ケアワークが市場から消えないために
だいぶ前に読んだnoteをふとしたことで再度読み直す機会があった。大事なことがまとまっていてとても良い。
簡単に言ってしまえば、豊かで格差の少ない社会ではケアワーク、つまり家内労働の外注は難しくなるということである。
少し話は変わるが、20年以上デフレが続いているとされる日本でさえも、デフレーションは過小評価されているのではないかとずっと考えていた。それはラスパイレス指数の上方バイアスとかじゃなくて、もっと根本的な問題であり説明が難しい。
しかしその一方で、インフレーションが過小評価されている可能性もあるのではないかと考えるようにもなった。一般物価が低空飛行で安定していても、一部のサービス、ある種の人々にとっては生存に不可欠なサービスが高騰いてはいないか。そう、上掲記事で指摘されているバラッサ=サミュエルソン効果によって。
もちろん一般物価は低位安定なので、全体としてはインフレではない。都心の高級料理店の単価がうなぎのぼりでも、庶民にとっては関係ないみたいな。しかし高級料理店が値上がりしてもわりとどうでもいいが、ケアワークのようなある種の人々にとってエッセンシャルなサービスで、インフレ圧力が高まっているとしたらどうなるか。
貨幣とはなにか、物価の下落、上昇とはいかなる事態か、ここ10年ほどずっと考えてきたが、後者のインフレの過小評価について気がついたのは二年ほど前だった。そう、コロナ禍が始まる前だ。
その頃から、似たような問題意識を持つ人が増えて、上掲記事はその中でも最も読み応えのあるものだ。
そしてコロナ禍によりそうした問題意識はより鮮明となった。先鋭化とか、狂人化ともいうのかもしれない。
一部サービスのインフレを抑えるためにはバラッサ=サミュエルソン効果の逆をすればいい。社会全体の生産性を下げるのだ。それは需要を抑え込むことによって達成されているように思われる。
生産年齢人口が減っているのだから需要を抑え込んで、ケアワークへの労働供給を増やさなくてはいけない。需要を抑え込まれたら他の産業は労働需要が減る。
オリンピックなど論外であろう。あれだけ大規模なイベントがあれば、関連する産業に大量の雇用が発生する。生産年齢人口が減っているのに、「不要不急」の産業に労働力をとられるなどということはあってはならないのだ。
また、前にも述べたように、消費税や社会保険料を釣り上げるのも大変有効である。財布から金を抜かれたら、「不要不急」の支出から絞っていくであろう。
残念ながら左派の皆さんの好きな富裕層課税は役に立たない。富裕層からお金を少しばかり取り上げたら、彼らは貯金額を減らしたり、高級料理店へ行く回数を減らすかもしれないが、それで浮く労働力(MMTの用語で言えばfiscal space)などたかがしれている。客単価5万円の外食と、500円のそれで、100倍も労働投入量が違うわけないのである。
富裕層課税が駄目でも大丈夫、他にやり方はある。夫の給料を少なくして、妻を労働市場に引きずり出すというのも最近の流行りである。そもそも結婚しなければこの種の問題は発生しないのであるから、未婚率の上昇も歓迎すべき事態であろう。女性の就業率が上がるので政治的にも正しいことこの上ない。
ちょっと待て、婚姻が減って、出生数が減ったらエッセンシャルワークする人間も減るじゃないかという人もいるかもしれない。うーん、どうしたらいいんでしょうね。
まあそのうち考えましょう。今日はこんなところで。