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AEDは分断を可視化する装置だね
コロナ禍がなんとなく収束に向かう中、またしてもAEDの啓蒙を行うものがいるようだ。コロナの真っ最中なら濃厚接触の極みである心肺蘇生などもってのほかだったわけで、ようやく社会が正常化しつつあるといったところか。けっこうなことだ。
詳しいことは上掲の白饅頭師の記事を見ていただきたい。道端で若い女性が倒れていても、痴漢扱いされたくないからAEDを使用した心肺蘇生(以下CPR)はやりたくないという男性が相当数がいるという問題だ。
そんな男性たちに、配慮をすれば大丈夫、どんどんCPRしよう!と啓蒙()する人々が相変わらずいるらしい。でもそれって、配慮しなかったら大丈夫じゃないと言ってるようなものなので逆効果だ。うっかり訴訟にでもなったらしゃれにならないと心配になる男性が増えるだろう。
もっとも、恥をかくくらいなら死んだほうがましという価値観ならば悪くはないが、「配慮」も救命も両方しろといってるからそんな価値観ではないのだろう。
まあ私自身は、そういう場面に遭遇したらやるだろうね。私もかわいそうランキングが内面化されてしまっているので、若い女性ならなんとか助けたいと思うことだろう。
とはいうものの「配慮」をする余裕があるかどうか自信はない。医療機関においてそれなりの数のCPRやってきた私がそうなのだから、一般人の皆さんは「配慮」する余裕などないと考えて良い。そもそも心拍や呼吸が本当に停止しているか判断することすら難しいだろう。
心肺停止じゃなくて意識を失っているだけなのに、服を脱がしてしまったら、後からなにを言われるかわかったものではない。
それでもやりたい人はやったらよい。もちろんやらなくてもなんら責められることではなかろう。
ところでそんなことで訴えられる確率なんて非常に低いだろうし、ましてや敗訴することなど想像し難い。そんな極めて低い確率の事象を恐れるのって、コロナビビリとなにが違うん?と思う向きもいるだろう。
まず訴訟そのもののめんどくささがある。想像するだけで嫌になる。また善意でやったことが超めんどくさいことになる精神的ダメージもなかなか厳しいものがある。
そして社会的制裁だ。
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