轟孝夫『ハイデガーの哲学』読んだ
ちょっと前に、防衛大学の哲学教授であるところの轟孝夫先生のこの記事がバズっていた。いわゆる「黒いノート」刊行以降、ドイツではハイデガーに触れるのはタブーとなっているが、日本では相変わらず人気という話題である。
日本では、もともとユダヤ人差別など存在しないからか、ハイデガーは変わることなく読まれ続けているのだ。私は読んでないけど。
そういうわけでマルクス・ガブリエルが日本にやってきたさい、老婆親切にも「ハイデガーなんて読むな」と宣ったそうな。
ユダヤ人をさんざん迫害した国の人間が、ユダヤ人差別のない国で御高説を垂れることの滑稽さに失笑を禁じ得なかった。そういうとこやぞ。
現在のドイツではパレスチナ人に苛烈な迫害を加えるイスラエルを批判することができないという。容易に一方向に流れてしまう国は怖いなあ。まあその点は我が国も他所このことを言えないのだが。
ひとつ言えることは、ドイツにせよ日本にせよ、世の中が一方的な流れになったときに物申すのが人文知じゃないのかってことである。
この記事が出るちょっと前に、轟先生が参加されている某読書会に、私も隅っこのほうで混ざっている関係で、お会いする機会があったのである。
その時におすすめしてもらったのがこの本なのである。
轟先生はたくさん著書を出しておられて、その中から推挙されたのであるから、当然に面白かったのだ。めちゃくちゃおもろかったわこれ。
ちなみに本書は、轟先生の『存在と時間』の解説書がよく売れたために、では後期ハイデガーについてもみんな読みたいだろうと思って出版されたものである。しかしあまり売れなかったとのこと。。。
ほとんどの人間は存在と時間しか興味ないらしい。
そんなわけで飲茶さんの新著もまた売れているようだ。
次はこれを読んでみよう。
さて、以下は『ハイデガーの哲学』についての覚書である。
ハイデガーが1899年メスキルヒに生まれた。1870年第1バチカン公会議にて、ピウス9世の唱えた教皇不可謬説の影響がまだあった時代である。メスキルヒは南ドイツ、カトリックが比較的強い地域らしい。ちなみに、西田幾多郎生誕の地である石川県かほく市と姉妹都市みたい。
それはさておき、ピウス9世に反発した「古カトリック教会」の信徒と、ローマ派に分かれて対立していた。
雑に分類すると、後者は保守、前者は近代主義である。
ハイデガーの父は後者であり、古カトリック教会に弾圧された。
当時の首相ビスマルクのカトリック弾圧政策に即応したのが、古カトリック教会であった。今風にいえば、古カトリックがポリコレだったようだ。
ハイデガーは父のような古いタイプのカトリック(ローマ派)だったのであり、カトリックから離れても、近代批判を続けたのはその影響があったのかもしれない。
ハイデガーの近代批判は、「主体性の形而上学」批判である。主体性の形而上学とは、おそらく自然(ピュシス)から乖離したものくらいの感じだろうか。ピュシスとは、地盤とかフォルクと類似した概念だろう。
そして、主体性の形而上学とは、ヘブライズム、つまりユダヤ=キリスト教的なものであり、ここにハイデガーの危うさがあるわけだ。
ハイデルベルク大学学長に就任したころ、よく知られているようにナチスに接近した。フォルク概念などのハイデガー自身の思想と親しいものがあったからだが、本質的には合わないところもあると思っていたらしい。
それでも、ナチスやドイツ学生団を、正しい方向へ導けると信じていたようだ。
だが早々に失望して距離を置くようになる。
そして敗戦を迎えたのだが、ハイデガーはナチスに対するスタンスをほぼ変えなかったのである。そりゃそうだ、戦前からその胡散臭さ、近代っぽさ、主体性の形而上学に気づいていたからである。
だが周囲が変わってしまった。近代っぽい胡散臭さそのものだった連中は、ナチスという意匠をばっさり切り捨てて、別の胡散臭いものを纏ったのである。
そうするとハイデガーは、ナチス批判をする人々に批判的という、非常に政治的に正しくない立場になってしまった。これが没後も、というか没後いっそう、ドイツ国内で批判されている要因である。
この辺の事情を史料に基づいて丁寧に解説しているのが、本書の痛快さである。切れ味が良すぎて怪しんでしまうくらいである。
もちろん、上述の『黒いノート』にも深く突っ込んでいる。そんなことはドイツ本国では不可能なのであって、日本人でよかったなあと思うのであった。
著者は指摘しないが、胡散臭い連中が衣替えしたところで胡散臭いままってのは日本も同じだよね。戦前を捨てた連中が、戦前と同じことをしている。
そのリバイバルがコロナ騒動だった。ウイルスや人間の命をどうにかできると思い上がった全体主義者たちをたくさん見た。
今のドイツのパレスチナ差別も似たようなものだろう。