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田川建三ほか『はじめて読む聖書』読んだ
先日のこの本があまりにも難解だったので、お口直し的にもっとわかりやすいのも読んだのである。
メインは田川建三氏のインタビューであり、なかなか面白かった。
聖典ではなく文書として聖書を読むのが彼のスタンスであるけど、当たり前だが聖書の矛盾点なども躊躇なく指摘することとなり、護教派からは大変に評判が悪い。
特に近年になり、ギリシャ悲劇のような古典的ギリシャ語ではなく、ローマ帝国期の口語のギリシャ語(コイネー)の文献がたくさん発掘されたこともあり、聖書の読解が一気に進展したという事情があるのだ。
氏はクリスチャンではなく、不可知論的な無神論者であるからそういう読み方になるのは必然である。彼の近いところにいたクリスチャンと知己を得たことがあるのだが、やはりキリスト教関係者には煙たがられていたようだ。
であるから日本の大学で働くことは困難で、ドイツ、フランス、ザイールなどで教鞭をとっていたとのこと。それらのエピソードも普通に笑えるものだった。本人は真剣そのものだっただろうが。
他には内田樹氏のエッセイなんてのもあり、レヴィナスを介して語るユダヤ教、旧約聖書なのだが、2000年以上も全欧州から迫害され、exodusを余儀なくされてきた民族とはなんぞやって話は、あまり考えたこともなかったので新鮮だった。
それから吉本隆明のエッセイもあった。彼は、226のさい戒厳司令部の呼びかけにあった「お前たちの父母兄弟は国賊となるので皆泣いておるぞ」という文言に強い違和感を覚えたという。
それに対してマタイ伝はこうだ。
イエスが人びとに話をしているとき、母や兄弟がやってきて話をしたいと外で待っていても、「わたあしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか」と平然とイエスは言う。親兄弟が泣こうが訴えようが、そんなものは関係ないんだと、そういうことを言っている。「泣いておるぞ」なんて言葉は無効なんだ、そういうことをイエスは言っているわけです。
戒厳令下の公文書に親兄弟が泣いてるぞなんて書いちゃう日本特有の異様さもあるし、イエスの特異性もよくわかるくだりである。
他の人も色々書いているけど、ワロタのは聖書は今で言う自己啓発本じゃないかという指摘である。
聖書は命令調の文章が多くて疲れるのだが、たくさんの人に読まれてきた。意識高い系の本もマナー講師ばりに命令調であるが、よく売れている。
人間は命令されるとうざく感じることもあるし、命令されたがることもある不思議な生き物なのだ(KONAMI)。
という感じで読みやすくて、しかも豆知識をたくさん仕入れることができてよかった。
また最後に読書案内がついているのも大変よい。
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