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【連作短編ホラー】呪いの言葉がトリガー 第二章『私なんていてもいなくてもおなじ』5

木曜日1

 昨日の騒ぎが嘘だったように、学校はいつも通りの日常をあっさり取り戻した。
 相変わらずプールにはブルーシートが貼られ、立ち入り禁止を示す黄色いテープが張り巡らされている。
 そこだけは物々しい雰囲気を保ったままだが、校舎の中はいたって通常運転で時が過ぎていた。

 昼休み、言い知れない不安を抱えながら私は図書室へ向かった。
 写真を手放した。だからもう私の前に髪の濡れた女が現れることはないと昨日ミズエさんに言われた。安心していいと。
 でも私の心からは一向に不安は去ってくれない。

 出入口の前で先に到着していたセリナが、中には入らずに扉の前に立っていた。
 何故かバドミントン部のユニフォーム姿だった。 白いVネックのシャツに赤いミニスカート。シャツの胸には校名が赤いローマ字でプリントされている。
 さらに肩から白い布で出来た鞄を下げている。
 セリナは私に気づくと軽く手を上げた。
 気取った仕草なのに、セリナがやると嫌味がない。

「どうしてユニフォーム着てるんですか?」
「やっぱりこれが一番気合い入るんだよね。ここに来るまでみんなの視線が痛かったけど」
 セリナも他人の視線を気にするのか。そんな風には見えないから意外だった。
 しかし、気合いが入るとはいったいセリナは何をしようとしてるのだろう?そんな疑問をぶつけるとセリナは、
「今日、方がつくならそうしちゃった方がいいからさ……」
 と、真意が見えそうで見えない言葉を口にした。
 その言葉で、私の胸の不安はさらに大きくなった。
「そうだ。念のためこれ手首につけといて」
 セリナは肩に下げた鞄から黒い数珠を取り出して私に差し出した。
 私は戸惑いながらそれを受け取った。
「何かあったらそれが身代わりになってくれる」
「それって……」
 私の不安を見透かしたように、セリナは私の背中をぽんと一度手のひらで叩いた。
「西川さんを危険目に合わせるのはどうかと思ったけど、でもあなたの力がたぶん必要なの」
 どういうことなのか、まったく理解出来なかった。頭が混乱してくる。私の力が必要?なぜ?なんのために?
 私はただひたすらに怖くなった。

「大丈夫だから……」
 セリナは私の手から数珠を奪い取ると私の手首にそれをさっと通した。そして、その手首をぎゅっと握った。セリナは私の手首を握ったまま、
「さて。いるかな?」
 そう呟いて図書室の扉を開いた。

 セリナが図書室の中に入っていく。それに引っ張られて私も中へと入った。
 受付カウンターへと一直線に向かっていく。
 そこには、あの図書委員の彼女がいつも通り、いつも通りの顔をしながら椅子に座っていた。

「こんにちは。昨日はどうも山下フミカさん」
 セリナは明るいトーンだが淡々とした口調で図書委員の彼女に声をかけた。山下フミカ。彼女の名前らしい。セリナはいつのまに名前を調べたのだろう。
「こんにちは……何か御用ですか?」
 フミカは椅子に座ったまま私達を見上げて、顔色ひとつ変えず無表情でそう応えた。堂々と落ち着き払っていた。
「なんであんな事するの? 目的はなに?」
「何の事ですか?」
 セリナもフミカも淡々とした口調を崩さない。それでもその中に強い対抗心みたいなものが込められているのを感じた。

「呪いを拡散させてるでしょ」
 セリナは迫力ある一段低い声になってそうフミカに凄んだ。
 私だったらこんな風に凄まれたら、一瞬でぺしゃんこに押し潰されてしまうだろう。でもフミカは顔色を少しも変えない。こんなに強い子だったとは思わなかった。
 
 図書室のいつものメンバー、机に突っ伏して寝ている彼も、歴史書が好きな彼も顔を上げてこっちを見ていた。
 その二人に向かってセリナは、
「悪いけど、今日はここから出ていって貰えるかな?」
 そう声をかけた。
 二人とも戸惑いつつ、何度も何度も私達の方を訝しげに見ながら図書室を出ていった。

 男の子二人が出ていったのを見届けたセリナが口を開いた。
「あなた罪の意識とかないの?人が一人死んだんだよあなたのせいで。それにこの子も危ない目にあったんだ。髪の毛の濡れた女のバケモノに追いかけ回されてた。怨念の籠った写真を挟んだ文庫本を持ってたばっかりに」
 セリナのその言葉を聞いて、フミカの表情が初めて崩れた。ニヤッと笑った。
「そんなに効果あるんだ。凄い。やって良かった」
「やって良かった?ふざけんなよ!」
 セリナが激昂したように叫んだ。
 フミカが立ち上がった。
「図書室で大きな声出すのやめてもらえますか?」
 フミカはそう言ったあと下唇を噛みながらセリナをじっと睨んだ。

「どうしてあんな事したのかだけとりあえず教えてくれない?」
 セリナは落ち着いた口調に戻ってフミカに迫った。
 フミカは黙ってただ、下唇を噛みセリナを睨み続ける。
 セリナも黙って鋭い眼差しでフミカを見つめ続ける。
 私は立ち尽くして、ひたすら成り行きを見守るしか出来ない。図書室を沈黙が支配した。
 永遠に続くかと思えるほどだった沈黙は、しばらくして破られた。
 フミカが口を開いた。

「どうして? 猟奇殺人犯に殺された被害者の写真を猟奇殺人犯が出てくる本に挟んだら強力な呪物が出来るんじゃないかって思い付いたから試しただけ」
 フミカは無表情に戻り、淡々と一息でそう語った。
 どうやったらそんな恐ろしい事を思い付つくのだろう。私は背筋が凍りついた。
 フミカは続ける。
「M県女子大生連続殺人事件って知ってる? 大学生の男が知り合った女子大生に次々と手をかけた」
 セリナはじっと押し黙ってフミカの話を聞いている。
「被害女性はみんな、水を貯めたバスタブに顔だけを押し付けられて窒息死させられたんだって……」
 どうして私に付きまとっていたバケモノの髪が濡れていたのか私は理解した。腑に落ちるような答えが出た所で、なんのカタルシスも無かった。
「写真はネットの事件記事とか、まだ残ってる被害者のSNSアカウントから拾ってきた画像を私が写真サイズにプリントアウトしたの」
 一通り言い終えたフミカは、受付カウンターの中から出てきてセリナの横に立った。そして、「もういい? 昼休み終わっちゃうよ」そうウンザリしたように呟いた。 
 セリナはフミカの方に体を向けた。

「まだ終わりじゃない。本を回収しないと。どこに呪いの本を売ったか教えてくれる?」
「H市の大型古書店にもう一冊あるはず。もうそれだけだよ」
 そう言うとフミカは図書室から出ていこうとした。
「待って!」そう叫んでセリナが引き留めた。そしてフミカの後ろ姿へと捲し立てるように話を続けた。

「また明日もここに来るから。また話をしてくれる? あなたが拡散した呪いの本を回収したらそれで終わりじゃない。あなたの心のわだかまりや暗い場所をなんとかしないと本当の意味で呪いを解いたことにならないから」
 
 出入口扉付近まで行っていたフミカがこちらを振り返った。

「来なくていいよ。明日から昼休みに図書室来るのやめる。ずっとやめたかったの。委員会の仕事だからって義務感で来てたけど馬鹿らしくなった。だって意味ないから。誰も本なんて借りにこない。仕事なんて何もない。私はただぼうっとカウンターに座ってるだけ……」
 フミカは心底うんざりしている様子だった。図書室にずっといたにも関わらず、私は彼女がそんな事を思っていたなんて思いもしなかった。少し胸が痛くなった。
 フミカは溜め息をひとつ吐いた。
 そして、誰かに聞かそうとも思っていないような、限りなく独り言に近い声でそっと呟いた。

「私がいなくても誰も困らないし……私なんていてもいなくても同じ……」

 ぴちゃん────

 フミカが言葉を言い終えるとすぐに、水が滴り落ちる音が図書室の中で響き渡った。そしてその後、

「山下フミカさんいてもいなくても同じなら私と変わってください」 

 抑揚がなく、感情のこもっていない、不気味なほどに淡々とした、機械的で人間らしさがまるで感じられない女の声が聞こえた。

 ぴちゃん────

 フミカの頬を水滴が濡らしたのが見えた。
 フミカの頭上を私は見た。
 そこには、髪が濡れた女の顔があった。
 生首が宙に浮いていた。

「いる……いるっ!」
 私は思わずそう叫びながらフミカの頭上を指差した。
「なんで?」
 セリナが小さく低く呟いた。
 なぜ自分の頬になぜ水滴が落ちたのか理解出来ずに、戸惑うように呆然としていたフミカが自分の頭上を見上げた。

「きた……きたあああ!」

 そう叫ぶフミカは嬉しそうだった。眼球が溢れ落ちそうなほど目を目一杯見開いて、天井を見つめ続けていた。
「本、持ってるの?」
 セリナがフミカに訊ねた。フミカは頭上を見上げたまま受付カウンターの方を指差した。
 セリナが受付カウンターに駆け寄る。そして手を伸ばして何かを手に持った。

 平山夢明の『異常快楽殺人者』の文庫本だった。

 セリナがページを捲る。そしてその中から写真を取り出しぐしゃぐしゃに丸めて放り投げると、「やってもうた……。フミカの心に気を取られすぎて本に気づかなかった……」そう呟いた。
 写真に何が写っているのか確認出来なかったが、セリナの切迫した表情と行動で私は全てを察した。 

「あげる……代わってあげる!」

 歓喜の声を上げながらフミカは天井に手を伸ばして、上から滴り落ちる水滴を、まるで恵みの雨のように顔に浴び続けていた。
 手を伸ばして露になったフミカの制服の袖口から見えた白く細い手首には、一本の引っ掻き傷が真っ直ぐ横断していた。
 私はそれを見て恐怖と共に、酷くいたたまれない気持ちが沸き上がってきた。

「もうだいぶ取り込まれてる……」

 そう呟いたセリナは鞄から金色に光る鈴のような物を取り出すと、それをチリンと一回鳴らした。
 水滴が滴り落ちる音を書き消すように、鈴の厳かで清らかな音が鳴り響いた。

「我はピチピチJC、その眩い輝きはお前の暗黒を全て光で覆い尽くし浄化する! オンアビラウンケンソワカ! オンアビラウンケンソワカ!」

 セリナがそんな呪文のような言葉を天井の髪の濡れた女の生首を指差しながら叫んだ。
 すると髪の濡れた女の生首がくるくると回転を始めた。無表情だった顔が苦悶の表情に変わった。
 セリナはもう一度鈴を鳴らす。

「我はピチピチJC、その眩い輝きはお前の暗黒を全て光で覆い尽くし浄化する! オンアビラウンケンソワカ! オンアビラウンケンソワカ!」

 髪の濡れた女の生首がくるくると回転を続ける。
 しばらくすると回転が止まった。その瞬間、生首がすとんと真っ直ぐ落下した。
 フミカの足元に生首が落ちる。フミカはしゃがんで生首に触れようとした。
「私が代わってあげる! 私が!」
 そう言いながらフミカは両手で髪の濡れた女の頬に触れた。
「駄目よフミカさん! 引き返して!」
 そんなセリナの叫びを無視してフミカは生首を手に取ると胸の中に抱き入れた。
 その瞬間、生首がビクビクと猛烈な勢いで痙攣し始めた。あまりの勢いにフミカは抱き留める事ができない。女の生首がフミカの胸の中から飛び跳ね離れて、また床に転がった。
 明るかった図書室が突然薄暗くなる。照明が消えた。
 床に転がった髪の濡れた女の首から、生理的嫌悪感を誘う、灰色と緑色と黒色が混じった気味の悪いまだら模様をした何かがうねるように生えてきたのが見えた。

 柔らかくしなやかなだが、それと同時にどこか筋肉質で獰猛────

 あれは蛇だ。蛇体が女の首から生えていたのだ。
 蛇体に髪の濡れた人間の女の顔がついている? 髪の濡れた人間の女の顔に蛇体がついている? 
 そんな事はどちらでもいい。とにかく目の前にいる。信じられないほどに薄気味悪い異形のバケモノが。

「いやああああ!」
 私は思わず悲鳴を上げた。

 セリナは眉間に皺を寄せて立ち尽くして、どうしたものかと思案しているようだった。
 床に座りこんだフミカは呆然と蛇体の女を見つめている。
 蛇体の女がフミカの周りをうねうねと這いずり回る。
 その間も蛇体の女の髪から水滴がポタポタと滴り続けていた。
 セリナは鈴をしまった鞄から今度は白い粉のような物が入った小さな瓶を取り出した。瓶を手のひらの上で逆さまにする。
 蛇体の女が口を大きく開ける。フミカの首めがけて食い付こうとしていた。

「フミカから離れろバケモノ!」

 セリナの手から白い粉が放たれた。白い粉はフミカと蛇体の女に降りかかる。
 蛇体の女は顔を仰け反らした。すんでのところでフミカの首は無事だった。

「ぐるううううううううう────」

 蛇体の女から地を這うような低音が出音されている。苦悶の声のようでいて、威嚇するような声でもあった。
 私はとんでもなく恐ろしくなって足が震え始めた。手首に着けた数珠を反対の手で握りしめた。
 蛇体の女がセリナの方を見た。そして口を開いた。
 口の中からずりずりと舌が延びてきた。細長い針金のような舌だった。みるみるうちに舌は伸びて、五メートルほど離れているセリナの目前まで近づいていた。セリナが身構える。舌が一瞬動きを止めた。
 セリナが白い粉が入った瓶を床に投げ捨て、鞄の中に手を入れた瞬間、蛇体の女の舌が物凄い勢いで一直線にセリナの顔面へと向かって伸びた。
 セリナが素早く横方向に体ごと避ける。
 しかし完全には避けきれずにセリナの肩に舌が突き刺さった。

「いやああああ!」
 私は悲鳴を上げた。
「うっ……」
 セリナは短く低い声で痛みに悶えた。肩からは血が流れ、白い腕を赤く染めた。しかし怯むことなく、鞄から取り出した手鏡の鏡面を蛇体の女に向けた。
 鏡を見た蛇体の女の顔は青ざめていた。

「ぎいいいいいいい! ぎいいいいいいい! ぎいいいいいいい!」
 蛇体の女が耳をつんざく悲鳴のような甲高いノイズを発した。
「残念だけど……すっごく残念だけど、こんな事言うのは酷だけど、これが今のあたなの姿なのよ!」
 セリナが叫んだ。
 混乱したかのように蛇体の女が出鱈目に床を這いずり回る。
「残念だけど、フミカの命を奪ったところでもうあなたは元には戻れないの! でも大丈夫。私がなるべく綺麗に成仏させてあげる!」

 動きを止めた蛇体の女がセリナを見た。セリナが身構える。
 蛇体の女は体をくねらせながら猛スピードでセリナに向かってくる。
 セリナは鏡を投げ捨てると、鞄から黒い墨汁で文字が書かれた短い木製の棒を取り出した。
 それを額に当てながら、
「我はピチピチJC、その眩い輝きはお前の暗黒を全て光で覆い尽くし浄化する! オンアビラウンケンソワカ! オンアビラウンケンソワカ!」
 あの呪文みたいな言葉を二倍速でセリナは口に出した。

 蛇体の女がセリナの足元まで近づいた。セリナは身を翻してそれを避ける。セリナを通りすぎた蛇体の女が踵を返してまたセリナへと向かってくる。
 セリナが片膝をついた。セリナと蛇体の女の目線の高さが合う。蛇体の女がセリナめがけてずるずると迫ってくる。蛇体の女が大きな口を開ける。それがあともう少しでセリナの頭部を飲み込もうかというとき、

「おりゃああ!」

 セリナがあの短い木製の棒を蛇体の女の頭頂部目掛けて思い切り縦に振り下ろした。
 木製の棒は綺麗に蛇体の女の頭に綺麗にヒットした。
 蛇体の女の動きがぴたっと止まった。すると蛇体の色が次第に薄くなっていく。そして嘘みたいに蛇体がその場から消えた。
 しばらくすると、蛇体が伸びていた場所には、本来あるべき人間の体があった。
 バケモノじみていた女の表情が、生きた人間の温度が感じられる物に変わった。
 セリナが床に投げ捨てた鏡を拾って、倒れている髪の濡れた女に近づく。そして膝立ちをして鏡面を髪の濡れた女に向けた。女が鏡を見る。

「もう大丈夫。あなたの悲しみや苦しみは私が引き取る。だからゆっくり眠って。あなたみたいな人をこれ以上増やさないように私頑張るから……」

 セリナは倒れている髪の濡れた女の頭に手をかざしながらそう優しく囁いた。
「えいっ!」
 セリナが手をかざしたまま力強い声をあげると、髪の濡れた女は穏やかな微笑みを浮かべながら、すっとその場から消えた。 


 


 

 
 

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