あなたの不満はどこから?私は喉から…それなら銀の便座!
強力な魔法は、詠唱者にもダメージが来るという。
それと似たようなもので、強い言葉を放てば強い言葉が返って来る。良い意味でも、悪い意味でも。
いきなりどうした、みたいな始まり方をしてしまったが、私の言い出すことはだいたい「いきなりどうした」感満載なので気にしないでいただきたい。
さて、以前の記事でも書いたが、私は今麻雀プロを応援している。
麻雀界は今、「Mリーグ」というリーグ戦が軌道に乗り、業界全体も機運上々↑↑の波に乗っている。
その前までは20年近くオタクの沼にどっぷりだったので、肉体系でも頭脳系でも、何らかの競技のプロを応援するのは初めてだ。
だからなのか、2年経っても未だに慣れないのが、
「野次や批判や煽りは激励の内」みたいな人達がいることだ。
百歩、いや一億歩ぐらい譲って、敵チームや嫌いな選手に言うなら、まあ、うん、まあ、理解出来ると言えないこともなくなくなーい?と思う。
でも、好きなチームや選手にも言う人や、ファンでもなければアンチでもないのにとりあえず言う人は何なのか。
「自分が出来ないことは、人に言ってはいけない」
「自分が出来ないことをやってくれる人には『感謝』からスタートしよう」
というのが普通だと思って私は生きて来た。
こうやって書くと聖人のようだが、
尋ねてもいない内容をつらつらと語り出す人にはすべからく「ねえねえ、何でキャバクラやバーが高いのか知ってる?話を人に聞いてもらうのはそれだけお金が必要なんだよ?」と思っているので、清らかな心なんて皆無である。
「他人に話を聞いてもらう」も「自分では出来ないこと」だ。
なので私は、「お酒奢るから愚痴を聞いてくれ」とか、「ケーキ奢るから今から言う話、全肯定マンになって聞いてくれ」とか、「謝礼」と「要求すること」を明示するようにしている。
だから無断で、無対価で勝手に語り出す人には「時給発生するけどいい?」と思ってしまう(心が狭い)
もちろん友情なり愛情なり恩義なりが介入してくるとその限りではない。
旦那氏の話は例えどんなに興味ない内容でも一応適宜相槌は打つ(聞いてるとは言ってない)
が、基本的には「自分で出来ないことは、お礼をしなくてはいけない。だって出来ないんだから」と思っている。
ここで注意したいのは、その「お礼」によって、どこまでが許容されているのかも意識する必要がある点だ。
スタジアムの入場料や、ライブのチケット代や、ファンクラブの年会費には、「自由発言権代」「好き勝手言っていいよ代」は含まれていないのだ。
見たことないはずだ。どっかの注意書きに「ここで見聞きしたことは野次でも不満でも何でも言っていい場所となっております」みたいなことが書いてあるのを。
もし、あちらがアンケートを実施している時か、公式サイトにご意見箱的なフォームを設置している場合には、そこで伝えるのはまだ良い。
(それでも言い方には注意すべきだと思うが)
SNSで吐き出すくらいいいだろう、というひともいる。
SNSなんてカッコいい言い方しているが、私は、個人の呟き用アカウントなんて公衆トイレみたいな物だと思っている。
みんなが使うから、人目を気にしてほしい。汚すなとは言えないが、可能な限り綺麗に使ってほしい。みんなが使うからね。
ただそれだけのお願いなのだ。
急激な腹痛と同じで、どうしても我慢出来ない不満が湧いて来ることもある。
それは分かるが、だからと言って公衆トイレで扉も閉めないでぶりりあんとはしないでいただきたい。
一人暮らしのお家のトイレならドア開けっぱなしだろうが何だろうが、好きなようにぶりりあんとしていただいて構わない。
そう、Xで言えば鍵垢にして、誰からのフォロリクも受けないようにしてるなら、それは自宅のトイレなのでぶりりあんとでもマーライオンでもお好きなように不満を吐き出していただいて結構だ。
(※お食事中の方、申し訳ありません)
こんなこと言うと「言論の自由ガー」とか言い出す人がいる。
だが、あなたのそれは「言論」だろうか?
辞書で「言論」を調べるとこう出て来る。
「不満」「野次」「文句」「批判」なんて言葉はどこにも書かれていない。
では、「論ずる」はどう書かれているか。
では、筋道は。
では、道理とは。
つまり「言論」は「人として正しい理に則って、順序立てて思想や見解を言うこと」と言える。
果たして、あなたのそれは「不満」「野次」「文句」「批判」ではないか?「言論」と呼ぶべきものになっているのだろうか?
「うるせぇ!しゃらくせぇ!俺ァこう思ってんだよ!」と本当に自分の思ったことを全力で語りたいだけなら、100均行ってノートでも買って来て、そこに書けばいい。それを一般公開しない限り、あなたは何を書いても自由だ。
しかしそれをあえて人目でつくところで書くのは何故か。
「聞いてほしい」
「リアクションがほしい」
「構ってほしい」
と言った個人的欲求に囚われているからだ。
「寂しい、虚しい」
「満たされない」
「居場所がほしい」
「俺を/私を見て、認めて」
そんな思いを「もっともらしい言葉」でコーティングしたものは「言論」とは言わないのだ。
承認されることはとてもとても嬉しい。
アドラー先生だって「人の承認欲求まじパない」と言っている(※そんな言い方はしてません)。
私だって天下に敵なしと言われたほどの褒められたがりマンだ。
そのくせ偉そうなことを並べ立てて申し訳ない。
ただ、「プロのくせに今のなんだよ。俺ならこうするね」とかより、「見てー!役満あがれたよー!」とか言う方が褒めてもらいやすいことだけはお伝えしたい。
ややこしいことを色々書いたが、結論は、
「みんなが使うものだから、みんなが気持ちよく使えるようにしようね」
だけだ。
どうか喉から不満などを排出したくなったら、まずは扉を閉めて、便座につき、人目をブロックしていただいてからでお願いしたい。
「便座ブロック」って覚えて帰ってくれよな!
※アリナミン製薬株式会社様には大変お世話になっております。申し訳ありません。皆様、喉から来る風邪を召された際は、銀のベンザブロックをどうぞ。
こちらでいただきましたお金は、全て私の推し姉妹のタバコ代(もしくはアマギフ)となります。ご希望であれば「ご覧の放送は○○の提供でお送りしました」のノリでカード添えて推しに渡します。