第五話「リズレの決意」③
前回のおはなし⇓⇓
手術までは、日を待たなかった。切断すると決まったからには、健全な部分にこれ以上腐食を進行させるわけにはいかない。
「リズレさん。大丈夫ですからね」
室内は換気と温度管理のために、ひんやりとした空気が満ちている。手術台に横たわったリズレは泣いたり怯えたりする様子も見せず、「おねがい……します」と気丈に言いきった。
「僕の冷安庫に、適合しそうなものが手と足一本ずつあった。全てを失うことはないし、腐食した手足より役に立つ。むしろ、終わってからの回復訓練の方が地獄だから覚悟しておけ」
そう軽い調子で、アダムスカが言う。脅すような口ぶりだが、声音は優しい。きっと、励ましているつもりなのだろう。リズレも、ぎこちなくはあるが微笑んだ。
手術は、竜牙針にて調合した麻酔を打つところから始まった。口と鼻からも霧状にした麻酔を吸わせたところで、リズレは意識を手放したようだった。
手足を縛り、よく消毒する。強いアルコール臭を、鼻先に感じる。
「貴様は振動ナイフで切断し、断面を処置しておけ。切った先から僕は骨と肉を接ぎ、馴染ませる」
とんでもない内容だが、魔医学の研究と実験を長年繰り返してきた彼だからこそできる技法だ。
「分かりました」
覚悟はもう決めていた。この手術の結果を、背負う覚悟を。
深呼吸を一つし、私は言われた通り、振動を加えたナイフをそっと、リズレの腕に当てた。
――時折、リズレの片目が開き、夢現に周囲を見回した。意識が戻ったわけではなく、麻酔がよく効いている証拠だった。
肉を断ち、骨を削る音が室内に響き渡る。私は目を凝らし、処置を続けた。ナイフを通し、指先から肘にかけて伝わってくる感触も、空気に混ざるその匂いも。その全てを嚙みしめ、受け止めながら。
アダムスカの腕はやはり確かで、特殊な糸を用いて素早くパーツをリズレの右腕と左脚に繫いでいった。接ぐ神経や骨の位置も、極魔法で正確に把握し、繫がった代替品は見た目にも違和感がない。
「――よし。これで良いだろう」
最後の糸をパチンと切り、アダムスカは頷いた。
手術は予想よりも早く完了した。アダムスカの手腕によるものだろう。特に問題らしいことも起こらず、つつがなく終わった。
私はといえば、逆に予想以上に疲れきっていた。治療として必要な施術とはいえ、大きな音を立てながら親しい相手の肉と骨を断つ作業は、精神的に負荷がかかる。
「病み上がりでの手術だ。疲れて当然だろう」
こちらの顔を見るなり、アダムスカが呆れたように言う。
「なにも言ってないですが」
「おまえみたいな脳筋の考えることなんて、言われなくても顔を見ればだいたい分かる」
手術中は一つにまとめていた髪をほどき、アダムスカはそっと丁寧に、まだ眠るリズレの手を取った。
「……ありがとうございます。適合するパーツを見つけてくださって」
「なに。僕としても、良い実験になった」
アダムスカがニヤリと笑ってみせる。ちらりと涎を垂らしながら、息も荒くリズレの新しい手を見つめる姿は、いかにも怪しい。怪しいを通り越して少し怖いくらいだ。
「この腕はエルフの中でも、魔力の強いハイエルフと呼ばれる者のものだ。希少な部品でな。鮮度の良い状態で保存していたが、まさかこんな実験の機会が得られるとは。というのも、この子はふつうのエルフだろう? 回路さえ繫がってしまえば問題ないにしても、その反面、この属性はどうしたって影響を及ぼすだろう。ハイエルフの腕がふつうのエルフの身体と同期することで、どんな化学反応が見られるか、これは貴重な実験データが――」
「……とりあえず患者の腕をにぎにぎしながら、頰擦りしようとするのはやめませんか」
碌でもないことを早口で呟き続ける研究者をリズレから引き離していると、ぴくりと彼女の目蓋が動いた。麻酔が、切れたのだ。
「リズレさん。気分はどうですか?」
「だい……じょうぶ、です。もう……おわった……のです、か?」
目をうっすらと開けて応えるリズレに、変わった様子は窺えない。ホッとしながら「無事に終わりました」と頷く。
「腐食の進行も、もうないようですよ」
「そう……です、か。ありがと……ござい、ます」
律儀に、私とアダムスカに礼を言うリズレの身体をそっと起こし、座らせる。それから、切断した腕に軽く触れた。手術が成功した以上、次に心配なのは術後の痛みと回復訓練だ。
「まだ感覚はありませんか? しばらくしたら、けっこう痛みがあると思うのですが……」
「へいき……です……。かるくてフシギ……な、かんじです」
顔色を観察しながら、「そうですか」と頷く。手のひらに、つい今しがた感じた身体の軽さを反芻しながら。
「痛み止めもいくらかありますから。痛くなり始めたら、我慢しないでくださいね」
「わかり、ました」
素直に頷いたとはいえ、リズレは我慢強いタイプだからこそ、こちらでよく観察すべきだなと頭に入れておく。
それからリズレは、自分の右腕の方へと顔を向けた。
「あの……あたらしい、うで……や、あしは」
「こちらも、きれいについてますよ。とはいってもすぐには動かせませんが」
「神経の回復と魔力路が結合しないことにはな。しばらくは回復訓練が必要だが、僕はそこまで面倒見れん」
「はい。それは私の方で、責任もって行います」
言外に「任せた」と言われ、頷く。リズレも、慣れた相手の方がやりやすいだろう。
「経過観察は必要だ。それに、黒スケもまだ疲労が完全に抜けきったわけではないからな。二人とも、もうしばらくの滞在が不可欠だ」
「くろ、すけ……?」
「小さい頃につけられた呼び名です……」
リズレに訊き返されると、なんとなく気恥ずかしく、ぼそっと答える。それを面白がってか、アダムスカは更に「いいか黒スケ」と続けた。
「疲労さえ充分に回復させたら、貴様はゴーシュと共に僕の手足となるように。なにせ、僕は貴様にとって今回で二度目となる命の恩人だからな。その分、命をかけて尽くせ。――分かったな?」
ニヤリと笑みを浮かべるアダムスカの目が、こちらを見下ろし強く輝いた。
***
「今日は冷安庫の整理を頼む。迷ったら死ぬからな。気をつけろよー」
気軽にそう言いつけ、アダムスカは去っていった。
リズレの手術から五日ほどが経ち、私の疲労も充分回復した。が、リズレの経過観察は続いているため、事前に言われていた通り、私はアダムスカに散々こき使われるハメになっている。
(命をかけて……って、こういうことか!)
貴重な部品を保護するため、冷安室は魔法により氷点下を保っている。薄暗く、そしてやたら広いため、確かにこれは迷ったら死ぬ、という嫌な確信があった。
アダムスカがこんなにも部品を保管しているのは、彼自身が絶えず他者の死体を必要とする身体だからだ。これは彼が生きていくために必須なことであり、過去の実験失敗によって生まれた枷であるという。
(それも……アダムさんにとっては、「貴重な実験結果」なんだろうけどな)
そしてそういう彼だからこそ、私もリズレも助けられている。その恩義を思えば。
(この程度の雑用など――大したことではない!)
任されたからには、全力を尽くすのみ。
「うぉおおおおおおおおおッ!!」
気合いと共に、デッキブラシで床を磨いていく。身体を大きく動かし、代謝を上げることで体内深部の温度を上げる。これは結果として、凍えるリスクを下げることに繫がるはずだ。頭に結んだ三角巾は、頭頂部を冷やさないために有効だし、エプロンは――まぁ、気合い入れの一種だ。
「まだまだぁぁぁっッ」
部屋の端でターンし、戻ってきたところで「うるさい」とアダムスカに実験用のメスを投げつけられ、私はようやく我に返り、残りはしずしずと掃除を続行したのだった。
次回、第五話「リズレの決意」④⇓⇓
12月7日(土)公開