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【櫻坂46】表現者・藤吉 夏鈴は笑顔でいた方がいいのか
前書き-アイドル系noteは「オタクポエマー」であるべきというお話-
6月26日に公開させて頂いた、『【櫻坂46】アイドルは_____? 櫻坂46 オーディションCMを本気で考察してみる。』は公開から既に多くの方にご覧いただいており、いいね!もたくさん頂いている。
(感謝です、まだご覧になっていない方は是非↓)
ここからの話は今回のタイトルとは1mmも関係ないが、オタク系noteを見て気づいたことがあったのでここで書いておく。
それはオタク系noteで所謂「バズる」記事に共通して言えるのは、自分の感想を照れなく正直に伝えている記事がいいね!を多く頂いているのだ。
僕はそのオタクの文章を「オタクポエマー化現象」と呼んでいる。
オタクポエマー化現象が強い事を確信したのは櫻坂46関係で言えば、5/21-22で開催された渡邉 理佐の卒業コンサートである。
因みに僕は理佐卒コンに関してのnoteは投稿していない。
理佐卒コンには会場に入れなかった"無券勢"というのもあるが、どうも理佐卒コンではその前に行われたBACKS LIVEのような、「これは他の人には無い熱で書けるな」という気持ちが出てこなかったというのがある。
僕の推しは今回のタイトルにもなっている藤吉 夏鈴である。だからBACKS LIVEは、ライブ前から藤吉の思いを感じ、幸運にも会場に足を運べ、実際にその思いを肌で感じ、熱を持ったままライブの次の日にはnoteを投稿することができた。
早い話、僕がBACKS LIVEに起きたポエマー化現象が渡邉 理佐の卒コンでは理佐を愛す人に発生したのである。
素直に他の人のnoteを見て「あ、勝てねえな」と思い渡邉 理佐の卒業に浸りながら5月23日、24日を過ごしてたのはとてもよく覚えている。
実際僕がそう感じたnoteは多くいいね!を貰ってた。
僕はどうしても構成とか練ってnoteを書きたくなる。
見出しを必ず使うのはまさにそれである。でも見出しとかない僕からしたら"汚い"構成でもいいものを書く人はいる。
結論、オタクが熱を持って書いたポエムチックな文章は共感を呼び、惹かれるのだ。
以上、ここまでが今回の書きたいと思った「藤吉 夏鈴は笑顔でいるべきか」をポエマーチックに書いても問題なく正当化できる言い訳の為の壮大なフリである。
なぜ、こんなことを書こうと思ったんだろう
本題に入っていく。
きっかけは1枚の写真である。
これを書いている日である6月29日、櫻坂46は先日より発表していた1st Albam"As you know?"のアーティスト写真を公開した。
写真は下記の通りである。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/81660784/picture_pc_88d7f6f765c83d4c4740262fc91010d2.png?width=1200)
僕は写真とかカメラの興味は無いので、善し悪しは全く分からない。
ただ"As you know?"=「ご存知の通り」という言わば上から目線のタイトルとは異なり全員が笑顔と、アルバムの雰囲気が現時点では全く読めず、アルバム情報でこの写真をど頭に公開してきたのもオタクの妄想力を掻き立てるにはいいチョイスであるなと感じた。
こういう横並びの写真だと自分の好きな子がどこにいるか気になり探す現象はオタクなら誰もが1度はあるだろう。
では、藤吉 夏鈴は。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/81675330/picture_pc_2d04de8d7fbed4b92bdf270317e51b0e.png?width=1200)
まあ、笑ってるわな。
ただこの笑顔、全く同じ顔どこかで見たなと、既視感を感じた。
それは4th Single"五月雨よ"のC/W曲・"車間距離"のMVである。
というかもはやその場面しか思い出せなかった。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/81922770/picture_pc_c8d704c22bd680041f427da6a72f2ec9.png?width=1200)
時間にして4分6秒の場面である。
同じ人間の笑っている顔なんだから似ているのなんか当たり前なわけだが、"As you know?"の写真と既視感を感じる笑顔が"車間距離"の藤吉しか出てこなかったのは偶然ではないと僕は思っている。
なぜか?僕は藤吉が表現の場において笑顔の作り方を変えたからなんじゃないかと感じたのである。
そんなこんなで、直近のライブで感じたこれまでとの彼女の表情の違いや、表現者である彼女に笑顔が必要なのか、考えてみたいと思う。
パフォーマーになってきたと感じた時、背筋が寒くなった
僕は前回のnote(オーディションCMについて)で藤吉が「アイドルとは」という問いに対し、「アイドルは私にはまだ分かりません」というコメントからいくつかの仮説を立てた。
それは下記の通りである。
・藤吉本人が「アイドルという意識したことがないのでは」
・「彼女はアイドルという括りを全く気にせず、パフォーマーとして活動しているのでは」
そのnoteでも名前を出したが、こういった意識を持ってアイドルをやっていた人間がいた。元欅坂46平手 友梨奈である。
正直、前回のnoteで平手の名前を出した時、僕は一瞬背筋が寒くなった。
それはもはやオタクじゃない人でも知っている、彼女の欅坂46としての終わり方を見ているからだろう。
それを語り始めたら一つのnoteになってしまうので、今回はそれ以上のコメントを控える。
要は何が言いたいか。
僕は言葉にした瞬間、藤吉 夏鈴がパフォーマー・表現者としてのリミッターが外れて、2018年の全国ツアーの"ガラスを割れ!"のステージから落下した、平手の影みたいなものが出てくる予兆を感じた。背後霊かなんかかい。
"なぜ恋"と櫻坂46という存在が、藤吉をそうはさせない
藤吉の笑っている顔で初めて印象に残ったのは、やっぱり彼女のセンター曲、"なぜ 恋をして来なかったんだろう"(通称:なぜ恋)だろう。
一度聞いたら耳に残るイントロ。2番のサビが終わり糸を解き走る顔。ラスサビ前の「なぜ」で顔を上げる時。そして一番最後の決めポーズ。
MVも、デビューカウントダウンライブも、今でも初見で見たその表情は印象に残っている。
あの頃の表情と今の表情はちょっと違う気がする。
初めの頃のなぜ恋は子どもみたいな無邪気な笑顔みたいな表情だったが、一番最近のなぜ恋(渡邉 理佐卒業コンサート)は表現する中で生まれてくる自然の笑顔というか。
オタクの語彙力が死滅するくらい凄まじいパフォーマンスだった。
どうしても渡邉 理佐卒コンは、欅坂46の楽曲が取り上げられてしまうが、2日目の"なぜ恋"は本当に凄まじかった。
ただ横を向くだけで、上を向くだけで、手を広げるだけでなぜか引き込まれそうになる。なぜかは分からないが、真ん中にいる藤吉に引き込まれる。
自然の笑顔に感じるのも、彼女が確立させた世界観"藤吉ワールド"+常々口にする、「曲を伝えたい」という率直な思いから生まれるものなんだろう。
櫻坂46初めの頃はまだ「アイドルだから」というところから、所謂”アイドルスマイル”を忘れてはいけないみたいな意識はあっただろう。
それはもう今はない。「アイドルとは」ということを考えても「分からない」という答えが出たからこそ、アイドルという括りを無視し、自分を表現することに全力を入れるようになったのが、初期の藤吉 夏鈴と違く見える要因ではないだろうか。
でもなぜ恋の"藤吉ワールド"によって、前述した藤吉が平手のようなパフォーマーとしてのリミッターが外れることはない。
それはなぜ恋をはじめとする、欅坂46→櫻坂46に伴う櫻坂46の緩やかな「庶民的アイドル化」によるものがあると、僕は思う。
これは以前、"五月雨よ"のミニライブの感想noteで言及したことである。(是非↓)
欅坂46の社会風刺色強めの楽曲イメージから、櫻坂46は"美しきnervous"や、当noteでも触れている"I'm in"など、振り付け含め、普通のアイドル色のある曲が増えてきている。
シングルでも"五月雨よ"は乃木坂曲っぽい雰囲気で、主人公「僕」の恋心を描いており、なぜ恋も「恋に浮かれる女の子」と、恋模様を描く秋元 康お得意のテーマで曲が作られている。
秋元 康が「書いてみたかった」社会風刺色強めのテーマの楽曲の挑戦が振り分けられていた、欅坂46の役割は櫻坂46への改名に伴い終わったのだ。
(「欅坂のような曲を書いてみたかった」というのは指原 莉乃のYouTube出演時にコメントしており、欅坂にそうした曲を与えたきっかけを「佐久間宣行の東京ドリームエンターテインメント」にてコメントしている)
導いた結論
要は欅坂46というグループには平手 友梨奈のような「笑わない人」というのがグループカラーとして、また中心的な立場に1ピース必要だったのだろう。
その結果の善し悪しは今も分からないし、受け手によって変わる。
でも櫻坂46にもうそのピースは。
櫻坂46は緩やかな庶民的アイドル化の中で、今後「庶民的だけど、ちょっと変わっているアイドル」、という役割が秋元 康から与えられるようになると僕は見ている。
曲で言えば、"ジャマイカビール"、"制服の人魚"のようなシティポップへの挑戦はその一要素と言えるだろう。"五月雨よ"のMV全フィルム撮影とかも。
藤吉 夏鈴も平手が抜けた後の欅坂のグループ継続や、櫻坂になっても欅坂路線継続となっていたら、平手のような「笑わない人」の役割を与えられて、平手のような表現者としてのリミッターを外させ、強いメッセージ性を持つ局に自分の世界を表現する場を与えられたかもしれない。
藤吉 夏鈴という存在が櫻坂46にとって異質・変わっている存在なことは言わずもがなである。
だからこそ、そういった可能性があったという候補に名前が挙がるのだ。
ただ今の櫻坂46に「笑わない人」というピースは要らない。
むしろ時間の経過で庶民的グループ化が進むにつれ、このグループでは笑う必要が出てくるだろう。
もしかしたら運営の中で「笑わないアイドル」→「笑うアイドル」という印象付けの狙いがあり、今回のアルバムアー写はその初期段階かも。
だから藤吉 夏鈴は笑うべき。
笑わないパフォーマンスがかっこいい?いや、櫻坂46は笑うべき。
笑っても藤吉 夏鈴はかっこいいのが伝わっているから。
それが言いたかったnoteです。
最後に
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