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2021年に書いた記事の振り返り

2021年があっという間に終わろうとしている。

本日はご好評いただいた記事、有料記事をまとめておく。

まず1年間休まず毎日note更新し続けた。

そのために自分なりのコツをこの記事にしたためた。まあ毎日書くことにもデメリットはあるので、来年はどこかで途切れさせるとは思う。

一番読まれた記事は年初に書いたこれだった。

1年ほど前はワクチンの有害事象を過剰に心配する空気がまだまだあったのでこんな記事を書いた。このときとは考え方が変わった部分もある。ある程度は予想されたことだったけど、ワクチンが普及しても自由は戻ってこなかった。だから今は打ちたい人だけ打てばいいやんと思っている。

私自身は2回接種したけど、1回で良かったなあとやや後悔している。


以下は主に有料記事だ。

まず自分の中で区切りをつけるために書いた記事。

経済学の勉强を初めて10年ちょっと経ったので、そのきっかけなどを書いた。

10年を経てどのようなところに辿り着いたかは以下の記事に書いた。

生産性上昇を上回る勢いで、生産する人としない人の割合が後者に偏っていくとどうなるかについて書いている。

時代劇などで領主に大量に年貢を巻き上げられる農民がしばしば描かれるが、今まさにそういうことが起こっているのだ。それは政治的正しさで糊塗されているから一揆などもおこらないのである。

これらを踏まえた上でこれを書いた。

これがこの一年で最も気合いを入れて書いた記事だ。あんまり売れなかったけどね。

自分のgrim determinationを書いたもので、とてもではないが無料にはできなかったのだ。

続編的にこんなのも書いてみた。

これは覚悟と困惑が入り混じっている。というか自己否定に近いことを書いてしまった。

自己否定といえば、その究極は自死だと考えていた。
しかし今年はその考えを少し修正することになった。

それは年齢的に死を先駆することが自然になったせいでもある。

しかし現代においても、死がわずかながら英雄的でありうると信じられるようになったからだ。

なぜなら自分がいなくなった後の未来をよりはっきりと信じられるようになったからだ。

現世だけが全てならば、生きていることが至上命題になり、生きている以外の価値は果てしなく暴落し、ニヒリズムや反出生主義に陥るほかない。

私はもちろん輪廻とか信じていないけど、そのような観念をリアルに必要とした情況は理解できるようになった。なんらかの形で現世の外にあるものを信じられなければ、良く生きる理由などなくなってしまう

自分は歴史の正しい側にいると信じているけど、そうでなければ正気ではないということになるだろう。自分がどちら側なのか生きている間に確認できないだろうが。

おそらく来年もこんな感じで未来を志向して生きていくのだろうと思いながら、年越し蕎麦を準備するのであった。

とりあえず喫緊の課題としては輸入インフレがおこるのかどうかってことが気になるけどね。

これは割と早くに答えがでるかもしれないし、見かけ上のデフレは続いていくのかもしれない。

とまあそんなことよりも、もっと目先のことを考えて生きるべきなのかもしれないね。

そう、家にいろ!とかいう歌を作っておいて、しれっとガッキーと濃厚接触していた星野源のようにね。

我々も彼を見習って、2022年も抜け目なく生きていきましょう。

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はむっち@ケンブリッジ英検
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