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正午を過ぎた

 40歳になりました。嬉しいことにSNSでお祝いの言葉を頂きます。ありがとうございます。見た目も中身もすっかりおじさんに成り果てたので、この歳になって誕生日がめでたいとは思いませんが、今こうやって暮らしているのも日々周りの皆様に支えてくださっているからこそと思って感謝しています。

 誕生日。自分に大切な人や家族が出来てから、祝われるものから祝うものに変わって、気づけばもう随分と月日が流れました。自分の誕生日を迎えても、あぁ歳を取ったなという感慨しか湧かず、自分で自分を祝う気にもなれず。同世代の男性で自分の誕生日にヤンヤヤンヤと騒いでいる人もあまり見かけないので、そんなもんなんだと思います。

 けれど今年、私は40歳になりました。平均年齢を80歳とするならば、折り返しです。人生を1日で例えるなら、正午を過ぎました。

 祖母は100歳近くまで生きたから、遺伝で私も長生きするかもしれないし、あるいは健康に気を使った丁寧な暮らしをしているわけでもないから、80歳まで生きないかもしれない。いずれにせよ、自分がいつ死ぬか、そのカウントダウンの数字がまだ見えていないので、おおよそ折り返しくらいなんだろうと感じています。
 節目だしせっかくだから・・・という気持ちもありつつ、日頃の感謝を込めて、思いの丈を筆に乗せることとしました。宜しければご笑覧ください。

キャリアについて

 実にありがたい話で、2008年に新卒正社員でキャリアをスタートさせてから、2024年の今に至るまでずっと仕事出来ています。
 子どもの頃は、大人は定年まで毎日働いて当たり前なんだとずっと思い込んでいました。キャリアを連続させることがいかに難しいか・・・私はありがたくもチャンスに恵まれました。

エンジニアリングの原点

 思い返せば10歳のクリスマス(30年前!)、父に初めてのパソコンを譲ってもらったのが、このキャリアの出発点でした。今は懐かしのMacintosh Color Classic IIです。OSも漢字Talk 7。
 Hyper Cardでかんたんなゲームを作ったのを良く覚えています。全部英語なので全然わからなくて、英和辞典を片手に日々ガチャガチャとやっていたのが懐かしい。インターネットもダイヤルアップ接続だったから時間に制約があって、よく親に怒られました。
 10歳の私は、きっと僕はこれを仕事にするだろうと、薄々感じていました。その日、少年は運命に出会う。
 そこからは単純でした。コンピュータの仕事につくためだけに理系に進んで、好きでもない数学や物理を勉強して、まるで土地勘のない福島県会津に単身乗り込んで、大学でコンピュータサイエンスを学んだのでした。基礎教養科目が終わってアルゴリズムの勉強が始まったときの嬉しさたるや。
 酷暑の日も雪降り積もる日も、毎日のように大学に通って、大学の計算機でプログラミングをしていました。最終的に作っていたのがJavaのRSSリーダーだったと思います。当時はブログが流行していて、RSSリーダーもできが良いのがいくつもあったのですが、だからこそ同じようなものを自分で作ってみたいと思ったんです。出来は散々でしたけど。それでもその経験があったから就職活動にはあまり困らなかったのかもしれません。12年かけて、10歳のときに思い描いた職種に、ようやく手が届きました。

見栄と挫折

 大企業に入って、多くの人に価値が届くようなプロダクトをつくる。自分はこれまでコンピュータだけはそれなりに頑張ってきた。そんな傲慢がありました。半年で鼻っ柱を折られました。そりゃ当たり前な話で、こっちがだらしない学生生活を送っていた頃からプロの世界でコーディングしていた先輩諸氏が山程いるので、かなうわけもないのでした。認められるためには、とにかくコードを書くしかない。日々勉強するしかない。でもそれが楽しい。
 そうしているうちに、なんとなくこれは生き残っていけそうと思ったときに、もっと技術力を伸ばしたいと思って初めての転職。なんとなく経験が通用すると思ったんですが、全然通用しない。悔しくて勉強して、ようやく慣れた頃に異動して、今度は全く知識も経験もない領域。あれほど無力感に苛まれた時期はなかったのでした。今となっては良い経験だったとも言えるのですが、当時は毎日が地獄で、しまいには拒食症になる始末。
 技術ばかりに目を向けるのをやめよう、ちゃんとプロダクトに向き合って、職種を越えてチームで開発できるようになろう。こうやって2度目の転職。このとき30歳になっていました。この会社が、30代の大半を過ごすことになった会社なのでした。自分のことだから、飽きたらすぐ辞めるのかなと思ったけど、ここでも挫折するたびになにかチャンスと言うか、周囲のサポートやアドバイスがタイミングよく得られて、そのたびに立ち上がることができたのでした。

ロールチェンジ

 正直なところ、エンジニアからマネジメントに移るのは、大きなためらいがありました。もう戻れないと思ったし、負荷が高いと思ったし、何より向いていないと思っていました。それなのに、2017年にエンジニアリングマネージャーにロールチェンジを果たして、気づけば6年以上はこの仕事を続けています。実際、もう第一線のエンジニアには戻れないと思うし、明らかに負荷(というかストレス・・・)が高いし、インターネット上でキラキラしているEMと比べれば、EMに向いてないのかなと思うときはよくあります。
 何か成長したか、変われたか、と問われると、言葉に詰まります。EMになりたての頃に頂いた言葉の数々を、今は私が自分の言葉で同僚に伝えています。それを成長を言っていいのか。もう40歳なのに、そんなちっぽけなインパクトで満足していていいのか。
 キャリアで言えば、エンジニアリングマネジメントをスペシャリストとして突き詰めていくケースもあるでしょうし、VP of Engineering を目指すというケースもあるのでしょうけど、多分それは必然性があって発生する変化なので、そういう運命を感じるときがきたら、自然にそうなるんだと思っています。

家族と生活について

そんなはずじゃなかった

 子どもが生まれてから、家族ほど多様な在り方があって、正解のないものはないと感じるようになりました。困ったときに誰かに助けを請おうにも、誰も答えを持っていない。自分で考えて行動するしかない。
 子どもが生まれて3年、誰かに預けることもなく、親に頼ることもなく、ただ妻と自宅で哺育する日々。育児と家事と仕事、全部やって当たり前と思ってがむしゃらにやってきて、自分のことは全部諦めて後回しにして、それなのに気がつけばどれもこれも中途半端な、思い描いていた父親とは全く違うボンクラになっていたのだから、もう笑うしかありません。どうせ仕上がりが中途半端なら、いっそ自分にも中途半端に甘くても良かったのに、ただの一人負けでした。
 自分は頑張っているのだからいい父親になれる、という発想自体が傲慢でした。それに気づくのに2年以上の時間がかかって、心がだいぶ擦れました。ボンクラなんだからしょうがないよねぇ、という開き直りを手に入れてから、心にダメージを受けても、いつまでもズルズル引きづらずに比較的短期で復帰できるようになってきたように感じます。レジリエンス。

生活の変化

 5月から息子は幼稚園の満3歳児クラスに入園します。息子にとっては大きな挑戦。親にとっては・・・未体験だからわかりませんが、やっぱり大変なんだろうなぁ。けれど、四六時中一緒にいるのが当たり前だった生活が、1日の中で少しだけ離れて過ごすというのは、新しい変化なんでしょうね。私の知らない、息子しか知らない時間と経験が、これから少しずつ増えてくる。
 嬉しいような寂しいような・・・やっぱり嬉しいほうが勝つかな。彼はどんな価値観を得るのでしょうね。
 息子がいない時間でなにをしようか。妻とたまに話します。私は決まって焼肉と答えています。息子が生まれてから、ずっと足が遠のいていました。火が危ないし、幼児が食べられるものが少なそうだし。別に大好物と言うほど好きではないのですが、しばらく行けないとなると、なんだか意識してしまっていたのでした。
 こうやって少しずつ、子どもが生まれたことで遠のいていたことをできるようになるのも、息子の成長を感じられる瞬間です。

初老になった自分について

健康第一

 2024年の抱負でもあるのですが、健康なくして何事も始まらないので、病や怪我には十分に気をつけて暮らしたいですね。

 健康診断は先日行ってきて、もう間もなく結果が返ってくると思われるのですが、本当に怖いですね。毎年劣化を感じます。何もしてないんだから劣化して当たり前なんですが。

外に出る

 以前ビジネス系のカンファレンスに参加した際、1年ほどお会いしていなかった方に久しぶりにお会いできたので挨拶したところ、数秒「お前誰だ・・・?」の空気になりました。フルリモートワークになって外出が減ったことに加え、日頃は仕事を終えたらすぐ育児なので、家族以外の誰かと直接会うことを怠ってきた結果だと恥じました。忘れられることの怖さを思い知りました。
 少しずつ情報発信しないといけないなと焦っています。そして機会あれば直接会うことをためらわないようにしたいと考えています。

無関心な自分を変える

 「時間があったら何をしたい?」「お金があったらどう使いたい?」こういう質問をされると結構困ります。自分がしたいこと、欲しいものってなんだろう。考えているうちに思考停止しそうです。
 現実的な余白時間でできること。なんだって良いと思うのですが、すぐさま出てこないので、たまに悩みます。仕事しなくなったらボケそう。

最後に

 10年前の今頃、当時はnoteのアカウントを持っていなかったのでFacebookに記していたのですが、誕生日に際し自分はこんなことを言っていました。

皆様のおかげで30年間なんとか頑張ってこられました。これからもご指導のほどお願い致します

Facebookより

 ここから10年。あっという間だったような気もしますけれど、起きた出来事を振り返ると、一瞬で通り過ぎてしまったと表現するには、ちょっともったいない気持ちです。出来事のひとつひとつが積み重なって、今の私を形作っています。それらはもちろん私一人で越えてきたわけではないので、いつも支えてくださっている皆様に、改めて感謝します。

 そして。「これからもご指導のほどお願い致します」って、へりくだっているように見えて結構なTAKERですね。10年前はそんなつもりは毛頭なかったけれど。
 これからは少しずつ恩返しできるよう、自分の持っているものを周りの皆様に還元していこうと思っています。

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