待ちぼうけ
夏休みが終わったなあと思っているうちに、もう10月。9月が一週間ぐらいしかなかったような感覚です。このままだと、ぼんやりしているうちに今年が終わりそうなので、なるべくここに文章を書くことで、問答無用に流れていく時間の川に石を投げ杭を打ち、わずかでもしぶきを立てたいです。
秋は、学校関係、部活関係の行事(およびそのための準備期間)が多くて、平日も土日も、車で送迎ばかりしています。送りはまだいいのですが、迎えのほうは、終了時間がわりと平気で遅くなったりするので、そういうとき、車の中で待っている時間がじんわり苦痛です。あまりにも長く待たされると、私の時間って一体何なんだろう・・・という、怒りのような虚しさのような感情が湧いてきます。
先日、夫の運転で中学校へ迎えに行き、駐車場で30分以上待たされたとき、夫がうつろな目で「こういう時間って、人としての尊厳を傷つけられていると感じる」と言っていて、自分の感情の正体が分かった気がしました。人はむやみに待たされすぎると、自分の人生が自分のものでなくなっていくような感覚に陥ります。
しかし、田舎の車社会なので、こればっかりはどうしようもなく、あと数年は耐えるのみ。「わが子のため」という魔法の言葉、使い過ぎてちょっと効力が弱まってきた感じもするし、思春期のふてぶてしさで木っ端みじんになる瞬間もあるけれど、そんなときは赤ちゃん時代の写真を眺めることで魔法の言葉の効力をなんとか回復させて、育てきるまで頑張るのみ。運転席でエンジン切って、シートベルトを締めたまま、無我の境地を目指すのみ。