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良きサマリア人と感染症に弱い社会

ここ数年で何回目かわからないが、またぞろAED論争が巻き起こっている。しかし議論の中心点はゆっくりと着実に動いている。

私はAEDを使用したことで不同意わいせつやら、事務管理における不手際などで訴訟になることなどまずないし、訴訟になったとしても無罪ないし勝訴は間違いないと考えている。

この考えは今も昔も変わらないが、どうもこの社会は無罪推定とか既判力とかどうでもいいと思っているらしく、民事ないし刑事の判決など関係ないようだ。

つまり訴訟で勝つとか負けるとか、あるいは起訴か不起訴かなんてどうでもよくて、女性にAEDを使用して難癖つけられたら社会的にタヒってしまう可能性がある。

にもかかわらずこのウェブ署名は、なんら詳細情報が公表されるよりも前から「不当判決」であることを声高に喧伝し、「疑わしきは罰せず」という刑事司法の原理原則が受け入れられないことを高らかに宣言し、民意おきもちによって判決を覆すよう有形無形の圧力をかけていこうと呼びかけている内容だ。きわめて情緒的というか、もっといえば前近代的な人民裁判を求める野蛮な申し立てにほかならない。
 ……だが、驚くべきことにもうすでに数千万単位のバズを起こし、署名自体も22日時点で9万筆を超えている。

いやあ恐ろしい社会ですな。

これらのツイートの真偽は定かではないが、訴訟にいたらなくても十分めんどくさいし、社会的に死亡するリスクはあると思われる。

こうなると良きサマリア人サマリア人法どころではない。

というか以前から良きサマリア人という考え方には違和感があったのだが、こないだ言語化してくれた方がいた。

ほんこれですわ。なんで善意で助けてあげた人間が、「免責」してもらわなきゃいけないのか。

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労働者の解放を新反動主義、左派加速主義に則って論じる。その過程で生命至上主義、生権力、過剰医療を批判することになるだろう。

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