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まっすーが挑戦者
まっすーは焦れていた。ふじいくん七冠は何故投了しないのか。こんなクソ粘りをしても棋譜を汚すだけじゃないか。棋王戦第1局、盤上は最終盤でまっすー勝勢の局面。一方、番外でまっすーは電話を待っていたのだった。彼女からの。付き合ってはいるが最近微妙な距離ができている彼女からの電話だった。
この今、まさに、ふじいくん七冠にクソ粘りされているこの瞬間に、俺のスマホが鳴っているかもしれない。ふじい、おまえ、はよ投了せんかい! まっすーは焦れていた。
彼女との仲が微妙になったのはクリスマスに予定していた旅行をまっすーの一存でキャンセルしたためだ。「年明けにタイトル挑戦が決まったんだ。僕は今、将棋に集中したい」 彼女はぶんむくれて、クリスマスは知らない男と飯を食ったっぽい。
まっすーはいてもたってもいられず、席を立つ。「もうトイレ行く!」 持ち時間はまだ残している。対局室を出た廊下に、師匠のもりしたが立っていた。こちらもこちらで弟子が心配で控室を出てきた師匠だった。もりしたは訴えかける目で弟子を見つめた。
おまえは、将棋をがんばれ。
もりしたもまた、女がらみでタイトルマッチ(名人戦)の勝ち局を棒に振った男だった。
おまえは俺の二の轍を踏むな。
師匠の目には強き思いが込められていた。まっすーも師匠の苦き過去のことは知っていた。そしてこれを初めて知ったとき_それはまっすーがまだ修業時代の頃だったのだが、まっすーは師匠を軽蔑した。名人を前にしてあんたは女のことを考えていたのかよ。
でも、今なら俺もあなたの気持ちが分かる。
この師弟の仲は悪い。弟子には師匠の期待が重かった。「ますだのさいのうは、ふじいに伍するものだ」 師匠は公言している。そんなことあるかい。弟子は恥ずかしいからやめてと思っていた。
弟子は師匠の視線を受け取り、トイレで用を足し、対局室に戻った。彼女なんて知らない。将棋に集中するんだ。将棋に集中するんだ。そう繰り返し念じて、まっすーは盤面に向かった。
でも言うほど集中できずに、まっすーは大ポカをしてふじいくん七冠に逆転負けを喫した。俺も師匠と何も変わらない。
感想戦を終え、宿の自室に戻る廊下には、師匠が立っていた。またかよ。逆転負けが恥ずかしく、まっすーは目をそらしうつむいた。師匠は、やっぱりそうなっちゃうのか。わかるよと言った。まっすーは泣いた。
勝負には負けたが、師弟仲は改善された。よかった。
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