#253 読書論⑧|破戒(島崎藤村)
しばらく放置してしまっていた読書論も更新します。
僕が人生で一番感銘を受けた小説は、以前にも紹介したアルジャーノンに花束をですが、国内文学で言えば今回紹介する破戒はなかなかの衝撃でした。
今回はそんな破戒を紹介しましょう。
破戒とは
元々は明治38年(1905年)に島崎藤村により自費出版された作品となりますが、内容がまぁエグいんです。
テーマは「差別」ですね。
明治時代に撤廃されましたが、かつて日本には士農工商と言う身分制度があり、士(侍)が最もカーストの最上位に位置し、その下に農民・工業員・商人がいたんですが、更にその下に「穢多(えた)」「非人(ひにん)」と言う身分があり、牛や馬の処理を行う、所謂屠殺と呼ばれる仕事や、革製品の販売など、限られた仕事しか行えない最下層の身分が存在する腐った時代が日本でもあったんです。
破戒はその時期のエピソードを描いた、センセーショナルな作品でした。
僕は大学での一般教養で「文学史」か何かを選考しており、そこでこの小説の詳細に関して知りました。
元々ゴーマニズム宣言の差別論は読んでいたので存在は知っており、日本の「罪と罰」であると言うことも知っていたので予備知識はあったのですが、最後の独白の部分が大学の授業で学ぶ内容にしてはなかなかセンセーショナルであり、とにかく重い内容でしたが、興味を持ちました。
なのでその後BOOK OFFに行って速攻小説を買い、読んだ記憶がありますね。
多分19歳の頃だったと思います。
破戒 あらすじ
主人公の瀬川丑松(せがわ うしまつ)は、穢多の血を受け継いでいましたが、父親から幼少期より「隠せ」と言う教えを受けていました。
自分が何者であるかは隠して、市井に交えて普通の生活を送ること、これこそが父親が願うことだったんです。
そして丑松は小学校の教師となり、教壇に立ち、人気者の教師として学校で生徒にも慕われる存在になるのですが、苦悩を抱えていました。
そんな最中で知る活動家・猪子蓮太郎。彼は穢多であることを公言して、解放運動を行なっており、丑松も彼を慕うようになり、彼のように自らの出生を打ち明けたい心情に駆られます。
そんなある日、丑松の出生に関する噂が飛び交い、更に猪子が非業の死を遂げ、追い詰められた丑松は、ある日の教壇で、生徒たちに向けて独白することを決意します。
かなりエグい内容なのですが・・・ネットで拾えたので紹介しましょう。
そんな感じで中略しますが・・・このように続けます。
そして最後に、跪いて一言・・・
そうして丑松は告白後、学校を去ります。
その中で生徒達から「辞めさせないで欲しい」と言う嘆願書もあったようですが、丑松はアメリカに渡米することとなりました。
差別に関して
先日、LGBTに関する所感を述べまして、その中でも触れましたが、
「差別」と「区別」を混合してはならないと言うことですね。
男性の性別と、女性の性別は違います。
骨格も、向いている仕事の適性も違うので、男性と女性が違う仕事、それぞれに適した仕事をするのは区別だと僕は定義しますが、差別はそれこそ、区別し終わったあとの集団で起きる選別となります。
学力や能力、血筋など、人間は人間をいくらでも差別できてしまう。
自分より劣った人を見ると安心してしまう、そんな業の深い生き物なのです。
かつてマーシーが歌った一節が全てを集約しているような気がします・・・
こうした形で、図らずして「差別」と言うものが、世の中の組織形成におけるシステムとして一部取り入れられてしまっている点は否めないながらも、やはり破壊でいうような不当な差別は無くしていかなければなりませんね。
フラットに物事を考えられる人間でありたいと思います。
そしてその一方、「差別された」という被害者としての立ち位置を利用して利権を貪る、一部の同和団体やアイヌ団体のような団体を私は唾棄しますので・・・今回のLGBT運動も、そうした活動家の「飯の種」にならないことを願いたいですね。
最後に
少し話が逸れてしまいましたが、とにかく破戒は是非読んでみてほしい名作です。
昔の仮名遣いは読みづらいですが、おそらく現代文に翻訳したverも絶対あると思うので、まずはそちらから読んでみても良いかもしれませんし、今回調べてて初めて知りましたが昨年、映画の実写化もされていたようなので・・・
是非ここから見ても良いかもしれませんね。
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