見出し画像

『ボロボロのエルフさんを幸せにする薬売りさん』序「暗闇からの祈り」〜第一話「ボロボロのエルフ」①



序 暗闇からの祈り


 カエリタイ
――――帰りたい
 オウチ ニ カエリタイ
――――帰りたいよぉ
 オウチ カエリタイ
――――痛いよぉ……苦しい、よぉ
 カエリタイ カエリタイ カエリタイ カエリタイ
――――指も腕も足も目も口も胸も背中もあぁもうなにもかも
 オウチ……
――――痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて……っ
 ワタシ ノ オウチ
――――もう、いやだよぉ……
 ドコ?
――――ここはどこなの
 オウチ ドコ?
――――真っ暗で、なにも見えない
 カエ リ タイ
――――帰りたいよぉ
 オウチ
――――おうちに帰りたいよぉ
 ワタシ……ノ オウチ
――――でも
 オウチ……
――――でも、もう。なにも、見たくない
 オウチ ニ カエリタ イ……
――――もうなにも、思い出したくないの…………


第一話 ボロボロのエルフ


 貴女あなたと出会った日のことを。きっと私は、生涯忘れることはないでしょう。

***

 山一つ離れた街への買い出しの帰りは、毎回大荷物だ。
 田舎いなかの小さな集落で薬売りとして工房を営む私にとって、こうした場に来なければ手に入らない物があまりにも多い。同じ集落に住む馴染なじみからもついでのおつかいとして頼まれている物もあるため、できるだけ素早く見て回る必要がある。
(さて。今日はどこから回るか――)
 事前に書き出しておいたリストを見つめながら、通りを歩いていたときだった。
「お。薬売りさんじゃないか」
 そう声をかけてきたのは、質屋の主人だった。以前、たまたま店の前を通りかかったときに、腰をいためて立てなくなっており、手持ちの湿しっを分けてやったことがある。それで、顧客でもないのに覚えていたのだろう。「はぁ」とうなずき、私はそちらに足を向けた。いったいなんの用なのか――首を軽くかしげると、縛った短い後ろ髪がひょこりと揺れた。
「どうかしましたか。また腰の調子でも」
「いや、そうじゃなくてね。ちょうど良いところに来てくれたよ」
 ちょいちょいと手招きをされ、店内に入る。幸い、街に来たばかりでまだ荷は軽い。主人は私が店に足を踏み入れたのを確認すると、そのまま奥へと入っていった。
「用件はなんでしょう」
「いやー、あんたならアレを活用してくれそうだからね。ちょっとこっちに来てくれ」
 店の奥は、商品倉庫のようだった。いぶかしみながらも進むと、困った顔をした店主が「実は、お偉いさんから厄介なモンを押しつけられちまってね」と扉を開けた。
 ほこりっぽい空気に、鼻がむずむずする。扉の外から差し込んだ光で、空気中のごみがちらちらと輝いて見えた。
 そして。
「……っ」
 そこにあったもの――いや。いる人・・・を見て、思わず絶句する。
 金色の髪。すい色の瞳。抜けるような白い肌に華奢きゃしゃな身体。
 それは、エルフの娘だった。
 エルフは森に生きる長命種族であり、縄張り意識の強さからめっに表へと出てくることはない。
 そもそも、八十年前に起きた戦争をきっかけに大陸に住む五種族は互いに敵愾心てきがいしんを抱きながら生活しているということもあり、イルダ人人間とエルフも友好的な関係とは決して言えない。それどころか、イルダ人の中には、エルフを奴隷として売買する商人や貴族がいるという噂もあった。
 質屋の主人も、大した感慨かんがいもなく「コレ・・ね」と言った。
「散々、もてあそばれて捨てられたエルフだ。バラせば薬なんかの素材になるらしいけど、そんな伝手つてはなくてね」
 どう、いる?
 軽い調子でたずねられたその言葉に、すぐに返事をすることができなかった。
 目の前のエルフは、少し見ただけでもひどい有様だった。ほとんど布切れのようなボロをまとっただけの身体はあちこちに深い傷があり、両手両足の全てに包帯が巻かれている。彼女は、部屋に入ってきた私たちを一瞥いちべつすることもなく、ただうつむいていた。
「……ちょっと失礼」
 そっと目の前にひざまずき、指先に魔力マナで光をともして、簡単に診察することにした。

 包帯の上からそっと触れる。通常の肌ではあり得ない――ぐにゅりとした感触。おそらく包帯の下は、壊疽えそが進んでいる。慎重に手を取り、ゆるんだ包帯の先からのぞく指を見ると、がされたのか、爪がなくんだ傷口が見えた。
 全身に、ミミズれを起こしてぷっくりとふくらんだむちあと――いや、それどころか傷口がえぐれている部分さえある。胸の中央には、大きなそうがぎちぎちとかぎきになって、斜めに走っている。
 指で、乾いた唇をそっと押し開く。口内を確認すると、ぽかりと赤黒い穴ばかりで、奥歯以外の歯が失われていた。
 更に分かることと言えば――今こうして照らしている間も光への眼球反応はなく、視力も失っているのだろう。そもそも、左眼球にいたっては物理的に消失・・・・・・し、暗く膿んだ穴があるのみだ。
 白い頰には、鋭い刃で傷つけられたような、大きな切り傷。それ以外にも顔のいたるところや細い首筋に、青黒いあざが暴力の痕として強く刻み込まれていた。
 なんて、むごいことを。
「もしもし……聴こえるかな?」
 驚かせないよう、できるだけ声を柔らかくして話しかけると、かろうじて耳が動いた。聴力はあるようだが、エルフの特徴である長くとがった耳は、両方とも大きな穴を空けられていた。穴の周辺は黒くげている。よほどの熱を持ったなにかで、抉られたような。
(酷いな……)
 外面がこれだけの傷を負っていて、内臓だけが無事ということもあるまい。もし私が処置や保護をしなければ、このは――。
(……ん?)
 ほんのかすかに、声が聞こえた。ぼそぼそと聞こえてくる声に耳を澄ますと、たどたどしい口調で語られるその言葉の意味がようやく分かった。
「オウ……チ……オウチ。カエ……タイ……」
 ――おうちに帰りたい。
「……ッ」
 店主と。そして目の前の娘がいなければ、壁を殴っていたかもしれない。それくらいの怒りが、腹の奥からぐっとせり上がってきた。
 おそらくこの娘はいたずらに傷つけられた上に、エルフの身体を素材とした万能薬作成の被験者にされたのであろう。彼女の欠けた身体が、それを物語っている。そんなデタラメ・・・・な噂話のために、「家に帰りたい」というささやかな願いを何度踏みにじられたのか。
「で、どう? らなきゃ、他を当たるよ」



次回、第一話「ボロボロのエルフ」②⇓⇓
11月13日(水)公開