2023.7 「無人島のふたり」山本文緒著を読んで
この本は医療ものだがいわゆる著名人の闘病記ではない。本人が「お別れの日記」と書いている。
山本さんは2021年4月に体の異変を感じて病院で検査を受け、膵(すい)臓がんと診断されたときはすでにステージ4bになっていた。もう完治する見込みはなかった。
抗がん剤治療で3か月ほどの延命が期待できたが、受けてみるとあまりに辛く、1回で中止してしまう。残った選択肢から在宅での緩和ケアを選んだ。夫とふたり、無人島に流されてしまったかのような日々が始まる。
余命は4か月。120日。「人生があと120日なら短いが、死ぬまでのカウントダウンなら長いかも」という感覚だ。
元気なうちに親しい人とのお別れをしていく。夫の妹、母や兄といった親族、世話になった編集者、作家仲間。「余命4か月でもうできる治療のない人にかける言葉」って本当に難しい。見舞いを待つ方も見舞いに行く方も双方の緊張感が伝わってくる。
調子のいい日は身辺整理をしていく。大好きだった服やバッグ、たくさんの本、車。次作のために用意した資料も処分する。夫には葬儀のときに呼ぶ人や銀行口座のIDやパスワードを伝える。未来を失った悲しみが淡々とした文章ににじみ出る。
近所で打ち上げ花火がある。浴衣を着た女子高生を見て、自分も浴衣を着て夏祭りに行った思い出がよみがえる。「思い出は売るほどあり、悔いはない。悔いはないのにもう十分だと言えない(7月21日)」と生への未練を捨てきれない。
病状は進行して、ささやかに楽しんでいた夫とのカフェや散歩が難しくなり、家の中での階段の昇り降りも辛くなる。
余命宣告の4か月が過ぎると日記の行数がだんだん短くなる。それまで文中を賑わしていた医療以外の本や食の話題がなくなる。もう余裕がないのだろう。9月末になると文章が乱れ、もう涙なしには読めなくなる。
10月13日永眠。
山本さんは直木賞をはじめいくつかの文学賞を受賞しており、作家としてそれなりの達成感はあったと思う。ただやりきった感はなく、この本からは無念な思いがひしひしと伝わってきた。いまとなってはご冥福を祈るばかりである。