見出し画像

MMTは実物の不足を解決しない


近頃の貨幣のほとんどは電子データにすぎないので、ケツを拭くことすらできない。

100億円じゃなくて、1億ドルでも1億ユーロでもいいが、どういう帰結になるかは明らかだ。労働者と労働者でない者のバランスが歪になった社会は持続しえない。

これは極端な想定ではあるけど、現状の日本社会はこういう方向に向かっているのは明らかである。そのことについては過去に何度か述べているのでくどくどとは書かない。

こういうまずいことになっているのは日本だけでなく、東アジアではありふれている。中国はそのヤバさに気がついて色々と手を打っているが手遅れかもしれない。日本や韓国は曲がりなりにも民主主義国家なので、なにもできないでいる。

そしてModern Monetary Theory(MMT)を正しく理解できていない者たちが、政府が支出すれば解決すると主張している。そりゃ政府は国債をいくらでも発行できるし、なんなら国債など発行しなくてもいくらでもお買い物できる、市場で供給されているものであればね。

古くからMMTを日本に紹介してきたリッキーさんのブログから引用しよう。正しくMMTを理解していればこういう見解になるはずである。

何べんでも強調するが、MMTはそれ自体としては、実際の経済問題を何一つ解決しない
ただ、財政破綻というようなありもしない(あるいは、大いにあり得るが
それは財政引き締めなどによって解決しはしない)問題にかかわずらって
本当の解決すべき問題に向き合う機会を逸してしまうという愚を避けることができる、というだけの話である。年金問題が、単に財源がない、というだけのことであればMMTによって解決できるだろう。
だが金を発行して年金を給付したところで、高齢者に対するサービスを提供する労働者がどこにいるのか、高齢者が消費する資材をだれが提供するのか、こうした問題を解決することは全くできない
ただし、「財源がない」ということを理由に、実際に高齢者に提供する財・サービスを生産する労働者が不足する、という現実的問題から目をそらすことを避けることができるだけだ。

(太字は引用者)

そう、供給が十分にあるが、たんに貨幣が足りていないのであれば、政府が貨幣なり国債なりを発行することで問題は解決する。

しかし、どんどん増えていく高齢者に対して、現役世代がどんどん減っていくという問題に対しては、MMTは無力である。

もちろん貨幣を用いて解決することは可能である。現実に、社会保険料や消費税などで労働者からお金を取り上げて、経済を縮小させれば、介護という楽しくはないし賃金も良くないが、確実に労働需要はある産業に労働者を誘導できる。

こういうことをもう何十年もこの国はやっている。総需要の縮小と可処分所得の減少というスパイラルに見舞われた現役世代は、家庭を持つことは叶わず、さらに少子高齢化を促進することになる。無人島に若者1人と要介護老人は極端すぎる想定だと書いたが、今の方向性を推し進めるなら、ありえない想定でもない。

もちろん、政府は無限に貨幣を発行できるのだから、介護労働の賃金を釣り上げることは可能である。そうすれば、お金を取り上げることなく労働者を誘導できる。

だがことはそう単純ではない。多くの労働者が十分な所得を得たら、みんな幸せでそれは大変良いことであるが、それでおしまいではない。彼らがそのお金を使うということを見落としてはならない

生活必需品に使って余ったお金はどうするのか。貯蓄すれば資産バブルの種になるし、生活必需品やそれに準ずるものをどんどん買うならインフレを招くであろうし、Youtubeとかゲームとかアニメなどに課金するならそれらの産業が繁栄することになる。

個人的には文化とかエンタメが栄えるのは大変けっこうなことだと思う。しかしそういうときはたいてい経済は好調であり、釣り上げられた介護労働の賃金よりも、他の産業の賃金が魅力的になっているであろう。ここで負けじとさらに介護労働の賃金を上げれば(政府は無限に貨幣を発行できるので可能である)、とめどないインフレを招くことになるだろう。

また、そもそもの話として、介護労働に多数の労働者を動員して、全員の生活必需品の生産は間に合うのかという問題があるだろう。これについては、私は左派加速主義者なので、機械化で解決できると思っているが、それにしたって限度があるだろう。これについても生き過ぎると物価上昇を招くと考えるべきだろう。

どれくらいの期間でそのような均衡になるのかはわからないし、どの程度のインフレになるのか想像もつかない。


MMTを正しく理解すればどうなるかの例をもうひとつ挙げよう。MMT主唱者の一人であるステファニー・ケルトンの一般向け書籍である。わかりやすく書いてあるので関心を持った向きにはおすすめしたい一冊だ。

本書の原文ではrealという単語が繰り返し出てくる。これは基本的に実物とか実物的と訳すべきなのだが、残念ながらそうはなっていない。

ケルトンが実物にこだわるのは当然である。貨幣とはなにかを突き詰めていけば、結局は実物が問題なのだという理解に至るからである。貨幣はベールにすぎないと言いながら、いつまでも貨幣から逃れることのできない主流派経済学とは対照的である。

MMTerはしばしば税は財源ではないという。当たり前である。税金そのものがなにかしてくれるわけではない。なにかしてくれるのは、労働者や生産設備である。

だから労働者を痛めつけることをいつまでも続けていていいわけがないと思うのだが、どうもそのことがわかっていないか、あるいはそれでいいと思っている人が多いようだ。

げんなりするが、現実はそのようなものなのでしかたない。現実を受け入れた上で、自分の子孫はうまくやっていけるようにするしかないのである。

いいなと思ったら応援しよう!

はむっち@ケンブリッジ英検
サポートは執筆活動に使わせていただきます。