近所にある公園ではなく、今まで行ったことのない公園に長男、次男と行きました。そこには木のトンネルがいっぱい!! 迷路みたいに狭いところをぐるぐると回りながら長男も次男も楽しく遊んでいました! となりのトトロに出てくるような場所で、非常に喜んでいました! さて、そんな遊びの中でカマキリの卵を発見!! 4歳の息子にとっては、カマキリの卵を図鑑以外で見るのは初めてでした!一緒に遊びに来ていたお友達もカマキリの卵を初めて見て興奮していました! そして私たちが、カマキリの卵を
意識の世界と都市化 私たちが住む世界は、人の脳で考えられた意識の世界と、それとは違う無意識の世界が存在していて、最近はその意識の世界にかなり引っ張られているように感じる。先日、久しぶりに東京を歩くことがあった。そこには人工物しかなかった。土を一度も見る機会がなかった。全て人工物でつくられたものしかない世界。つまり、私たちが脳で考えた、人間にとって都合のいい脳化された社会。その象徴が都市である。 都会のオフィスビルの中にいれば、蛍光灯の光の下で仕事をし、同じ明るさにいて、太陽
先週は長男(小学校2年生)の学校の「スポーツフェスタ」に行ってきました。「運動会」から名前が「スポーツフェスタ」に変わったことにも違和感がありましたが、行われる演技項目や競技種目にもちょっと違和感。 もうすぐ40歳になる私が小学校の時には、まだ、騎馬戦、綱引き、玉入れ、徒競走、リレーなどの競技があって、演技は、組体操があって、そして、お弁当を食べて一日がかりのイベントとして行われていました。 コロナの影響や、体育からスポーツへと時代が変わっていく中で、今は、徒競走とリレー
プロ野球キャンプでの練習や、オフシーズンのトレーニング期間の話の中で、基礎や基本という言葉が良く使われる。コメンテーターやいろいろな指導者が「基礎・基本は大事だよ」とよく言う。そういう話を聞くと基礎や基本とはどこまでをさすのかという問題が浮かび上がってくるように思う。 この「基礎・基本」という言葉はもちろんスポーツの世界だけでなく、教育現場やその他の多くの場面で使用する用語だと思う。 定義としてはどうなのか。 基礎とは何か? 物事が成立する際に基本となるもの。 基本とはな
みなさんも一度は経験したことのある「腕立て伏せ」、米国や英国では「push- up」または「press-up」という言い方をするようです。最近は日本でも「プッシュアップ」と呼ぶようになってきていますね。 外から観察された運動としては、同じ運動ですが、欧米では「押して体を持ち上げる」「起き上がる」運動という認識で、日本では「腕を立てた状態から伏せる」という認識のようです。 「押して持ち上げる」つまり「起き上がる」運動なのか、それとも、「腕を立てた状態から伏せる」運動なのか。
最近NHKで放送していた『超進化論』。これがなかなか面白かった。 再放送があればぜひ皆さんも視聴してみてください。 植物も動物も、進化の過程において自分の生存のために本当に競争や争いをしていたのか。自然界は本当に弱肉強食の世界なのか?そんなことを考えさせてくれるような非常に面白い番組でした。 例えば、ある幼虫が木の葉っぱを食べる。そうすると、食べられていることを感じたその葉っぱは、有毒物質を作り出し身を守る。しかし、そこで終わりではない。近くの葉っぱにも食べられていること
久しぶりの投稿になってしまいました。 また、時間があるときにちょこちょこ書き溜めていければと思います。 さて、今回は現代の子ども達の状況と、高齢者における認知症の問題と、なんか進んでいる方向が変なんじゃないかという話をしていきたいと思います。 現代の問題である認知症。年々認知症の患者は増加傾向にある。これは日本だけの問題ではなく世界保健機関(WHO)が発表した報告書によれば、世界の認知症有病数は現在、およそ3,560万人に上ります。そして、2030年までに2倍の6,570
春や夏の森には、虫やトカゲなどがよく出てくるので、頻繁に森へ探検に行っていたのですが、冬にはほとんど虫がいないし、動物は冬眠しているので、森探検からはだいぶ遠ざかっていました。 そこで冬の森を知ろうという事で、久しぶりの森探検へ! 今回の森探検の目的は①カマキリの卵を見つけること②冬の鳥を捜すこと、③冬と夏の森の違いを感じること。の3つを目的にしました。 今回はその中でも、1つ目のカマキリの卵についての話をしたいと思います。 ①カマキリの卵を見つけに‼️ カマキリは
最近は「科学的」とか「エビデンスベース」という言葉が頻繁にどの業界でも使われるようになってきました。 スポーツ業界のトレーニング指導に携わっている方が、SNS上で、「科学は宗教ではない」ということを仰っていたので、本当にそうなのか??と疑問に思い、「科学は宗教ではない」というのは本当なんんだろうかと考えた。 例えばキリスト教では、神が人を創り、人のために万物を作っているという思想が根底にある。それは従属関係が生まれやすいということを意味している。それとは反対に、日本にある
私が言語についての勉強をしていた際に出合った本になります。 今回はこのピダハンについて書かれた書籍の一部を紹介したいと思います。 この本は、ピダハン言語とユニークな認知世界を描き出す、科学ノンフィクションです。この本は、筆者が30年がかりで、実際に彼らと寝食を共にしながら実際にピダハン文化に触れているというところにとても価値があると個人的には思っています。 ピダハンはブラジルのアマゾン熱帯多雨林の奥地に暮らす、少数民族で、狩猟採集者です。 ピダハンの文化には、右/左の
人間に近い、類人猿であるチンパンジーやゴリラ、オランウータンの白目の部分は人間よりも茶色です。なぜ人間の白目は白いのだろうか? 人間以外の他の動物の白目が白くない理由は、自然界では白色が目立つということ。白い目が剥き出しになっていることで、敵に見つかりやすくなります。そして何より自分の視線が敵に察知されてしまうという危険性があるので、白目が白いというのは自然界で生きていくためには不利になります。 人間は、この「白目」の特性を生かし、お互いの目を見ることによって、いわゆる「
私の幼少期は、カマキリを捕まえてきてバッタを虫かごに入れて、カマキリがバッタを食べる姿を見て「すごいなぁ」とか、アゲハチョウの幼虫を捕まえて、蛹になって、成虫へと変化する過程を見るのが楽しかったり、そんなに深く考えずに飼育し、観察をしていました。 大人になった今、息子と虫を飼育し、観察する中でいろいろな疑問が湧いて出てくるようになりました。 例えば、「なぜトンボはわざわざヤゴからトンボに変態するのか?」ということです。 皆さんはどう思いますか?トンボにならずに、水の中
もう読まれている方も多いと思いますが、この「ケーキの切れない非行少年たち」という本は、児童精神科医である宮口幸治先生が、多くの非行少年たちと出会う中で、「反省以前の子ども」が沢山いるという事実に気づいていくという話になります。 公立精神科病院で児童精神科医として勤めていた宮口先生が医療少年院に勤務することになり、非行少年と出会って現場で感じたことをまるまま書いているので、とてもリアルな内容になっています。学校で「手がかかる」というレベルではなく、この医療少年院にいる少年
公園にある鉄棒や、ブランコ、砂場などが、どのような歴史で入ってきたのかが気になっていろいろ調べてみました。 現在のような遊具が日本に入ってきたのは、幕末から明治初期にかけてのことだそうです。明治政府が日本の西洋化・近代化を進めることを目的とした施策に沿って、寛永寺(上野公園。1873年(明治6年)が開園、1876年(明治9年)完成)や増上寺(芝公園)の境内などが、日本初の公園に指定されています。日本で初めて「公園」という言葉が使われたのも、この時です。園内に遊具が登場する
今年の夏は息子と近所の森に行き、カブトムシや、クワガタ、トンボ、セミなどを捕まえに行きました。 週末や、仕事の合間などに森へ行き虫を捕まえて一緒に観察をし、虫について図鑑で調べるという作業を何回も繰り返しました。 一日私に休みがあった時に森に行ったときの話しです。 その日は9時頃に森に行きました。するとカブトムシやクワガタが樹液にいたり、アブラゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクボウシが森の中で鳴いていました。その日は、カブトムシ、ノコギリクワガタ、コフキトンボを捕まえて観察。
人間の魂の重さを測る実験 米・マサチューセッツ州の医師であったダンカン・マクドゥーガル博士がある実験を行なっていた。入院している結核患者が横たわるベッドを秤で計量し、死の直後の体重の変化を調べた。マクドゥーガル博士は6人の患者を計量し、死の瞬間に立ち会い死の前後の体重の変化を記録し、死後に肉体から離れていく『魂の重さ』を割り出すという実験を行っていた。 遺体は死後そのままにしておけば乾燥していくため軽くなること知られていて、この実験でも死後、時間が経つにつれて遺体は軽くな