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第六話「近づいていく距離」②

前回のおはなし⇓⇓

***

 そうして、一ヶ月ほどがった頃だろうか。
 夜の回復訓練のため、リズレの右手のマッサージをしようと、私は彼女の前に座った。
「それじゃ、いつも通りまずは手首とひじの屈曲運動から始めますね」
「はい! よろしくお願いしますっ」
 そう意気込むリズレの手を取ろうとした――そのときだった。
 パッと彼女の手のひらに、暖かな明るい光が灯った。
「ッ!? リズレさん、これ魔法が――」
 思わず叫びかけた瞬間。重ねた手が、微かにそっと握られるのを感じた。細く、繊細な指先の、弱々しい――だが、確かな力。
「リズレ……さん?」
「あ……あのっ。これ、薬売りさんを……驚かそうと、思って。今朝から、手の感覚が……繫がった、感じがした、から。魔法、たくさん……練習、したんです。でも」
 リズレが、懸命に話している。それに耳を澄ましている間、リズレの手はまた少し、私の手を握る力を強くした。
「これ……薬売りさんの、手……ですよね? いま……はじめて、握れたようで……その。嬉しくて……わたしが、ビックリしちゃいました」
 笑顔を見せるリズレの目から、ぽろぽろと涙があふれる。
「リズレさん……っ」
 震える右手。それを、私はそっと握り返した。私のものとは全く違う、柔らかく小さな手のひら。
「びっくりしました。本当に、すごくびっくりしました。すごいですよリズレさん。手術から、一ヶ月程度でこんな――すごいです」
 ともすると、私まで泣いてしまいそうだった。
「薬売りさんが、毎晩手伝ってくれた、から」
「違います。違いますよ。リズレさんの努力です。リズレさんの頑張りが、こうして形として現れたんです」
 知っている。
 朝起きると、真っ先に指が動くか試してみていることを。
 日中、休養しながらもこっそり一人でできる訓練を続けていることを。
 夜、痛みをこらえながら、訓練後も寝台の中で指先や足先が動かないか意識をし続けていることも。
「すごいのは、リズレさんです」
「薬売り、さん……」
 リズレの目からまた、ぽろりと涙が一粒落ちた。

 もちろん、それで訓練が終わりというわけではなく、リズレの努力は続いた。むしろ、そこでゆるむことなく以前より訓練に励む姿は、さすがと言う他ない。
 細かな指先の動きはまだ難しくとも、手を貸すことで腕もある程度動かせるようになってきた。
「これだけ動かせると、自分でできることがもっと増えそうですね」
「ほんと、ですか!」
 パッとリズレの表情が輝く。彼女の性格を考えれば、自分のことをなんでも他者に手伝ってもらわないといけないのは辛いだろうし、その辛さを表に出さないできたのもリズレの我慢強い性格だからこそだろう。
「そうですね……例えば、食事とかどうですか? スプーンを布で手のひらに固定すれば、自分のペースで食べられますし、それ自体が訓練にもなります」
「は、はい! したい……ですっ! ごはん、自分でっ」
 勢いよく頷く彼女に、私は笑って「では、そうしましょう」と頷いた。

 まずは、食事の動作訓練を始める前に、入れ歯の状態を確認することにした。前に多少痛むと言っていたが、やはり接合部が緩くなってきてしまっていたため、元のものを利用しつつ改良を加えて作り直す。二度目ということ、そしてリズレの意識がはっきりしているという違いもあり、こちらは前回よりスムーズに進んだ。
「……よし。固定されるまで、強く嚙んでいてください」
「は、はひっ」
 いーっと歯を嚙み合わせるリズレに微笑みかけ、「ちょっとだけ夕飯の支度をしておきますね」と席を外す。
 自分でとる、最初の食事だ。できるだけ失敗が少なく、また入れ歯の調子も見たいため咀嚼そしゃくしやすいものがいい。嫌な思い出にならず、これからも頑張れると思ってもらえるように。
 魚の身を念入りにすりつぶし、下味をつけてだんにする。これならスプーンですくいやすいし、ほどよい弾力で嚙むのも難しくないはずだ。
「――それじゃリズレさん、手にスプーンを固定しますね。少し、自分で握れますか?」
「はい、えっと……こう」
 リズレがゆっくりと、手渡したスプーンを握る動作をする。なんとかつかんだスプーンは上下にゆらゆら揺れていて、そのままでは料理をすくっても傾いてこぼしてしまうだろう。
「失礼しますね」
 声をかけて、スプーンと手を挟むように布を巻く。きつすぎず、緩すぎず。具合を確かめながら、「これでどうでしょう」と手を離した。
「器の位置がここです。ちょっとだけ、案内しますね」
「ありがとうございます」
 手を添えて位置を知らせると、リズレはすぐに把握できたようだった。見えない目で、探り探り中の具をスプーンですくう。
「あ、ちゃんとすくえましたよ。軽く冷ましてあるから、熱くはないと思います」
「はいっ」
 リズレが頭を下げようとするのと同時に、スプーンも傾いてしまいそうになったので慌てて止める。それから、リズレは「いただきます」と呟き、ゆっくり自分の口元へとスプーンを動かした。はふっと、無事口に団子が入ると、顔がパッと赤くなる。
「くすりうりは……食べ、られまひは……っ」
「はい、すごいですリズレさん」
 私まで嬉しくなってしまって、思わず表情が緩む。リズレはそのまま、はふはふと団子を口に運び続けた。繰り返すにつれ、動きもスムーズになっていく。
「この、お団子? すごく、美味おいしくて」
「すり身ですね。お口に合いました?」
「はい!……あの、それで……その」
 リズレのスプーンが、かつんと皿を叩く。空になったのだ。どこかもどかしげにしている彼女をぼんやりと眺め――ハッと気がつく。
「……あ! お代わりですか?」
 リズレの頰が、再度赤くなった。
「……ハイ」
「ありますよ。気に入っていただけて、良かったです」
 立ち上がると、リズレが嬉しそうに笑った。多分、自分も今同じような顔をしているのだろうなと、なんとなく思ってしまった。

***

 さわやかで、心地の良い木々の香り。かたわらでは、かたかたと小さな音が鳴っている。
 ――森の中を、リズレと二人で進む。といっても、今日は背負しょいではなく、集落で農耕器具を専門にしている職人が作ってくれた車椅子に、リズレは座っていた。
 これなら、後ろから介助者が押すことで、楽に進むことができる。先の旅を反省し、お互い負担の少ない移動方法はないか考えて依頼したものだ。以前に王都で見かけたのを見様見真似で、私が図面を引いたのだが、かなり精度の高い良いものを作ってもらえた。おかげで、こうして散歩にも気軽に出かけられる。
「気持ちが良い、場所ですね」
「この辺では、特に魔力マナに富んだ場所ですからね。ゆっくりしていきましょう」
 今日は、月に二日ほど設けている工房の定休日だった。リズレの休養と、魔力マナの充塡を目的とした散策だ。目的のある旅でもなく、こうしてゆったりと過ごすことだけを目的としたお出かけは、初めてかもしれない。
「車椅子、揺れませんか?」
「全然へっちゃらですよっ!」
「本当ですか? 無理はしないでくださいね。私は――」
「大丈夫です。ちゃんと……困った時は、薬売りさんを頼りにしてます」
 にこりと明るく微笑まれ、私も思わず笑い返す。数ヶ月前には想像ができなかったくらいに、彼女はすこやかに、たくましく私の前にいる。
「あ、そこに良いスペースがありますよ。とりあえず、お昼にしましょうか」
「お昼! はいっ」
 耳をぴこぴこさせて、リズレが頷く。そんな彼女を椅子から降ろして、先程示した開けた場所にゆっくりと座らせた。嵐かなにかで横倒しになった木の幹があり、背もたれにちょうど良い。地面がややしっとりしている気はするが、すぐに乾く程度だろう。
 私は水筒を取り出して、湯気の立つ中身をカップに注いだ。緑色の、とろりとしたポタージュだ。
「どうぞ、スープです」
「わ……良い香りです。ありがとうございます」
 リズレは手のひらでカップを受け取った。食事の訓練を続け、指に力を込めるのも上手うまくなってきた。こぼしたら熱いため、肘をそっと支えれば、それだけで充分問題なく飲むことができるようだった。
「ん……? お客さん、ですね」
 くすっとリズレが笑う。なんのことかと思えば、彼女のひざにちょこんとリスが乗っていた。小さなその生き物は、全くおびえた様子もなくちょこちょことリズレの肩まで登っていき、特徴的な大きな耳と尻尾を揺らした。
「こんにちは……お邪魔してます、ね」
 肘より少し上から欠けた左腕をくいっと上げて、リスが落ちないようにするリズレ。その横顔は、とても柔らかだ。カップを降ろし、見えていないはずの目で、周囲をゆっくりと見回す。
「薬売りさん」
「はい。どうしましたか?」
「わたし……この土地も人も、好きです。大好きです」
 すい色の瞳が、木漏こもれ日を受けてキラキラと輝いている。それはなにかをなつかしむように、ゆるく細められた。
「ずっと……ここで、暮らしたいくらい……」
 思わず口を開きかけ、きゅっと閉じた。
 なにを、言おうとしたんだ? 私は。
 いや、分かっている。
 今、ほんの一瞬。夢想してしまったのだ。薬屋を営む傍らで、今と変わらず優しく微笑みながら、共にいる彼女の姿を――なんて、バカバカしい。
「……リズレさん」


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田舎の集落で薬売りをする青年アレンは、 ある日買い取ったボロボロのエルフの少女に、 リズレという名前をつけ、献身的な治療を施す。 次第に二人の間には強い絆が生まれ、エルフの里での大事件を経て、 リズレは奇跡の復活を遂げる。 夫婦となり平和で幸せな日々を送る二人だったが、 アレンはリズレを傷つけるのを恐れ、一歩踏み出せずにいた。 そんな迷いに区切りをつけようと、きちんと結婚式を挙げることを決めたアレンは、 異種族間の婚姻に際して『聖霊の祝福』を受けねばならないことを知る。 アレンとリズレは西にある聖都セントクレアムへと向かい、 旅を通してお互いの距離はさらに縮まっていくのだが…!?
命とは、人間とは、二人の数奇な運命を描く異世界ファンタジー、第2集!!


次回、第六話「近づいていく距離」③⇓⇓
12月13日(金)公開