#808 映画論29|セブン・イヤーズ・イン・チベット
本日はブラピことブラッド・ピットの出世作(と個人的に思っている)、セブン・イヤーズ・イン・チベットを紹介しましょう。
セブン・イヤーズ・イン・チベットとは?
『セブン・イヤーズ・イン・チベット』(Seven Years in Tibet)は、1997年に公開されたアメリカの映画で、実話に基づいた伝記ドラマです。
監督はジャン=ジャック・アノー(Jean-Jacques Annaud)で、主演はブラッド・ピット(Brad Pitt)でして、第二次世界大戦中にオーストリアの登山家ハインリヒ・ハラー(Heinrich Harrer)のチベットでの経験と、若き日のダライ・ラマ14世との友情を描いています。
僕はこれを初めて見たのが、多分98年にハワイに行った飛行機の中でした。
当時の我が家はバブリーで1年に1回いっちょまえに海外旅行に行けていたのですが、その飛行機の中で見たんですが、流石に中坊には難解でした笑
大人になってから「あー、そういう意味があったのね」とか思うレベルでしたし、中国とかチベットの関係性を知ったうえで、改めて見たいなと思ったものでした。
セブン・イヤーズ・イン・チベット あらすじ
この映画は、第二次世界大戦真っ只中の1939年、登山家のハインリヒ・ハラーは、身重の妻が止めるのも聞かず、自国を占領しているドイツの登山隊に加わってヒマラヤ山脈への登山に向かったんです。
「そこに山があるから」でしょう。
そしてインド付近にいたところ、そのタイミングで第二次世界大戦に参戦していたイギリス兵に見つかるんですね。
当時は「日独伊 vs 欧米」というウォーだったが故に、見つかったタイミングで「敵め!」と見なされ、イギリス領のインドでハインリヒはドイツ隊と共に捕虜になってしまうんです。
で、収容所から祖国の妻に手紙を送るんですが、妻からの返信は離婚届と、生まれた息子を連れて再婚するという内容でショックを受けるも、ハインリヒは収容所から脱走し、様々な困難を乗り越えながらチベットのラサにたどり着きます。
ラサで彼は若きダライ・ラマ14世(10代の少年)と出会い、彼との友情を育みながらチベットの文化や仏教に深く影響を受けます。しかし、チベットが中国によって侵略される運命に直面し、彼らの関係にも影響が及びます。
セブン・イヤーズ・イン・チベットの 魅力
1. 良くこのテーマを扱えたなという点
高校2年生くらいに「ゴーマニズム宣言」に感銘を受け、読み漁っていた時期があったんです。
そんな中で「新・ゴーマニズム宣言」9巻で、チベット侵攻を行う中国共産党が行ったホロコーストの実情を知り、トラウマになったりしたのですが、実際の描写は無いと思いますが「こんなテーマをよく映画で扱えたな」と、見終えて数年後に感じましたね。
中国サイドはやはり激おこだったらしいですが・・・
また、チベタン・フリーダム・コンサートというライブの意義もここで初めて知りました。僕の敬愛するハイスタも参加しています。
まさに難波が言っているように、「はやくこういうライブがやらなくてよい世の中がこればいい」というのは名言ですね。
この頃の難波は良い事言ってました。最近は若干不安定ですが…笑
ちなみに髪に関しては、98年のぷらちなロンドンブーツの時点でロンブー淳は既に赤くしており、難波が赤くしたのは2000年だと僕は記憶していますが…笑
まぁ、難波が何を言っても僕は難波をフォローしますがね!
話が反れました!戻しましょう!
2. チベットの雰囲気を再現する為に
そんな映画ですがチベットで撮影する訳にもいかんので、チベットに近いエリアで再現しています。
ロケ地はアルゼンチンやカナダ、チベットの雰囲気を再現するためにインドで撮影されたとのことですし、映画の音楽は、著名な作曲家ジョン・ウィリアムズ(John Williams)が担当し、伝統的なチベット音楽とオーケストラの融合した、オリエンタルでエモーショナルなグルーヴでした。
その撮影技術と演奏が素晴らしく、この点も高く評価されていますね。
3. ブラッド・ピットがとにかくカッコよかった
これに尽きるでしょう。
当時日本では「ディカプリオ派」と「ブラピ派」に分かれていた記憶がありますが、ブラピの方が大人のイキフンがあって僕は好きでしたね。
まとめ
そんな感じであまり映画について語れていないセブン・イヤーズ・イン・チベットですが、評価に関しては賛否両論のようです。
その美しい映像とブラッド・ピットの演技で高く評価されましたが、その一方歴史的な正確性や文化的な描写について議論もあったようです。
まぁそれでも、チベットの壮大な風景や、異文化との出会いが強調された作品として、多くの人々に愛されていますし、中学校時代の僕にも何となく残っているので、是非皆さんチェックしてみてください。