【連作短編ホラー】呪いの言葉がトリガー 第二章『私なんていてもいなくてもおなじ』6
木曜日2
まだ足の震えは止まらないままだが、私の胸には一応の安堵感が広がった。
それでも心は晴れなかった。
不安や恐怖が薄くなっていく代わりに、言い様のないやるせなさと切なさが重くのし掛かってきた。
フミカを見る。茫然自失状態でうなだれるように床に座り込んでいた。目には涙が光っているように私からは見えた。
セリナはくしゃくしゃに丸めて床に捨てた写真を拾って、鞄の中に閉まった。
それから、溜め息をひとつ吐いてからフミカに向かってゆっくりと歩き出した。
側まで行くと、座り込むフミカと視線を合わせるようにセリナはしゃがんだ。そしてフミカの肩に手を置くと、ゆっくりと優しく語りかけた。
「まだ本当の意味で呪いは解けてないの。フミカさん、あなたの心の暗部をどうにかしないと不完全なの。心の暗部を放置したままだと、またあなたの心に悪い物が住み着いて、変な事をさせるかもしれないから」
フミカが顔をセリナの方へと向けた。表情はまだ茫然としている。
「あなたに初めてここで会った時、あなたから少し嫌な気が出ていた。それでも必死に頑張って、それを自分自身で押さえ込もうとする力も感じた。だからあなたは大丈夫だと思った」
そう語るセリナの表情から後悔の念を私は読み取った。
「でも違った。そうやって押さえ込もうとするのは逆に反動で事態をさらに悪化させるのね……。ごめなさい。あなたの苦しみに気づけなくて……」
セリナはそう言うとフミカに向かって頭を下げた。
その瞬間、フミカのセリナを見つめる視線の質が少し変わったのが分かった。心を開きかけている。そんな視線だった。きちんとフミカの心にセリナの言葉が届いている証拠だった。
「あなたはいてもいなくても同じ。そんな存在じゃない……」
セリナはそう言ってフミカの手を握ると、
「ねっ? そうだよね?」
と私の方に会話のボールを投げた。
いや、バドミントン部だから羽根を返したか……。
そんなくだらない事を考える暇もなく、私は自分でも不思議なくらい自然と「そうです!」とすぐに叫んでいた。
「あなたがフミカさんに対してずっと思ってたこと話してくれない?」
私がフミカに対して、クラスメイトたちの視線から逃げるように毎日行っていた図書室にいる、お決まりのメンバーのうちの一人、『図書委員の彼女』に対した思っていた事……。
私は胸の内を晒す事が怖い。自分がどんな人間か他人に開示するのが怖い。それによって自分が他人から見定められる事が怖い。だから誰とも関わらずひとりぼっちだった。
言えない。何も言えない。私の思いなんて……。
どうするべきか迷って言い淀み続ける私に向かってセリナが叫んだ。
「このままずっとそうやって何も言わずに押し黙りながらひとりぼっちで生きていく気なの? 無理だよそんなの……。大丈夫だよ。あなたを理解してくれる人はきっといる。だから自分を晒し続けるんだよ! 教えて! あなたの思い!」
セリナの私に対する叫びは上辺だけの綺麗事に聞こえなかった。言葉の力強さの中に誠実さがあった。私は自然と言葉を口に出していた。
「フミカさんは、いてもいなくても同じ存在じゃなかったです。少なくとも私にとっては……。私はフミカさんに勝手にシンパシーを感じてました。いつも昼休みにいる図書室のメンバーの姿を見ると私は安心しました。私にも仲間がいるって……」
フミカが私に視線を向けているのが分かった。その視線を浴びて私の胸に痛みが走る。恥ずかしさと申し訳なさが入り交じったいたたまれない複雑な感情。それでも話し始めたからには最後までちゃんと言わなければならないと私は覚悟を決めた。
「だから、フミカさんが昼休み図書室にいてくれた事が私にとって救いになってたんです。フミカさんが昼休みに図書室に居続けたことは、少なくとも私にとっては無駄なんかでも、意味のないことでもなかったです」
フミカは顔を下に向けて小さく笑った。
どういう意味なのだろうか?
そんなことは関係なしに私は続けた。
「フミカさん。昼休みに図書室にいてくれてありがとうございました」
私の言葉を聞いたフミカは視線を私に戻した。
そしてこっくりと私に向かって頭を下げた。
表情はだいぶ正気を取り戻しているように見えた。
ため息をつきながら髪の毛を手で整えると、フミカが口を開いた。
「こちらこそありがとう。私のせいで怖い思いしたのにそんな優しい事を言ってくれて」
もう一度フミカは私に向かって頭を下げた。その後、
「あなたが自分の事を話してくれたから、私も自分の事を話すね……」
そう言ってゆっくりと語り出した。
フミカは一時期いじめを受けていたそうだ。
きっかけは些細な事だった。
クラスメイトがある日、とある恋愛小説を面白いと教えてくれた。元々読書が好きだったフミカは、同じ読書好きがいたと喜んだ。
フミカはあくまでも善意で自分の好きなミステリー小説をそのクラスメイトに勧めた。こんなに面白い本があるよと。
しかしそのクラスメイトはその行為をなぜか良く思わなかったようだ。プライドが高かったのか、フミカにマウントを取られたと勘違いし、態度を一変させた。
その日を境にフミカに対するいじめが始まった。
些細な事で揚げ足を取り口汚く罵る。あからさまに無視する。読んでいた本や教科書をゴミ箱に捨てる……。そんな様々な嫌がらせを受けた。
他のクラスメイトの誰もフミカを助けなかった。自分に火の粉が振りかかるのを恐れたのかもしれない。
誰にも相談できずに思い詰めたフミカは自分に刃を向けた。
フミカは孤独だった。
いじめは半年ほどで終わったそうだ。
それでもフミカは孤独のままだった。
いじめはフミカの他人に対する疑心暗鬼と、周囲の人が自分を常に蔑んでいるのではないかという被害妄想を産んだ。
次第にそれは特定の誰かにではなく、こんな自分を産んだ世界全体に対する憎しみを産んだ。
「ある日ね、呪いが拡散して人を殺すホラー小説を読んだの。これだって思った。私も世の中に呪いを拡散させてこの世界に復讐してやろうって思ったの……」
馬鹿だよね私────
そう言ってフミカは自分を嘲るように笑った。
「こんなに私の考えた呪いが強力になるなんて思わなかった……」
「フミカさんの世界への復讐心が、とんでもなく強かったから呪いに凄い力を与えたんだと思う。だからこそフミカさんの心の暗部をどうにかしないといけないの」
セリナがそっと優しくフミカに語りかける。
セリナが私を手招きした。私はセリナとフミカのもとへと歩み寄る。
セリナが私の手を取って、フミカの手へと強引に連れていった。
私の手とフミカの手が触れた。
「あなたたち友達になれると思うんだよな私!」
セリナが精一杯明るい声を作って私とフミカの顔を交互に見ながらそう言った。
私はフミカと目を合わせた。フミカは私と目を合わせた。
「本当に本当にごめんなさい。それに……ありがとう……」
フミカが私の手をぎゅっと握ってそう言った。
私はその手を思い切り握り返した。
私とフミカは手を繋いでいた。
消えいてた図書室の照明がまた明るくなった。
「よし。呪い、解けたみたいね」
セリナがそう言って小さく笑った。
金曜日
水曜日に学校のプールで倒れていた女子大生は一命を取り留めたそうだ。
「えっ? 生きてたんだ!」
セリナの素っ頓狂な声が図書室にこだました。
机に突っ伏して寝ていた彼が驚いて顔を上げて私たちの方を見たが、またすぐに顔を腕に埋めた。歴史の本を読んでいる彼は顔色ひとつ変えずに本を読み続けている。こちらには関心がないみたいだった。
「死んでるってサッカー部の顧問が勝手に騒いでただけで、実際は意識は無かったけど生きてたそうです。病院に搬送されたあと治療を受けて、意識を取り戻したみたいですよ」
マナミが今朝のニュースで報道されていた話と学校で広まった話を混ぜて冷静に経緯を説明した。
「あぁでも良かった良かった! ねっ?」
セリナはそう言って受付カウンターに座るフミカの肩を叩いた。フミカは伏し目がちに小さく頷いた。
「でもその女子大生の人、例の本をまだ持ってるってことですよね?」
マナミが受付カウンターに背中で寄りかかりながらそう言った。
マナミは昨日図書室で起きたことも、それに至った経緯も全てを知っていた。信じられないような話も自然と受け入れていて、疑いなどひとつも持っていない様子だ。
きっとマナミはセリナの事を全面的に信用し心を許しているのだろう。
「どうにかして本を回収しないとね……まだまだ油断出来ないか……」
セリナは肩で大きく息をしたあと険しい表情になってそう呟いた。さっきまでの気の抜けたムードからは一変した。
女子大生が働いてた大型古書店にあるもう一冊の呪いの本は、昨日の放課後に私とセリナで回収して、ミズエさんに引き取ってもらった。
あと残りは女子大生が持っている一冊だ。
最後まで気を抜けない。
でも頼もしいセリナがいるならきっと大丈夫だ。
私の中にもセリナへの強い信頼感が芽生えていた。
「せっかくだから何か本借りようかな? 一緒に来てよ西川さん。オススメ教えて!」
マナミがそう言って私の腕を掴むと書架の方へと引っ張って行く。私は勢いに押されなすがまま早足で歩きだす。
成り行きで海外文学のコーナーへとたどり着いた。
「若草物語か……なんか聞いたことある……」
「それオススメです……」
「じゃあこれにする!」
マナミは本を手に取ると私を置き去りにして、さっさと受付カウンターへと向かっていった。
私はわざとゆっくり後を追った。
そして受付カウンターが遠くから見渡せる位置まで来て立ち止まる。
椅子から立ち上がりマナミへの対応をするフミカはとても清々しい表情をしていた。
マナミの横に立って、それを嬉しそうにセリナが微笑みながら見つめていた。
三人の姿を見て私は、図書室という空間が本当に好きだと思った。
〈第二章『私なんていてもいなくても同じ』おわり〉