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第五話「リズレの決意」④

前回のおはなし⇓⇓


 リズレはといえば、一日一回アダムスカの診察を受けていた。特に右腕と左脚の結合具合や違和感がないかなどについて、確認しているようだ。その間、雑用をこなした私は、朝昼晩の食事のたびにリズレのところへ顔を出し、食事の介助と血行促進のためのマッサージを行うようにした。特に新しい手足はまだ血の巡りが良くないのと、神経回復のための刺激となるよう、念入りに行う。
 その日も昼になって、いつも通り昼食の介助を行っているところだった。
「そういえば、入れ歯を作ってからいくらか経ちますが、まだ大丈夫そうですか?」
 リズレの現在の歯は、まだ出会って間もない頃に、慣れないながらもこしらえたものだ。そろそろ、すり減りや結合部の違和感なども出てくるかもしれない。案の定、リズレは「すこしいたみますが……」と遠慮がちに答えてくれた。
「でも、へーきです!」
「良かった。でも、痛かったらそれは言ってくださいね。リズレさんに頼っていただくのが、私の仕事ですから――」
 やはりそろそろ作り直しか。それとも痛いのは言いださなかっただけで最初からなのか。もっと改良の仕様があるのかもしれない――そんなことを考えながら、リズレの口元にスープを運んだときだった。
「おや……? リズレさんの右手、指が……ホラっ、動いてますよ!」
「え……!」
 私の言葉に、リズレが驚いたように目を丸くする。
 テーブルに置かれたリズレの右手の指が、ぴくぴくッと小刻みに動いている。先日までは、見られなかった現象だ。
「指の神経が、覚醒し始めているようですね」
「そう、なんですか? すみません。ゆび……まだ、かんかくが」
「そこは、あせらなくて大丈夫ですよ。回復訓練を続けていけば、自由に動かせる日も遠くはありませんよ。きっと」
「は……はい!」
 きっと、不安を必死に押し殺していたのだろう。ただでさえ、術後の傷は少なからず痛みを感じていたはずだ。頷いたリズレの笑顔からは余分な力が抜け、これまで見た中で一番、ふんわりと柔らかいもので。
 その笑顔の中に、私は小さくない希望を見た。そんな、気がした。

***

「それでは、大変お世話になりました」
 リズレの腕の神経が繫がり始めたところで、私たちは工房へと戻ることになった。私の礼を受けて、アダムスカが「うん」と頷く。
「最後に、入念に診察を行ったが――結合に関しては問題ないことが確認できたし、腐食も完全に消えている。後は、回復訓練士の腕の見せ所だな」
「はい、それはもちろん頑張ります」
「わ、わたしも……がんばり、ます!」
 診察を終えたリズレが真剣に付け加えると、アダムスカはふっと微笑んだ。それから、「少し外へ出るとしよう」と、リズレに声をかける。
「あ……っ、は、はい!」
「なんの話ですか?」
 リズレを運ぼうと近づくと、アダムスカがぎろりとこちらをにらむ。
「女同士の話に入り込もうとするなど、野暮やぼだな。彼女はゴーシュに運ばせるから、貴様は荷支度でもしていろ」
「……アダムさんも、元は男性じゃないですか」
「完璧なこの彼女・・の身体を見てそんなことを言うなんて、ますます野暮だな。女同士の話で文句があるなら、医者と患者の話だ」
 そう言われては、さすがにそれ以上突っ込むのもはばかられて、私はおとなしく、それじゃあとその場を離れた。もっとも、荷支度自体はほとんど終わっていたから、最後にまとめるくらいなのだが――。
(少し、気になるな)
 黙々と荷をまとめながらも、意識がどうしても二人の方へ行ってしまう。だが、自分が聞かない方が良い話なのだろうとは充分に分かった。窓の外に見えるその姿は朝日に照らされ、黄色に輝いて見えたが――ややして戻ってきた二人からは、重々しい空気ばかりが漂っていて。その話というのが、決してなごやかなものではなかったことだけが、私に察することのできる全てだった。

 再び、雪山を降りていく覚悟をしていた帰り道だったが、ありがたいことに良い飛び道具・・・・を譲ってもらった。
「これはもしや……」
 そう声を上げる私に、アダムスカが「あぁ」と頷く。
アイツ・・・が使っていたものだ。コレで帰れ、おまえの工房に」
 館の地下物置にあったのは、かつて私の恩人が乗っていた魔道空機エア・ガウルだった。ドワーフの職人による特注品で、かなり大型だ。またがって操縦かんを握り操作するタイプだが、小柄な人間ではそれも難しいだろう。
「これ、確か行方不明だったんじゃ……」
「質に流れていてな。偶然見つけて、買い取ったんだ。使わないから、譲ってやる」
「いいんですか? そんな……ゴーシュさんなら、充分操縦できるんじゃ」
「いらん。日常使いにするには、金食い虫すぎる」
 アダムスカの言うことはもっともで、魔道空機エア・ガウル魔層石マナ・クオーツを動力とするが高燃費な上、特注品であることから整備も難しい。
「でも、帰りの足ができてありがたいです。使わせてもらいますね」
「あぁ。その方が、あの子にも良いだろう」
 なるほど――私だけでなく、リズレを思いってのことかと納得する。これだけ大きければ、リズレを背中に固定しながらでも充分に乗れるだろう。

「――それでは、本当にお世話になりました」
 乗り物上から、見送ってくれる二人に挨拶あいさつをする。背中側にいるリズレが「ありがとうございました」と言うのが聞こえた。
「こんどきたら、おてつだいを……」
「いや。貴重な研究材料も手に入ったし、もう来なくていいぞ」
 軽く手を振るアダムスカに、「言い方!」と注意するも聞いている様子はない。全くない。代わりに、その隣でゴーシュが名残なごり惜しそうに涙をき、見送ってくれた。
 操縦桿を引くと、ホバリングをしていた魔道空機エア・ガウルはあっという間に高く舞い上がった。顔を、寒冷地の風が強く叩く。
 冷たく、青い北方の空に吸い込まれるような錯覚を覚えながら、ギアを変えて前へと進む。あれだけ越えるのに苦労した雪山が、はるか下でキラキラと輝いているのが見えた。
「――リズレさん、大丈夫ですか?」
「はい……さむく、ないです」
 背中越しにリズレが答える。寒いかを訊いたわけではなかったが、私は「それなら良かったです」と頷いた。
 ――アダムスカと二人きりの会話の後、リズレは明らかに気落ちしていた。手が動いたと分かったときの、あの笑顔など、どこかへ飛んでいってしまったかのように。
 アダムスカは、私に話の内容を秘密にしたいようだった……いや。秘すべきと判断した。それを、ここで無理やり聞き出すわけにはいかない。
「リズレさん」
「なんですか……?」
 風を切る音にまぎれ、リズレの返事が聞こえる。私は明るく聞こえるよう、できるだけ声を張った。
「館でも言いましたが、私の仕事はリズレさんに頼っていただくことです。ですから――いつでも、頼ってくださいね」
 彼女を治すと。そう約束した自分にとって、それが今言える精一杯の言葉だった。
「ありがとう、ございます」
 今は見えないが。そう応えるリズレの顔が、少しでも微笑んでいれば良いなと思いながら操縦桿をぎゅっと握り、魔道空機エア・ガウルは工房へと雲の尾を引きながらぐんと飛んだ。



次回、第六話「近づいていく距離」①⇓⇓
12月9日(月)公開