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木の棒

1歳半の次男は公園で木の棒を持って遊ぶことが多く、親としては、危ないなぁという思いにかられることが良くあります。

ただ、人が人間になっていく上で、道具を扱うということは非常に大切だと思っています。親から見たらただ木の棒を持っているだけですが、木の棒を無意識に持つって結構高度なことだと思うのです。

まず、木の棒が地面に落ちているとして、木の棒が地面にくっついていないということを知っているということを体験していないと持ち上げようという行為を起こそうとはしません。机にあるコップを持つときも、机にくっついていないということを身体を通して知っているから持つことができるわけです。

また、木の棒を持ち上げる場合ですが、木の棒を見た時にその重さをある程度予測をしていないといけません。これも身体の体験を通して学ぶわけです。

また、木の棒のどの部分を持ち上げるとバランスがとれるかということも、いろいろな試行錯誤の中で身体を通して体験してきたことを元にして、持つ位置を選択しています。私たちが机にある鉛筆を持つ時に、無意識に持っていますが、そこには鉛筆の重さ、重心の位置などを自然と見極めて持っているわけです。

つまり自分の身体を通してしか学べないわけです。見ただけではわからない。知っているとは、教科書を読んで覚えたことではなくて、身体を通しての体験や経験だと感じています。

そして、木の棒を持つことから、地面に絵や字を書く事に変化し、穴を掘ったり、いろいろな使い方の選択肢を持つ事につながっていきます。

スポーツでも道具を扱いますが、その前に子どものときには、自然の中にあるいろいろな形や重さの石や木の棒に触れたり、持ったり、掴んだり…。いろいろな体験していくことを私はお勧めします。

もちろん木の棒を振り回したり、石を人に向けて投げてしまうなど、安全かどうかはちゃんと見守る必要はありますが。

ただの木の棒を持つということも子ども達にとっては大切な体験なので、親御さんにはぜひいい塩梅で見守っていただきたいなぁと思っています。


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