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第一話「ボロボロのエルフ」②
前回のおはなし⇓⇓
店主の口調は軽かった。この店主はおそらく良心から薬売りである私に声をかけたのだろう。――彼女を、薬の材料として欲しくないか? と。
以前、世話をした礼のつもりなのかもしれない。この主人が特別に冷酷なわけではない――イルダ人の多くにとって、エルフやビーセリアなどの異種族人は、そういうものなのだ。食料にできたり農作業の役に立ったりする分、牛や馬の方が価値を置かれるほどに。
この娘の、命は。いったい幾らの値段を付けられているのか。
――吐き気がする。
「引き取ります」
私ははっきりと答えた。
「ちょうど薬に必要な部位は無事そうなので。手数料も多めに払うので、ご内密にお願いします」
店主はあくまで「薬の材料」として彼女を扱っている。ならば、表向きだけでもそれにのるのが彼女のためでもあった。いらない詮索を招くこと、耳目を集めること。それらを、できるだけ避ける。腸が煮え繰り返る思いを抑え込んで、支払いを済ませる。手続きは、呆気ないほどに早く済んだ。
「いやぁ良い取引ができて助かったよ。奴隷屋はキライだし、ウチで死なれてもねぇ」
約束通り、手数料を多めに払ったからか、店主はべらべらと調子良く喋っていた。実際、売れる前に死なれては困ると心配だったのだろう。良くも悪くも素直な店主に、「はぁ」と曖昧に頷く。
無駄話に付き合う余裕はなかった。できるだけ、処置を急ぎたい。
私は――彼女を、助けたかった。
私と同じイルダ人に傷つけられた彼女。差別というなくならない悪習により、帰ることすらできなくなった彼女を助ける。身に着けた、薬師としての技で。
それが私にできる精一杯のことであり――一種の罪滅ぼしになるような、そんな気がした。
「あんた、山向こうから来てるんだろ。街道通って帰るなら、馬車を呼ぶかい」
「あ、いえ。清潔な布を数枚、ベルトや麻紐、あとで返すので背負子も貸してください」
途端、店主は「ハァ!?」と頓狂な声を上げた。目を瞬かせ、私と椅子に座らせた娘を交互に見る。
「背負子ってあんた……ソレ、背負って帰る気か!」
「えぇ。先を急ぐので」
驚きこそすれ、店主はすぐに言ったものを用意してくれた。「返すのはいつでもいいよ」と言ってくれさえする。礼を言いつつ、手早く準備を進めていく。
背負子はあくまで荷物を運ぶための道具だ。彼女の身体に負担がかからないよう、座面と背もたれとなる背面に柔らかな布を敷く。これで多少、衝撃が和らぐだろう。
「ちょっと、失礼しますね」
そうエルフの娘に声をかけて、街へ向かう最中に着ていた厚手のローブを上から羽織らせた。丈夫なことが取り柄のごつりと固い生地で、素肌にはあまり心地よくないかもしれないが――仕方がない。明るい金色の細く長い髪に、エルフの特徴の一つでもある翡翠色の瞳、そして露わすぎる服装は、そのままでは人目を引いてしまう。好奇の視線から彼女を守るため、私はフードを目深に被せた。
「ウ……」
「身体を、落ちないよう固定しますから。怖いことはしないですからね」
彼女がどこまでこちらの言葉を理解しているか――分からなくとも、言葉はできるだけかけながら作業は行った。反応は、ない。
(この状況を……どう、認識しているんだろうか)
目が見えない彼女にとって、身体に触れられることは恐怖に繫がりかねない。しかし実際には、表情は一切変わらず、そこに恐れも安堵も見えない。
(そうか)
力加減に気を配りつつ、固定用の布を結びながら、私は歯嚙みした。奥歯が、ぎりっと嫌な音を立てる。
(この娘は……物として扱われることに、慣れすぎてしまっているんだ)
質屋を出た後は、買い出しは最小限で済ませた。頼まれたお遣い品は買えなかったが、仕方がない。馴染みには後で謝るとして、今はとにかく急ぐ必要があった。
本来なら、集落と街への行き来には山を迂回した街道が用いられる。
自分の足なら、山を直接越えてしまった方が早い――そう判断し、私は彼女を背負ったまま、山を登り始めた。幸い、魔物に出くわす心配も少ない山だ。
「多少揺れるかもしれませんが、もう少しの辛抱ですからね」
背中越しに声をかけるが、もちろん返事はない。ただ、ブツブツと小さな呟きだけは続いている。私は背負子の肩紐を締め直し、山道を歩きだした。
なだらかな勾配を、一定の歩幅とペースで進んでいく。山は静かで、風が吹くと汗ばんだ肌に心地よかった。歩く度、落ちて積もった葉が地面でざくりざくりと軽快な音を立てる。
街を出たのは昼過ぎだったので、今日中に工房まで帰るのは厳しいだろう。急いではいるが、無理をすべきではない。
背中の彼女の身体に負担をかけないためにも、休憩は必要だった。ずっと背負子に縛りつけられたままでは、鬱血や血栓を起こさせてしまうかもしれない。ただでさえ痛々しい身体をしている彼女に、これ以上の辛い想いはさせたくなかった。休み休み、進んでいく。
(――そろそろ、日が沈んできたな)
そう気がついたのは、山頂付近まで来たときだった。周囲の景色が朱色に染まり、遠くの空から暗くなっていく。
(ここまで来たら、朝に出れば昼前には帰れるか)
大荷物を背負いながら、夜間の足元が危ういときに進むのは事故のもとだ。やや開けた場所を見つけると、わたしはそこに背負子を降ろした。
「布、外しますね」
今日何度目かになる声かけをして、固定を解く。立つことのできない彼女をそっと抱き上げると、エルフの特徴である骨格の華奢さも相まって、ひどく軽く感じた。
「ン……アァ……カエ、ル……」
「今日は、ここで休みましょうね。今、食事を作るので。ここでちょっと待っていてください」
太い木の根元に座らせると、彼女は変わらずぼんやりと表情なくそこにいた。それでも、質屋の倉庫にいたときよりずっと、様になっているから不思議だ。
(エルフは古来、深い森に暮らすというし……そのせいかな)
鍋をぐるぐると搔き混ぜながら、益体もないことを考える。そう思うと、無に見えた表情も、心なし和んでいるような気がしてきた。
鍋と共に事前に荷物に入れておいた米、芋、卵、それに街で買い足した塩と香料を加え、煮込んでいく。粥と言えるほど立派な代物ではないが、あの口内では咀嚼するのも難しいだろう。できるだけ柔らかく、そのまま飲み込んでも問題ないくらいの柔かさを目指す。
くつくつと煮ていると、娘の鼻がすんと鳴った。匂いは感じているのかもしれない。身体つきを見る限り、今のところ栄養状態が極端に悪いようにも感じない。飢餓状態にいきなり栄養を送り込むと、かえって危険なこともあるため、その点では安心して食べさせられる。
「食事です。ゆっくり食べて大丈夫ですからね」
皿に入れた粥もどきを、匙ですくう。米や芋の形はほとんど残っておらず、ねっとりとしていて、これなら誤嚥の心配も少ない。湯気が立っているので、くるくると搔き回して多少冷ましてから、そっと口元へと運んだ。匙の先が口元に触れると、娘は口を小さく開いた。そこに、そっと粥を流し込む。
「フ……っう」
「大丈夫ですか? まだ熱かったですか」
エルフの娘の目が、涙ぐむ。冷ますのが足りなかったか? ――ただ、口はもぐもぐと動いて、飲み込むこともできたようだった。様子を窺いながら、今度は慎重に冷まし、また一口。
「……美味しいですか?」
もちろん、返事はない。しかし、娘が粥を食べる動きが止まることはなかった。しっかり食事をしてくれる。これは、娘に会って初めて感じた喜ばしさだ。ただ、内臓――特に消化器官に不安はまだあるため、一旦は様子見だ。
「今日は、このくらいにしておきましょうね」
皿の半分ほどによそった皿が空になったところで娘にそう告げ、口元を柔らかな布で拭ってやった。瞬きの少ない翡翠色の大きな瞳からまた一つ、ぽろりと涙が溢れて地面に落ちた。
早く処置をしなければ――その不安が的中したのを知ったのは、夜のことだった。
日がすっかりと落ち、暗闇に包まれた森の中で、娘は呻きだした。はぁはぁと浅く息をし、頰に触れると異常な熱さだ。
「ア……アァぁ……っ」
(熱か)
それも、かなりの高熱だ。熱そのものが身体に致命的なダメージを与えることは少ないが、少なくともただでさえ弱っている娘の身体に疲労が蓄積することになる。なにより熱が上がる原因――なにかしらの異常事態が起こっているという証左でもある。
(疲労そのものが原因か……それとも、これだけの傷だ。炎症を起こしてるのか、雑菌による感染症が臓器に回っている可能性も……)
観察しながら、ギリッと歯嚙みする。山中でできることなんて、限られている。ただでさえ、自分は薬売りであって医者ではないのだ。
(最悪……手足を切断するほかないかもしれない)
彼女の負った損傷の中で、一番の重症部位は四肢の壊疽だ。もし感染症が起こっていたとして、その原因となっている可能性は捨てきれない。
「とにかく、対処療法でもやるしかない」
解熱と抗菌。この二つを柱に、手持ちの材料と山に自生してる植物を使って飲み薬を調合する。解熱、鎮痛、消炎作用の期待できるニワトコと、同じく解熱作用のあるルリジシャが近くで見つかったのは幸いだった。葉を細かく刻み、煎じたものに魔層石を粉末にして加える。どろりと濁った液体は、そのままだととても飲めた味ではない。
(蜂蜜を多めに混ぜるか……それと塩も)
塩気が蜂蜜の甘みを多少引き立ててくれることを期待し、万遍なく混ぜる。いくらか飲みやすくなるだろう。
「ンン……ぅふ、ウ……」
「すみません、辛いでしょうがこれを飲んでください」
そう、彼女の上半身を支えて起こす。触れた背中は熱く、じっとりとしている。そっと口元に匙を近づけると、粥のときと同様飲み込んでくれた。甘みをつけたとはいえ、あまり味わうものでもない。誤嚥にだけ気を配りつつ、薬を流し込んでいく。
「ン、グ」
「大丈夫ですよ。ゆっくり……ゆっくり」
(これで、少しはマシになると良いんだが)
薬を飲み終えた彼女に、更に水分を与えてそっと横たえる。汗を拭くと、ふぅふぅと息を切らしながら、小さな呻き声を発した。うわ言、なのだろう。
「オウチ……ハ、ドコ……?」
「……きっと、帰れますよ。そのためにも、ゆっくり休んでください」
以前、馴染みが熱を出した自分の娘の額をそっと撫でていた姿を思い出し、真似してみる。熱い額。きっと、頭痛も酷いだろう。全身が痛んで、苦しいだろう。安心できる場所と、人たちのもとに帰りたいだろう。
エルフの娘は、しばらくそのままうなされていたが疲れ果てたのか、やがて眠ってしまった。
(「きっと帰れますよ」だなんて)
無責任な言葉だったかもしれない。だが、帰してあげたい――幼児のように眠る彼女を見ていると、尚更そんな気持ちが強くなってくる。
彼女を家から離し、こんな目に遭わせたのはイルダ人だ。私にとって種族とは、身体的特徴と文化の違いがあるくらいの意味でしかないが――そうでない者は多くいる。それこそ質屋の店主のように、悪気すらなく。
彼女を傷つけたのは、そんな中でも特に悪質な、他種族を人と思わないような誰かだ。
「人を、人と思わない……か」
ずんと、足元が重くなる。陰から這い上がる幾つもの腕。それらが足を摑んで、決して離さず、ずぷりずぷりと引き摺り込もうとしてくる。その、深く暗い闇の中に。
「――っ」
パチリと、火が爆ぜる音でハッとする。焚き火の灯りに照らし出されるのは、背負子と荷物に、使用済みの鍋、それから自分と、横たわるエルフの娘。
周囲からは時折、遠くを通りかかる獣が立てる草擦れの音がカサカサと聞こえる程度で、静かな夜だ。
「夢か……」
目尻を押さえて、一つ息をつく。多少、疲れているのかもしれない。だが、明日からの処置についても考えなければ。
娘を見ると、呼吸が穏やかなことに気がついた。そっと額に触れれば、熱も引いている。頰に張り付いた髪を、指先でどけてやる。その頰の柔らかさに、何故だか一瞬胸が絞られたような気持ちになった。
(薬……効いたのかな)
良かった。もちろん、先程の薬で根治に繫がるわけもないから、工房でもっと本格的な治療や見立てが必要にはなってくる。おそらく、それは長期に渡るだろう。
それでも。
(そうだ。帰さないと……この娘を、家族のもとに)
家から引き離され、他種族から物のように蹂躙され。身体も心もボロボロにされながらも、「帰りたい」というただ一つの願いだけを抱き続けるこの娘を。
「ン……」
小さく、少女が寝言をこぼす。もう一度その額を撫で、汗の残る部分をそっと布で拭うと、私は横になった。
目をつぶると、暗闇が目の前に降りてくる。その、更に深い闇がまた身体に纏わりついてくる気がして、私はそっと寝返りをした。
時間にして、三時間ほどか。近くに止まった鳥の声で目を覚ますと、空の端が白くなり始めていた。昨晩よりも、肺に入る空気が冷たい。
「夜明けか……」
今朝は昨晩の粥の残りを食べたら、すぐに出発するつもりだ。ふと隣を見ると、エルフの娘はうっすら目を開けていた。視力のない目でなにを見るでもなく、ただ開き、たまにゆっくりと瞬きを繰り返す。
「おはようございます。身体を起こしますね」
ゆっくりと身体を木によりかからせる。昨晩下がった熱は、そのまま上がっていないようだ。ひとまず、ほっとする。
「お腹は空いていますか」
「……」
もちろん、返事はない。分かってはいたが、今後治療を進めていくためにも、なにかしら反応を引き出すきっかけがないものか。
「た、体調はどうですか?」
「……」
無理もないが、にべもない。
どうしたものかと、腕を組む。
この娘の願い。「家に帰る」――それを叶えるために、やるべきこと。私にできること。それはやはり彼女が限りなく元の生活に近いものを取り戻せるよう治療を施すことだ。
もちろん、現状を見るだけでも前の通りに戻すのは難しいと感じる。知り合いの医者にも連絡を取らなければ。やるべきことは多い。きっと長い期間、かなりの手をかけなければならなくなるだろう。
(それでも)
私は一つ深呼吸をし、改めて娘に向き合った。なにも捉えようとしない瞳に、自分の姿を映し込む。
「……キミは今、深く傷ついている。身体はもちろん、心の深いところまで。キミが元々、どんな娘だったのかも、今の私には分からない。だから――願いを込めてキミに渾名をつけて呼ぼうと思う」
それは苦肉の策ではあった。家も尊厳も奪われた彼女から、名前まで奪ってしまうような。そんな後ろめたさがなかったわけではない。
それでも、長期の関わりが予想されるのであれば、一定の呼び名は必要だったし、もしかしたら、それが彼女にとってなにかしらの刺激になるかもしれない。
(私がこの娘に願うことは、ただ一つ)
包帯を巻いた手を、そっと取る。ぐちりと膿んだ、傷だらけの小柄な手。
なにも感じていないかもしれない。なにも見えていないかもしれない。もしかしたら、こちらの言うことなど聞こえていないのかもしれない。
それでも。
「リズレ――この名のとおりにキミを治す、そう約束しよう」
――風が、目の前の娘の髪を撫でていく。
渾名をつけたからといって、彼女に聞こえているのかは分からない。本当の名前を知れるほどに回復させられるのか……それだって実際のところ未知数だ。
それでも、約束をしたからには投げ出さない。わずかでも、一つ一つ――目指していくしかない。共に。
彼女が、その顔に微笑みを浮かべられるような。そんな日々を目指して。
「……オウチ……カエ……リ、タイ……」
「――えぇ。ごはんを食べたら、行きましょう」
繰り返されるうわ言に頷き、ゆっくり、手を放す。気のせいかもしれないけれど――手が離れるほんの一瞬、指先が軽く握り返されたような、そんな気配を感じた。
消えてしまっていた焚き火をつけ、粥を温める。工房のある集落まで、あと半日。彼女にした約束を果たすまでは、どれくらいの日数が必要となるだろうか。今後すべきことを頭の中で改めてリストアップしながら、くつくつと音を立て始める鍋を搔き混ぜる。
「――できましたよ、リズレさん。ごはんにしましょう」
見えない彼女に、そう笑いかける。
私とリズレの戦いの日々は、こうして始まった。
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次回、第二話「薬売りの介抱」①⇓⇓
11月15日(金)公開