【日記】チャンピオンズリーグ籤引き/古文漢文不要論争/福原愛さんと共同親権
3月もう半分が終わろうとしている。ようやっと気温も上がってきたように感じる。
さて今日はチャンピオンズリーグとヨーロッパリーグの準々決勝の組み合わせ籤引きであった。
もう強豪しか残っていないので、どう当たっても楽に勝てるカードにはならないし、つまらないカードになることもない。
というわけでアーセナルはバイエルンと対戦することになった。古参のサポの皆さんは良い思い出のある相手ではないようだし、憎きハリー・ケインもいる。でも今のアーセナルなら勝てると思う。まあ負けたとしても楽しめることは間違いあるまい。
あとはレアルとシティ、PSGとバルサ、アトレティコとドルトムント、、、全部見たいなあ。
先日、古文漢文が義務教育ならラテン語ギリシャ語も義務教育にしろと書いてしまったが、ちょっとだけ追記する。
多くの人々が指摘するように古文漢文を学ぶのは、現代日本語を上手く運用できるようになるためだけでなく、健全なナショナリズムを育むためである。
ウクライナは今まさにナショナリズムを形成しつつあるわけだが、ウクライナ語の文学を日本ほど昔までたどることはできない。そのようなことを思えば、古文漢文を不要と切り捨てるのはとてももったいないことである。
まあウクライナなどましなほうであるのは先日、小山(凶)さんが指摘したとおりである。
実際のところは私は、まだナショナリストのつもりだが、古文漢文が苦手である。古事記を読めないのはもちろんのこと、古事記伝すら読めない。
古事記伝の解説書を読むことすら難しい。
私は島崎藤村の『夜明け前』を何度も読み返すくらいには、江戸末期の国学者にシンパシーを感じており、いつか必ず古文を学び日本語の古典を読めるようになりたいと思っていた。
だが今や西洋古典学に傾倒している。
この4年でこの国に失望したからだ。
この国だけではない。東アジアに失望した。
いったい何を守りたいのだろうか、、、
とはいえ、日本語の歴史は面白いので、なんとなく図書館でこんな本を借りてみた。
著者は『日本とは何か――日本語の始源の姿を追った国学者たち』がたいへん好評の今野真二氏である。非常にそそるタイトルであるが、今はこんな本を読む余裕はないので、『図説 日本語の歴史』を手に取ったのだ。
図説というからには画像がたくさんあるのかと思ったら、字がめっちゃ多かった。図も漢字がたくさん詰め込まれた石碑とか巻物がたくさんで意味がよくわかず、すぐに投げ出してしまったのであった。。。
ちなみにこの本はめちゃおもろかったです。おすすめ。
そういえば今日は福原愛さんが長男連れ去り案件について会見された模様。
とりあえずお子さんのために無事和解に至ってよかったと思う。
長男を連れ去った福原愛さんには東京家裁より昨年7月に、長男を夫に返すよう保全命令が出ていた。
しかし福原さんは子供を連れて中国に出国してしまい、強制執行もされなかったという。裁判所に対してこんな舐めた行動を取って、なんのお咎めもないのだろうか。。。
福原さんのような聡明な女性がどうしてこんなおかしな行動を取るのか不思議だったが(チン騎士仕草)、そそのかした人間がいたんだな。
それはさておき、台湾には共同親権の枠組みがあり、それに則った取り決めがされていたので無事解決された。日本の法律に基づく取り決めだったら、普通に実子誘拐が罷り通っていただろう。
実母による子供の殺害に大甘な判決が横行する情況から、多くの人々は日本では子供は母親の所有物とみなされていると判断している。だから母親が実子を誘拐しても、それが犯罪とは考えられていない。
この国のなにを守りたいのかと問われたとき、私はこのような価値観は守りたくないと答える。だがそうではない人が多いみたいだ。
先ほど東アジアに失望したと書いたが、この件に関する限り、台湾は日本の何百万倍もまともであると言わざるをえない。
まあそういうわけで、皆さん良い週末を。