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第二話「薬売りの介抱」①
前回のおはなし⇓⇓
麓の川沿いを下り、工房のある集落に着いたのは、予定通り昼前だった。
「着きましたよ、リズレさん。ここが、今日から住む場所ですよ」
村と呼ぶには小さな集落。そこの一角に、薬を取り扱う工房を営んでいる。住人は少ないが、街から街へと移動する行商人が立ち寄って、商品である薬を取り扱ってくれることが多い。そのため一人で暮らす分には困らない程度の収入はあるし、特に使い道もないためそこそこの蓄えもある。
「ン……アー……オウチ……」
「そう、新しいおうちです。まずはお風呂にしましょうか」
虐待状況にあったと思われるリズレの衛生状態の悪さは、明らかだった。四肢を覆う包帯なども、いつから替えていないのか分からない。これで異臭がしないのが不思議なくらいだが、エルフという存在の体質ゆえなのかもしれないし、それが断言できるほどには私はエルフに詳しくない。
工房には樽桶があるため、そこに沸かした湯を張る。見えない状態で急に湯に触れると驚いてしまうかもしれないので、気持ち冷ましてから洗体することにする。
「――あ」
ふと、あることに気がついてしまった。街で買い出しをした際、あまりに急いでいたため、リズレの新しい服を買い忘れていた。今着ている私のローブの下は、ほとんど布切れ同然なものだし……。
「ちょっとだけ出てくるので、少し待っていてくださいね。リズレさん」
話しかけたところで相変わらず反応はないが、今は問題ない。私は庭に生えているニンジンや薬草、それから昨晩山で作った解熱鎮痛剤の一部をカゴに詰め込み、急いで近所の馴染みの家に向かった。
戸を叩くと、すぐに中から「はーい!」と高く明るい声が聞こえてきた。
「薬屋です。ちょっとお願いが……」
「あ、薬のオジさんだっ」
扉越しに声をかけると、トタトタと軽やかな足音が近づいてきて扉が開いた。この家の少女、モネだ。母親ゆずりの長い黒髪を緩く一つにまとめ、期待に膨らんだ大きな目で見上げてくる。
「オジさん、頼んだお菓子買ってきてくれた!?」
「いや、すまない。実は急用ができてしまって――」
腰よりも低い位置にある彼女の視線に合わせるため屈んでいると、奥から「モネ!」という呼び声が聞こえてきた。
「先生は街まで仕事で行ってるんだから、わがまま言っちゃダメだって言ってるだろう?」
「だってー、街のお菓子なんてなかなか食べられないんだもん」
奥から出てきたのは、モネの母親であり、私にとっては馴染みの「ご近所さん」でもあるアネだった。ぷっくり膨らませた娘の柔らかそうな頰を「こら」と軽くつつき、苦笑気味にこちらを見る。
「悪いね、疲れてるときに」
「いや。実は、私の方こそ頼みがあって」
そう、カゴを差し出すと「頼み?」と口元に笑みを浮かべたままアネが首を傾げた。芯の強そうな瞳がちらりと輝き、バンダナを巻いた髪がさらりと揺れる。
「珍しいね、先生がわたしに頼みごとなんて」
ナニコレ~と手を伸ばすモネを軽くいなすアネに、「実は」と細かいことは伏せつつ、事情を説明する。
「――なるほど。その新しい患者さんの服が必要なんだね」
「そうなんです。もちろん古着で構わないのですが、融通してもらえないでしょうか」
「もちろん。ちょっと待ってな」
快く頷くと、アネは一度部屋へと引っ込み。そしてすぐに膨らんだ袋を持ってきてくれた。
「これ。紐でサイズを調整しやすいやつを選んでおいたよ」
「ありがとう、助かります」
頭を下げ、急いで家へと戻ると、リズレは家を出る前と変わらず椅子に座っていた。風呂の温度を確認すると、ちょうど良い。「お待たせしました」と、リズレを支えて浴室へと移動させる。
「身体を洗うのに、一度脱がさせてもらいますね」
声をかけてから貸していたローブを脱がせ、一度大判のタオルを首元で結んで前かけのようにする。洗体自体は、患者に対し必要な措置であるから仕方ないにせよ、できるだけ嫌な思いはさせたくはないからこその配慮だった。――が、傷んだ肌着を脱がす際も、リズレの反応は全くといっていいほどなかった。
(それだけのことをされてきたのか)
ただでさえ酷い傷だとは思っていたが。身体を洗い肌の白さが際立つことで、身体中の傷痕が、悪意の塊のように全身に濃く浮かび上がる。
特に背面は、より深く肉が抉り取られ、傷同士が重なり合って何個もバツ印を描いていた。首筋に見えていた鬱血の痕は、首周辺をぐるりと回り込み、よほどの力で締め上げられていたことが分かる。その痕がまるで人間の指のように見えて、嫌悪が走った。
彼女がどれだけ酷いことをされてきたのか――その一端を察してしまい、思わず顔をしかめる。
(クソ……ッ)
ダメだ冷静になれ。必要なことだけを考えろ。そう、この後に塗る傷薬のレシピとかが良い。
洗体を手早く終わらせ、身体を包むように拭き上げる。ふんわりと膨らんだ、家にある中で一番柔らかなタオルを選んだつもりだ。
四肢の傷はその他と種類が違うようなため、先に包帯を巻くが、その間も込み上げてくる怒りで、手が震えた。いったいどんな奴がこんなことを……という怒りが抜けきらない。
身体を清潔にした後は、タオルに包んだまま患者用の寝台に運んだ。まずは外傷に対応していく。備蓄してあった薬草由来の軟膏を全身の傷痕にくまなく多めに塗りつけ、そこにガリアの葉を隙間なく被せることで皮膚の治癒を促す。傷口と軟膏が乾くのを防ぐために、更に上からスライムの体液に浸した湿布を張って保護した。
(張り替えは三日ごとになるか……)
もくもくと作業していたのが良かったのか、怒りに高ぶっていた感情は落ち着きつつあった。ふと、気がつくと横たわったリズレが小さく寝息を立てていた。
「……こんなところで寝るなんて、この人にとって何日ぶりなんだろうな」
ようやく、人心地ついてくれたのかもしれない。だとしたら、少しだけ報いられたような気がして嬉しい。
(……いや、まだまだ。これからだ)
起こしてしまわぬよう、彼女の身体に毛布をかけて、一旦その場を離れる。向かったのは、台所だ。
ざっくりと食材を眺め、留守にしている間に固くなってしまったパンと、先程収穫したニンジン、街で買ったスパイス、それから少量の保存用のベーコンを細かく刻み、スープで煮込んだ。溶いた卵を更に流し込めば、栄養としては充分だ。火の通ったベーコンの脂を含んだ塩っぽい香りが、鍋から立ち昇る。
それを皿に移し替えて部屋に持っていくと、リズレは短い眠りから覚めたようだった。最近は肌寒さを感じる季節になってきた。身体が弱っているところに風邪をひかせてしまっては大変だ。
「今、服を着ましょうね」
「ンー……」
身体を起こし、アネから譲ってもらった服を着せていく。フリルのついた前留めのブラウスは、服を着せたままでも処置がしやすくありがたい。その上に着せるベストは胸の前で紐により締め付け具合を調節できるため、確かに便利だ。布地が柔らかく、さらりとした手触りで、私が街から被せていたローブとは大違いである。ロングスカートは白く清潔感があって、ゆったりとした着心地のようだった。
「ん? これは……」
服と一緒に、女性用の櫛が入っていた。アネが、気を利かせて入れてくれたのだろう。それでリズレの髪を梳かす。一本一本が絹糸のように細く、サラサラと櫛の間を流れていく。
清潔にし、身なりを整えると、ここへ来るまでに比べてだいぶ見違えた。こうして見ると、彼女が人間で言えば二十歳かそれより少し下くらいの外見年齢だということが分かった。エルフは長命種であるため、実際の年齢は少なくとも倍以上あるだろうが――ややあどけない面影を残したその顔からは、元々持っている美しさを感じられる。櫛に染み込まされた整髪用の油のためか、ほんのりと花が咲いたような、甘い香りがした。
「良かった……っふ。食事も用意したので、どうぞ」
欠伸を嚙み殺しながら、持ってきた粥を匙ですくう。着替えさせている間に、ちょうど良い温度に冷めている。
「……ッ、ンンん」
「……?」
小さな呻き声。ふと、リズレが震えていることに気がついた。
「寒いですか? それともまた熱……ん? ぁあッ」
言いかけたところでハッと気づく。
――彼女、この二日間全然トイレに行っていない。
慌ててリズレを抱えて、用足しに向かわせる。
(いやしかし、すごい忍耐力だな……)
もしかして長寿のエルフだからこそ代謝に人間との違いがあるのかもしれないが、それでも大したものと言うべきか。感情がない――そう思い込んでいたが、粗相をしてしまうことに対する羞恥心や理性のようなものは残っているのかもしれない。
(そうか、喜怒哀楽はなくとも……生理的な部分に関する感性は働きやすいのかもしれないな)
だとしたら、いつまでも流動食では味気がないだろう。だが残っているのは奥歯のみ……やはり、入れ歯しか手立てがないか。もしそれで咀嚼ができるようになったとして、当初から懸念している内臓のダメージや、手足の壊死の進行も気になる部分だ。
無事、用を済ませた彼女を抱き上げ、寝台へと戻る。多少、自分の足取りが危うい気がした。リズレが重いのではない。むしろ腕の中の彼女より、自分の両の目蓋の方がずっと重たく厄介だ。思考も、気持ち鈍い。
(代謝といえば、なんだったか……急激な代謝による寿命の減少を対価として、肉体の物理的な回復を可能にする……あぁ、そうだ)
――ハイポーション。
それこそ、エルフの肉体を材料とした薬と同じく夢物語に近い代物だが――だが確かに存在すると言っていたのは、医師である昔馴染みだったか。
とさりとリズレを寝台に置く。途中で力が抜けて床に落としたりしなくて良かったと、心底ほっとする。――が、今度は足に力が入らない。
(ハイポーションの精製を目指す……か、アレならリズレさんの目や手足も……だが今の自分の設備や知識では……いや)
なにか、手が――。
手を伸ばす。思考を、意識を手繰り寄せるように。
だがそれすら夢だったのか――私の意識はそこで途切れた。
次回、第二話「薬売りの介抱」②⇓⇓
11月16日(土)公開