えば、日本では、新卒一括採用が一般的で、同期は全員一緒の給料で始まることがスタンダードなのかなと思います。これに対して、アメリカでは中途採用が多く、不定期で採用されるので、私が入社した部署には同年代の方は1人しかおらず、次に近い年代の人は5歳以上離れていてキャリアも中盤に差し掛かり、子育てと仕事の両立を画策している世代でした。会社内の結束を培う機会がなかったので、どういうふうに自分のことをモチベートしながら働くのかが課題でした。


また、レイオフされるかもしれないという恐怖もずっとありました。日本では終身雇用制度がまだまだ生きていますが、アメリカでは、経営不振による人員削減はよくあることで、私のいた会社も実力主義が強かったので、どうすれば高いパフォーマンスを出せるのかとかをずっと考えてました。



大学院時代にあった結束から一転、会社ではネットワークを作ることがなかなか難しかったということですか?

そうですね。ちょっと残業したり飲み会行ったりしてる間に普段聞かない話を聞いて段々会社のことがわかっていく、みたいなことが全くありませんでした。これはうちの会社だけなのかということも分からなかったので、元クラスメイトに「私はこんな感じなんやけどこれが普通なのかどうか」を聞いたりしていましたね。



アメリカはジョブ型の採用を行っていて、社会人1年目でも社内でのトレーニングがあまり無いイメージなのですが、そういう中で成長のためにしていたことはありますか?

確かにトレーニングプログラムみたいな公式なものは無いんですけど、個人個人のパフォーマンスが上がることは、個人にとっても会社にとっても良いことなので、全部任されるという状態にはなっていません。仕事が忙しくない時期には、「どうすればパフォーマンスが向上するのか」みたいな話を先輩後輩間でしています。


あとは公式にその年の振り返りがあります。会社単位と個人単位の両方で、良い点ともう少し直した方がいい点についてコミュニケーションが行われます。どうやって成功するか、といった話にもなるので、そういう意味では全部自分でやらされるっていう状態ではなかったと思います。



就職後にアメリカで事務所を立ち上げていますが、独立したきっかけを教えてください!

正社員で働きながらずっと副業としてフリーランスの仕事もいただいていて、フリーランスでの収入が正社員での収入と並んだタイミングで独立しました。副業に関しては、会社も許可を出してくれてたし、分野や成果物が競合にならないからという理由で問題ありませんでした。もともと本業だけで食べていけるぐらいの給料は出ていたのですが、本業と副業の収入が並んだことで、フリーランスだけでも食べていけるぐらいの手応えは感じられました。フリーランス初期には何社か就活もしましたが、フリーランスの方が軌道に乗ったので、そのまま続けています。



副業はどのようなきっかけで始めたのでしょうか?

デザイン系の人にありがちな話だと思うんですけど、基本的にみんなポートフォリオを持っていて、ネットで公開してる状態なんですね。というのも、アーティストはやっぱり作品がアイデンティティなので、誰に話すにしても、ぱっと見せられるものがあった方がいいということで、ポートフォリオを持っています。


私も一緒で、ネットに自分の作品を公開していました。そんな中で、私のポートフォリオを見てくださった学術雑誌の編集者の方から、「今こういう論文を出版しようとしてるので、イラスト書いてもらえないか」とLinkedIn経由で連絡をいただいたことがきっかけで、そのお客様と2、3年の付き合いが続きました。こうした取組に力を入れていく中で、お客様が増えてきたという感じです。



継続的な取組の積み重ねで起業に至ったと理解したのですが、フリーランスとして苦労していたことは何かありますか?

プロのフリーランサーとしてどのように振る舞えば良いかよく分からないことが大変でした。会社で働いていると、同僚がたくさんいるので、どういうふうに立ち振る舞えばいいかが、なんとなく分かると思うんですけど、フリーランスの場合、お客様とオンラインで個別にお話しすることが基本なんです。だから、どうすればプロとしての信頼を獲得できるのか、参考になるものが何もありませんでした。お客様や他のフリーランスの方々からいろいろと学ばせていただきましたが、プロとしての振る舞いを学べるような環境を整えるというのが大変でした。


先ほど本業と副業の収入が並んだという話をしましたが、やはり具体的にフリーランスで生計を立てるというイメージが具体的に沸かなかったのも困ったことでした。会社に勤めていると、仕事が途切れることはなく安定していると思うのですが、フリーランスの場合、特に最初のころは仕事が途切れることも多々あり、頭では短期間の閑散期に問題ないことがわかっていても、精神的に不安定になることもありました。実際にフリーランスとして成功している方に説明していただいて、なんとなくフリーランサーとしての生活みたいなのが見えてくるまではちょっと大変でした。



参考になるものがないと大変だと思うのですが、環境を整えるときにどういうことをされてましたか?

他のフリーランスの方にアドバイスを求めることですかね。ネットで検索すれば情報は色々と出てくると思うんですけど、「どういうふうにミーティングをやっているのか」や「どういう流れで仕事を進めているのか」みたいな具体的な内容は、実際に人に聞かないと分からなかったんで。起業も似たようなものだと思うんですが、コンセプトとしては分かるけど実際にどうやってやるのか、どうやってその人と知り合うのか、どういうふうにお願いするのとか、細かいことになってくると、どんどん分からなくなってくると思うので、人に聞くようにしていました。


これはアメリカの特徴なのかもしれないんですけど、ローカルコミュニティが強いので、人と知り合う機会が結構カジュアルにありました。それから、アメリカはお金をかけてスモールビジネスを発展させようとしているので、使えるリソースがかなりあると思います。また、フリーランサーはみんな孤独な時期を経験している方が多い印象があり、手厚く相談に乗っていただきました。あとは、一緒に住んでたルームメイトの1人がフリーランサーだったというのもあって、人に会いやすい・話を聞きやすい環境はあったのかなと思いますね。


独学でできることには限界があると思ってるし、周囲の人に頼らないと、コンフォートゾーンを抜け出したくても抜け出せない状況になっちゃうと思うんですよね。持論なんですけど、常に不安定な状況にいて頑張り続けていることこそが、安定している状態だと思っているんです。だから、コンフォートゾーンに居続けるのは嫌だなって思っているのですが、そこから抜け出すのはやっぱり大変だと思います。コンフォートゾーンに居たいという気持ちもあるし、抜け出したくてもリソースがないという状況になることもあります。やりたい気持ちもあるけど何も変わらないというのが一番しんどいと思います。そういう意味では、人に頼れば、もう少し簡単に困った状態から抜け出せるかもしれないって思えたのは結構プラスと思います



コンフォートゾーンを抜け出して新たな一歩を踏み出すために必要なことは何だと思いますか?

先ほども触れましたが、個人的に自分が指針にしてるのは、「ずっと安定してることは絶対にないから、不安定であるということが唯一の安定である」ということです。あんまり安定しすぎるのは良くないと直感的に思っているので、安定していると焦る気持ちが出てきます。


あとは、自分の判断能力を信じることも必要だと思います。時間は有限なのでやることを選ばないといけないですし、リソースが揃ってない中でやっても意味がないと思っているので、ちゃんと下準備をする。「挑戦」というと、勇気を出して飛び込むことだと思っている人もいるかもしれませんが、個人的には、綿密にいろんなシミュレーションして、いろいろ準備して、全部揃ったら挑戦すればいいと思っているんです。そうなると、飛び込む段階がかなり後に来るんですね。だから、この準備してる間は、別にリスクは取ってないし、どちらかというと少し宿題があるみたいな状態なんで、その状態を成長痛と感じられるかどうかだと思います。


常に不安定な状態しかありえないと考えているからこそ、常に進んでいかないといけないし、そのためには常に準備を怠らない。安定したくないから常にコンフォートゾーンの外に居るようにしていますが、何も安定していないなら、できるだけ楽しいことをやりたいという気持ちもあります。できるだけ楽しいことをやりたいし、できるだけ楽しい状態を維持したいから、そのために今は頑張って下準備するという感じです。



めおさんが次に挑戦しようと思っていることは何ですか?

組織を大きくしたり、もっと大きな仕事を取りたいという気持ちがあります。今、メディカルイラストレーションの知名度が日本でも上がってきており、仕事を依頼したいと言ってくださる方が増えてきているのですが、自分のキャパシティの限界もあり、お断りしなければならないこともあります。だから、もう少し仕事の可能性を広げていくようなことができたらなと思ってます。



今回は、「プロフェッショナルの挑戦Vo.2」として、めおさんのインタビュー記事をご紹介しました。如何だったでしょうか?

当メディアでは、「私も一歩踏み出してみよう」と思える。挑戦者の行動を後押しする記事をご紹介しています。

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