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第二話「薬売りの介抱」②

前回のおはなし⇓⇓

***

 気がつくと、空がしらんでいた。
「眠ってたのか……」
 寝た瞬間の記憶が全くない。驚くほどにない。昨日は三時間の仮眠しかとっておらず、山道を歩きどおしだったことを思えば、体力の限界だったということだろう。床で寝てしまったせいか、身体がこわっている。
 窓からの景色を見る限り、まだ日が昇り始めたばかりのようだが――身体を起こしかけたところでリズレと間近で目が合い、ギョッとした。
「お……っ、おはようございます!」
 まさか、患者の寝台の真横で寝落ちしてしまっていたとは。なんとなく申し訳ない気持ちになってしまう。
 目が合った、といってもリズレにこちらの姿は見えておらず、早起きしたらしい彼女は所在なさげにそわそわと周囲を気にしている様子だった。
「ン……」
(まぁ、リズレさんにしてみれば、今がどういう状況なのかも把握しにくいだろうしな)
 ただぼんやりとしていただけの昨日までに比べれば、良い兆候と言えるのかもしれない。そう観察していると、きゅるるっと小さな音が聞こえてきた。同時に、ぎゅるっと大きな音も、自分から。
「……」
「………」
 ほんの一瞬。目すら合わないのに、なにかが通じ合ったような気さえした。思わずふっと噴き出し、立ち上がる。
「朝ごはんに、しましょうか」

 思えば、二日続けて粥しか食べていないのだ。昨晩も思ったことだが、消化も早い分物足りなさがあるだろう。もちろん、味や食感に関しても。
 そんなことを考えながら、畑にくわを振るう。ドカリと地面に食い込ませて掘り返すと、中からミミズがにょろにょろと出てきた。土を豊かにしてくれる、大事な存在だ。それを避けるようにして、もう一度鍬を振り上げた。
 ――薬を作る上での素材の調達方法はいろいろあるが、私は栽培をメインにしている。昨日までのように留守をしているときは別として、畑の手入れは極力欠かしたくない。
(リズレさん、大丈夫かな)
 新しく種をく部分の土を全て掘り起こしたところで、あごに伝ってくる汗を手の甲でぬぐう。ちらりと工房に目を向けると、バルコニーで日光浴をしてもらっているリズレの姿がよく見えた。安楽椅子をゆらゆらさせながら、彼女はぼんやりとどこかを見つめるような目をしていた。風がわずかにそよぐと、鼻をひくつかせて匂いをいでいる。
 香りと記憶は結びつきやすいと言う――それで故郷を思い出しているのか、突然彼女の右目からぽろぽろと涙がこぼれた。庭は静かで、そのすすり泣く声がここまでよく聞こえてくる。
「ヒ……ッ……い、ウゥゥ……っふ、オウ、チぃ……ッ」
(――どうしたものかな)
 その涙の理由の本当のところなど、こちらに知るすべはないが――肉体的な傷はともかく、奥底まで抉られてしまった心の傷をいやすのに、自分がどれくらい役に立てたものか。
 どんなに親身に接しようと――私は人間の異性傷つけた側の同類だ。
「くっ」
 鍬を畑に叩き下ろす。
 せめて私にできることを。これ以上彼女が傷つかなくて良い方法を。考えて、考え抜かなければ――。
「オジさーん、こんにちはーっ」
 一仕事終えたところで、モネがやってきた。
「こんにちは。配達のお手伝いかい」
「んーん。今日はね……えへへ」
 鍬を置き、店を開けながら話を聞くと、モネはもじもじと身体を揺らした。それから、リズレを見てパッと顔を輝かせる。
「わ……っ本当にいた! 患者さんのおねぇちゃん」
 どうやら、好奇心で遊びに来たようだ。苦笑しながら、「リズレさんだよ」と言うと「リズレちゃん!」とモネは素直に言い直した。
「オジさん、リズレちゃんとお話ししててもいい?」
「ん……? あぁ、そうだね。構わないよ」
 店の方も、そうそう混むようなことはないから、他の客に迷惑ということもない。それに、私以外の誰かと関わることは、リズレにとって良い刺激になるかもしれないという期待もあった。
 私は店番をしながら、手持ちの資料を広げて今後のための書き付けをしていた。リズレの現状から、やりたいことはいくつかある。
(さて、付け焼き刃でどこまで役に立つか……まぁ、なにもしないよりはマシか)
「ねぇねぇオジさん、リズレちゃんはなんでお話ししないの?」
「うん? ……そうだね。たぶん、おしゃべりをしたいなと思うきっかけを、探してる最中なんじゃないかな」
 こんな小さな子に、リズレが受けた仕打ちを話すわけにもいかず、そんなふうに答える。とはいえ、でたらめを言ったつもりもない。リズレの心に届くようななにかがあれば、もしかしたらという期待は持っている。
「オジさん、見て見てー!」
 再度呼ばれて視線を向けると、モネが「ジャーン」とリズレを示していた。その頭には白詰草をはじめとする小さな花を束ねて作った可愛らしい冠が飾られている。見えなくともなにかあるのを感じるのか、リズレも目線だけ上に向けていた。
「器用だね。とてもきれいだ」
「ね、きれいでしょー! リズレちゃんはねぇ、オジさんのおヨメさんなの」
 無垢むくな笑顔でそんなことを唐突に言われてしまい、「んんっ!?」とおかしな声が出てしまった。
「いやいや、患者さんですよ! おを治すために来た人っ」
 私の慌てぶりが面白かったのか、モネはけらけら笑いながら「オジさんもきれいって言ったもーん」と走っていってしまった。
「またね! リズレちゃんっ」
 悪びれずに手を振る少女に、私はリズレに代わって力なく手を振り返した。
「花冠の話をしただけなのに……」
 そうつぶやくも、振り返った先にあるリズレの姿は、確かに「きれい」だ。細く豊かな金髪に、すい色の大きな瞳、白い肌。そこに素朴な花冠が飾られると、まさに物語などに出て来そうな「森のお姫様」といった感じだ。
「……リズレさんがこれを見ることができたら、どんな顔をするのかな」
 リズレの傷ついた心を癒すのは、きっとこういうできごとの積み重ねなんだろうなと思うと、この花冠を見てもらえないのがひたすら残念でたまらない。
(そもそも、光に反応しないほどに視力が落ちているというのはどういう原因か……心因性かもしれないし、それとも)
 なんにせよ、一朝一夕ではいかないのが治療というものだ。回復には時間がかかる。私は医者ではないものの、簡単な診察をしながら治療やケアを進めていく。身体の清潔保持に、薬の塗り直しと湿布の交換、消化に良い食事、充分な睡眠。リズレさんは自力で動くことが難しいため、血行促進のためのマッサージや寝ている間の体位の転換なども心掛けるようにした。手製の聴診器で心音を確認すると、やけに音が小さくあせる場面もあったが――それはおそらく、胸部の肉付きが多少良いためだろうと、すぐに気がつきあんした。
 効果のほどは分からないが、点眼薬も一日数回投与することにした。そして――一番大がかりとなったのは、入れ歯の作成だ。
 文献を頼りに、いのししの牙を削り出して成形することとなったが、嚙み合わせなどの調整もありリズレには何日も付き合ってもらうことになってしまった。
「――お疲れ様でした。ひとまず、これで使ってみましょうか」
「ア……う」
 つるりとした、白い歯。奥歯しかなかった彼女に上下の歯がそろうと、また一段見違えたような気がした。だが歯ができたことで、見た目以上に彼女に与えてあげられるものがある。
「リズレさん、今夜は歯ができたお祝いですよ」
 そう、私が用意したのは、牛飼いから分けてもらった肉を使ったステーキだった。柔らかい部位を酒に漬け、切れ目も細かく入れて焼いたため、ふつうのステーキよりも嚙み切りやすくなっている。ここ数日の食事の様子を見ていて、消化機能に問題はなさそうと判断し、出すことにした。なにより、味気ない粥以外のものを、リズレに食べさせてあげたかった。
「いただきましょう。――リズレさん」
 小さめに切った肉に、フォークがすっと刺さる。同時に、軽くげ目の付いた表面にはじわりと肉汁にくじゅうにじんだ。そのまま、ゆっくりとリズレの口元に持っていく。
 口に含んだ途端――リズレの目が、パッと大きく見開かれた。心なし、頰も赤くなっている。
「どう……ですか?」
「ン……ンッ」
 初めて食べさせるものだったので、やや心配もあったが――どうやらゆうだったようだ。リズレは新しい歯でよく咀嚼し、名残なごり惜しそうに飲み込んだ。それから鼻をすんすんさせ、こちらの気配をうかがっているようだった。
「ンー……あ……」
「大丈夫、まだありますよ。久しぶりの固形物なので、ゆっくり食べましょう」
 また一口差し出し、食べる。リズレの大きな目の端に、うっすらと涙が浮かんだ。――私にとっても久しぶりのご馳走だが、リズレにとってはいったいいつぶりになるのだろうか。
(歯も今のところ馴染んでいるようだし……良かった)
 また一口、ステーキを差し出す。リズレは待ちかねていたように、また一口ぱくりと頰張った。

 五感の刺激――それも、生理的欲求と結びつくものというのは、やはり大きいものなのかもしれない。その日を境に、リズレはゆっくりとではあるけれど、感応性を取り戻している様子だった。毎日のように顔を出すモネの声にも、ほんのり笑みを浮かべるような表情を見せる。
(これは……もしかしたら、思ったより早く会話ができるようになるかもな)
 またねと手を振るモネに、鼻をすんすんと鳴らしてこたえるような仕草をするリズレを見ながら、そんなことを思う。良い兆候だ――が、一つ懸念はあった。
 手足の壊死が、進んでいる。
 その進行度合いは本当にわずかずつで、包帯を毎日巻き直していても最初は気がつかないくらいだった。じくりと変色した患部。それがじわじわと、リズレの身体をむしばんでいる。
(ふつうの壊死にしては、進行が遅すぎる……なにか。なにか、あるのか)
 やはり、切断するしかないのか、それとも別の道が残されていないか――現状機能していないとしても、やはり四肢の切断というのはかなり思いきった選択であり、一介の薬売りである私には、決断が難しかった。
 ――可能なら、手足をまた使えるようにしてあげたい。そんな、願いが確かにあった。
(やっぱり……あの人・・・を頼るべきか)


次回、第二話「薬売りの介抱」③⇓⇓
11月18日(月)公開