今朝のニュースで、谷川俊太郎さんが亡くなられたことを知りました。少し前にはせなけいこさんも亡くなられて、わが家の本棚を彩っている作家さんたちの訃報が続きました。それで、久しぶりにまた、本棚の絵本に手を伸しました。谷川俊太郎さんにも、せなけいこさんにも、本当に、お世話になりました。 せなけいこさんの絵本は、子どもたちの食いつきが最高に良くて、いつの間にやら、たくさん集めていました。どの絵本も、覚えるくらい何度も何度も読みました。最初に買ったのはたしか『ねないこだれだ』で、寝な
小学校から帰るとすぐ、次女は折りたたみ式の作業台を出して、ものづくりを始めます。ある時はお絵描き、ある時は手芸、またある時は段ボール工作、ある時はコマ撮り撮影、最近ではスライ厶づくりなども始めました。 少し前までは、それらすべてをリビングの食卓テーブルでやっていたのですが、接着剤やら画材やらいろいろ付着して毎回拭き取るのが大変なので、作業台として小さな折りたたみ式テーブルを買い、そこで好きなだけ作業してもらうことになったのでした。 宿題を始める時間が来るまで、作業台の上に材
次女が学校の課題で水彩絵の具をしていたので、私も一緒に水彩絵の具でお絵かきしました。私の推し、まふまふを描いたつもりです。次女に言われて、ほっぺたにバーコードも書き込みました。せっかくがんばって描いたからnoteに上げたいという欲求もありつつ、大きい画像だと粗が目立って素人っぷりがばれるという恥ずかしさもあって、小さい画像にしました。 好きな人の絵を描いていると、とても豊かな気持ちになれます。一度描き始めると数時間はかかるので、時間がなかなか取れなくてごくたまにしかできませ
ここ一年で視聴した韓国ドラマ、結構たまってきたので、記録として感想を書きたいと思ったのですが、感想文はどうも不得手で、うまくまとまりません。以前ここで『トッケビ』の短歌を詠んだのがとても楽しかったから、ほかの作品でも感想の代わりに、短歌を詠むことにしました。 心に引っかかったことは、短歌にするのが一番手っ取り早くて好きです。二十代の頃などは、自分の心の海原に釣り糸を垂らしておけば、いくらでも引っかかってきたものですが、最近は水質が変わってそう簡単に引っかからなくなったので、ド
私はロックが好きです。とはいえ造詣が深いわけでは全然なく、自分が知っているごくわずかな範囲のロックですが。 中学生のとき、B’zにはまったのが、たぶん人生最初のどはまりロック。キャッチーなメロディーと、的を射ていて生きる力をくれる歌詞と、そして何より、最強にかっこいい稲葉さんのビジュアルに、14歳の心はとりこになりました。好きすぎて、部屋中、稲葉さんのポスターだらけでした。 大学生のころは、スピッツを筆頭に、いわゆるロキノン系の邦楽ロックを、私にしては幅広く聴きました。大
若い頃は周りから、なるべく思慮深く賢い人間に見られたいと思っていました。それがいつのころからか、浅はかでちゃらんぽらんな人間と思われてもいいから何も期待されたくない、と思うようになりました。実際、私はあまり思慮深いほうではないと思うし、そのほうが楽だから。 夫はいつも私を、優しくない人間だと言います。いつも自分のことで精いっぱいのあなたに周りを思いやる余裕などあるはずがない、と。夫以外の人からは、親からも妹からも友人からも、優しいとか温かいとか、いつもそんなふうに言ってもら
9月からずっと準備が続いていた、娘の大きな行事がようやく終わって、ほっとしました。日々、仕事をして、送迎をして、家事をして、その合間でドラマを見て、10月ってあったっけと思うほど、あっという間に時が流れていきました。 先日、華やかなマーチングバンドの生演奏を見て、エンターテインメントって素晴らしいなあ、ありがたなあ、と思いました。たくさん練習を積んで、全力でこちらを楽しませようとしてくれる人の姿に触れると、どんな世の中であれ、ともかく元気に生きていこう、という力が湧いてきま
韓国ドラマを見るようになってから、若干コールドスリープ状態だった心が、再び脈打ち、息を吹き返しました。 コロナ禍と夫の失業、それに伴う娘たちの転校など、不本意なことがいろいろ続いて、しばらく私の心は荒んでいました。人生って全然思いどおりじゃないと思い知り、子どもさえなんとか育ってくれたら、あとはもうどうでもいいやと、ふてくされていました。それまで楽しめていたこともあまり楽しいと感じなくなって、とにかく「どうでもいい」「つまらない」という無気力な感情が、頭を支配していました。
遠方で祖父の葬儀があったりして、慌ただしい1週間でした。お葬式では、ちゃんと泣くことができなくて、重たい疲れが残りました。いつも、同じ孫である妹やいとこたちは葬儀で泣くのに、私は泣けなくて、今回も震える妹の背中を撫でながら、悲しむべき時にきちんと悲しめる妹を、ぼんやり羨ましく感じていました。 私だって、幼い頃から自分を可愛がって育んでくれた人の死が、悲しくないはずはなく、胸はずしんと苦しいのだけれど、お葬式という非日常のいかにも儀式っぽい雰囲気が、私から現実感を奪って、ごっこ
屈託なく健康自慢をする人が、私は苦手です。健康は感謝するものであって、決して自慢するものではないと思うから。誰だって好きで病気になるわけではないことぐらい、ちょっと想像したら分かるだろうにと、怒りが湧いてしまうから。 しかし、その一方で、何か自分にとって大きな出来事があるたび、思い知るのです。どんな痛みも苦しみも、本当のところは、実際に味わってみないと分からないのだということ。想像するのと体験するのとは、まるで違うのだということ。 だから、浅薄な知識と安易な想像で分かった
認知症を患い長らく施設で静かに暮らしていた祖父が、亡くなりました。幼いころ、たくさんかわいがってくれて、遊びに行くたびいろいろなところへ連れて行ってくれて、おもちゃや本も買ってくれて、楽しい思い出をたくさんくれた、大好きな祖父でした。 これで、私の祖父母は、父方母方ともに、みんないなくなってしまいました。生まれた時から無条件に私を愛してくれた人がこの世から去ってしまうたび、寂しいとか悲しいとかの前にまず、ずしんと、自分の体の一部が抜け落ちたような、そして、抜け落ちたのにかえっ
気温の変化とホルモン周期的の影響で、寝付きの悪い期間に突入しています。大体、月の半分ぐらいは寝付きが悪いのです。 子どもの頃から寝付きが悪くて、幼い頃は親を困らせました。妹は母の子守唄でたちまち寝てしまうのに、私は少しも眠くなくて、むしろ昼間より活発に考え事が浮かぶくらいで、妹が難なく眠りに落ちるのが、いつも不思議でたまりませんでした。 妹が寝たら母は子ども部屋から出ていってしまうので、私はそれが寂しくて、わざと音を立てたりして、寝ていないアピールをしていました。寝ている部
暑さがやっと和らいだなあと感じ入る間もなく、一気に寒いくらいの気候になり、身も心もあたふたしています。季節の巡りって、ここまで乱暴に人を振り回すものだったっけ。慌てて家族全員の布団を冬物に変えました。近いうちに、衣替えもしなくては。 寒さと雨のせいか、心の中が、静まり返っています。もう少し若い頃は、秋になると、疎遠になったいろいろな人に会いたくなっていました。秋が呼び込む淋しさが、そんな思いを掻き立てていたのでしょう。だけど今は、とくに誰に会いたいとも思いません。ただ、もう
新しい朝ドラ、舞台が平成ということで、当時の流行りや空気感を思い出しながら、ゆるゆる楽しんでいます。朝ご飯を食べながら見るのに、ちょうどいい感じかも。ギャルという存在も懐かしいです。 ギャルと聞いて最初に思い浮かぶのは、中学時代、同じ部活で後輩からひそかに「ボス」と呼ばれていた、迫力満点の先輩のこと。もはや1ミリも切る余地がないほどスカートを短くして、地を這うようなルーズソックスを履き、ソックスに埋もれそうでも上履きは煌びやかにデコり、校則に引っ掛からない程度にカールした髪
夏休みが終わったなあと思っているうちに、もう10月。9月が一週間ぐらいしかなかったような感覚です。このままだと、ぼんやりしているうちに今年が終わりそうなので、なるべくここに文章を書くことで、問答無用に流れていく時間の川に石を投げ杭を打ち、わずかでもしぶきを立てたいです。 秋は、学校関係、部活関係の行事(およびそのための準備期間)が多くて、平日も土日も、車で送迎ばかりしています。送りはまだいいのですが、迎えのほうは、終了時間がわりと平気で遅くなったりするので、そういうとき、車
一昨年『鎌倉殿の13人』、そして今年『光る君へ』にはまっているので、その2作のちょうど間の時代を描いた『平清盛』もぜひ見たくなり、思い切ってNHKオンデマンドに登録。これは大変!面白い!つい一気見して寝不足!