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わたしが「対話」を仕事にする理由

ひと と話すことは、自分を知ることだ
と、つくづく思う

ひと  と話すと、うんうんと同意できることもあれば
ん?と感じることがある

その「ん?」は、自分が見ている世界を知るきっかけだ

なぜわたしが「ん?」となるのか
そこには、わたしの何があるのか

それを丁寧に紐解くことで、自分のことを知ることに繋がる
そこにあるのは、自分が生きる意味

なのかもしれない

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すべては、起こるべくして起こっている

コーチ仲間と話す中で
「すべては、起こるべくして起こっている」という言葉があった

わたしには、手放しに「そうだね」とは言えないものがある
もちろんこれは、その人の意見を否定しているということでは全くない

人が世界をどう見ているかは、その人の自由だ

ただ、私の見えている世界では、その言葉はなかなかに重たい言葉だ

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何周も、何周も

幼少期から、私の家族では実に様々な人生の終わり方があった

生まれる前に亡くなる
小さくても亡くなる
家族の不注意が、家族の命を奪う
自分でも、亡くなる
他人によっても、奪われる
医療ミスで、亡くなる
交通事故で、亡くなる
病気で、亡くなる
未知のウイルスで、亡くなる

様々な人生の終わりとそこに付随する感情を
間近で見たり、味わってきた私には
これらも全て、起こるべくして起こっていると
真っ直ぐには言えないなにかがあった

災害で亡くなるのも
戦争で亡くなるのも
飢餓によって亡くなるのも
すべて意味がある…?

当事者も、本当にそう思えるのだろうか?

もちろん、それもその通りだな、と感じる私もいる
全てのことには意味があるし
意味をどう捉えるのかは、その人次第だ

ただ、「出来事」と、そこに付随する「感情」を
「必然である」「意味がある」にまで到達させるには
何周も   何周も  何周も  何周も
自分を探求していく必要がある

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噤んで、閉じて、諦めて

思いがけない死には、いつも行き場のない感情が渦巻く

そこには、驚き、悲しみや苦しみ、憤り、恨み、妬み
様々な感情がある

それなのに

いくらその言葉を訴えても
いくら感情に働きかけても
届かないこともあるのだと気づいていく

その出来事と感情は
まだちっとも終わっていないのに
人や、大きな圧力を前に
ぶっつりと分断されていく

死んだ人は決して、戻らない

【終わったこと、過ぎたこと、どうしようもないことだ】
と、何かを諦めたように口を揃えて話す

子どもの頃から
これが不思議でたまらなかった

なぜ、大人はもっと声を出さないのだろう?
どうして言いたいことを言わないんだろう?

歳を重ね、少しずつその意味がわかってくる

「ネガティブ」と呼ばれる感情に留まり
そこに居続けることは、ものすごい量のパワーを要し
様々なものを奪っていくのだと

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だから人は
口を噤み、目を閉じ、感情に蓋をして、諦めていく

まるでそこには、何もないかのように
何も起こらなかったかのように
生きていく

じゃあ、この感情は、この出来事は
亡くなった人の人生は、亡くなった人が届けたかったメッセージは
それを受け取っていた私たちの感情と時間は
一体どこにいってしまうのだろう

これは、「亡くなる」ということだけに起こっているのではない

世界の様々な場面で、この現象は起きている

確かに、そこにあるのに
そこには何もないように

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世界は、時に残酷だ

世界の物事や感情に
意図を持って光を当てているのは誰か

弱い人が助けられる世界だとは、限らない

それでも私は
世界を諦めたくない

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恨みと、愛

わたしには、恐れていることがある

ここに書くことで起こることを予言してはいけないから明記することは避けておくが

もしも、恐れていることがおこったとき
わたしは一体どうなってしまうのだろう
という恐れに付随する感情にも、恐れを抱いている

わたしは、人を愛したい
世界を、慈しみたい

誰だって、可能性のある存在として生まれてきているからだ

とんでもない何かを犯した人にも
そこに至るまでのストーリーがある

だからこそ、わたしだって何かの拍子に
人を恨み、憎み、殺めてしまいたいと思うほどの
復讐心に駆られてしまう可能性がある

様々な死や事柄に直面する中で
それに類似した感情がにわかに湧いては
急いで摘むこともあった

人が道を外すきっかけなんて、ほんの小さなスイッチに過ぎない
それが道を外したのかどうかだって、誰にも分からない
それはその人にとって一つしかない道かもしれない

だから私は、自分を一番恐れていた

すべての人のことを愛し、
すべての人を赦し、
世界は美しいと願う私が
人や、世界を恨んでしまうことが露呈することを

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パラヴァ―

人や世界を嘆くことを恐れた私は
ある時、テレビを捨てた

世界で起こっている悲しい出来事を見ない選択をしたのだ

あれほどに
あるものを、ないことにする世界や大人を嘆いていたのに

いつの間にか、自分がそれを実行していた

テレビがない生活は、わたしの世界だけを穏やかに見せた

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そんなとき、とある人から
アフリカには「パラヴァ―」という対話があるのだと教わった

例えば殺人が起こったときにも
法律のようなもので分断し、解決したかのように見せ、感情や人生をなかったものにするのではなく
両者の対話を何度も何度も繰り返していくことで
両者の合意を得るというのだ

これを聴いたとき
わたしの世界に、静かに、そして確実に
たった一つの活路が現れた

今までの私の世界には、人生を揺るがすような衝突、対立、出来事が起きた時には「分断」することや、「1人で」解消する方法でしか、解決することができないと感じていた

復讐や怒り、悲しみ、嘆きの感情の連鎖を生まないよう分断することや1人で解消することで世界のすべては回っているのだと思っていた

でも、まさか

対話によって、それらが分断されるでもなく
どちらかが折れるわけでもなく
双方で「合意する」という方法があるのか…!!!!

この時の衝撃は、とても静かだったが
時間が経つにつれ、涙が止まらなくなっていた

今まで抑えてきた様々なものが、言語化できない感情と共に流れた

これが日本に、世界に広がれば
今まで【ない】とされてきた人たちの感情、言葉、人生を【ある】ものにできるかもしれない

甘い考えかもしれない
夢みたいな話かもしれない

それでも、私の中にはひとつのビジョンが生まれた

わたしは、対話で世界を救おう

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ひとが、言葉を話すこと

このビジョンに気づいた時、
自分の見えている世界がぐぐぐっと広がるのを感じた

世界と自分の分断が無くなった気がした
すべての人が、もしかしたら救われる方法なのかもしれない

世界の在り方を嘆き
それでも何をして良いかわからなかった私だったが
知らないうちに「対話」という世界に足を踏み入れていた

今までの人生の様々な点が繋がり
線や面になっていく気がした

それに気づいても、なにができるかは、まだ分からない
どこまでやれるのかも、分からない
でも、やることは決まった

家庭の、日本の、世界の
様々な感情の衝突や対立、分断に
対話という場を作っていこう

分断でも、一方通行な訴えでもない
上下も頂点も中心も生まず、
まぁるく繋がり、双方向な対話がなされる世界を目指して

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おわりに

最後まで、読んでくださり
ありがとうございました

人生というのは不思議なもので
様々な選択をしてきた私の点と点は
大きな意味を持ってつながりを見せてくれる時があります

これからは
1on1のコーチングはもちろん
最小単位である組織の家庭や
特にエッセンシャルワーカーが働く場所に
対話の場作りを行なっていきたいなと思っています

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わたしは、子どもがとっても大好きで
私の活動の1番の原動力はそこにあります

私が幼い頃抱いた
「世界を諦めていく」
思いを子どもたちがしなくて良いように

子どもたちが、自分や明日や人や世界に
希望を持つことができるように🌎

子どもたちが持つ無限の可能性を
大人が育んでいけるように🌱

子どもを取り巻く家族や組織に
対話の場を広げていきます!

がんばるぞー💪😤‼️

現在しているサービス
🟠個人の対話のご案内はこちら


🟠2on1の対話のご案内はこちら


🟠家庭のスタート、ママの自己実現の講座はこちら


今後、活動はさらに拡大していく予定です!

冬に
🔵夫婦や、カップル向けのワークショップ(?)
を企画予定☺️

2024年春からは
🔵エッセンシャルワーカー向けの講座の場作り
🔵エッセンシャルワーカー向けの組織開発
を始めていきます

メラメラしている…🔥🔥🔥
がんばるぞー🌏‼️

読んでくださり、ありがとうございました

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