第六話「近づいていく距離」①
前回のおはなし⇓⇓
「リズレちゃん、大丈夫かい? 熱かったら言いな。のぼせちゃったら、大変だからね!」
響いて聞こえるアネさんの声に、リズレは「はい」と頷いた。
「でも……とても、きもちいい、です」
「きもちいいよねー」
すぐ側ではしゃぐ声は、モネちゃんのものだ。
リズレはアネさん、そしてモネちゃんと一緒に、工房に備えつけられた風呂に入っていた。ほど良い湯かげんに、強張った身体が解れて気持ちが良い。
「おふろ……すき、です」
「あははっ! わたしもモネも好きだよ。これから、一緒にいっぱい入ろうね」
「あたしも、リズレちゃんとお風呂入るの楽しいよっ」
明るい二つの声が浴室に反響する。それがなんだか楽しくて、リズレは「はいっ」と頷いた。
ちゃぽん、と音がして、隣が少し揺れる。身体を洗っていたアネさんが入ってきたのだろう。
はずみで身体が浮きかけるのを、アネさんが腕を回して支えてくれた。
「大丈夫? ごめんね」
「いいえ。ありがとう、ございます」
アネさんの声はいつも軽やかだ。顔は見えないけれど、きっと笑顔が輝くような女性なんだろうなと、リズレは思っている。アネさんもモネちゃんも、自分にとってはまるで、暖かい太陽のようだ。
「リズレちゃん、リズレちゃん」
「はい。なんです、か?」
呼ばれて振り返った途端、ぴゅっと頰にお湯が当たった。「わっ」と声を上げると、モネちゃんがきゃっきゃとはしゃぐ声が響く。
「手で、水鉄砲! びっくりした?」
「びっくり……しま、した」
あまりにも驚きすぎて、きょとんとしていると、モネちゃんの方から感じる空気が変わった。
「え? そんなに、びっくりさせちゃった? ごめんね、ごめんね。こわかった?」
「あ! いえ、そんなこと」
うろたえ、泣きそうな声。リズレは慌てて、言葉を探す。
「びっくりしたけど、たのしいびっくりです。それに、モネちゃんは……めとか、はなとかに、かけないでくれました。モネちゃんはやさしい、いいこです」
伝わったろうか――不安を感じていると、「よかったぁ」と呟くのが聞こえてきた。うん、良かった。そう、リズレも微笑む。
「もし、わたしのうでが……うごいたら。モネちゃんに、いっぱい、おかえししますよ」
「あははっ! あたしも負けないもん」
モネちゃんがまた、はしゃいだ声を出す。様子を見守っていたらしいアネさんが、「ほら」とそれに声をかけた。
「次はモネの番。身体、洗っちゃいな」
「はーい!」
素直に返事をしたモネちゃんが、湯舟から出る音がする。また、大きく湯が動くけれど、今度はアネさんの腕のおかげで揺れなかった。
「……リズレちゃん」
すぐ隣から囁くような声がして、「はい」とリズレは顔をそちらに向けた。ばしゃばしゃと、少し離れたところで、モネちゃんがたらいのお湯をひっくり返す音がする。
「リズレちゃんは、偉いね」
「えら……い、ですか?」
それは思ってもみない言葉だった。どういうことか飲み込めなくて、ただおうむ返しになる。
「偉いよ。たくさんの苦労を、この細い肩に背負い込んで。それでも、真っ直ぐとした心を持っている。偉いし――強い娘だよ、リズレちゃんは」
リズレの身体を支えるアネさんの腕が、きゅっと少し強くなる。
「……これから、新しい手足になったことで、また別の苦労があるだろうけれど。でもきっと、先生はリズレちゃんなら、それも乗り越えられるって信じているんだろうね」
「くすりうりさん、が……」
「そうだよ。なんだかんだで、先生がこの集落に来てから、数年来の付き合いだからね。考えていることは、なんとなくくらいなら分かるさ」
薬売りさんが、わたしを信じてくれている――だとしたら、それは確かに、リズレにとってなによりの力だ。
「先生も、偉い人だよ。あの人がこんな小さな集落に留まってくれているから、ここの住人はすごく助かっているんだ。街まで薬をもらいに行くだけで、本当ならすごい苦労だからね。モネも何度も助けてもらった。最近は、来たばかりの頃に比べて、笑っている顔を見ることも増えたし……」
「……?」
「――いや。とにかくわたしらは、リズレちゃんたちを応援してるよってことさ。困ったときは、先生だけじゃなくて、わたしのことも頼ってね」
「……ありがとうございます」
嬉しかった。アネさんの、それこそ真っ直ぐな心が、リズレの心に染み入ってくる。まるで、胸の中にパッと光を灯らせてくれるように。
(おぼえて……ない、けど)
寄り添うアネさんの体温が、湯の温度よりなお温かく感じられて。リズレは心地良く、目を閉じた。
(おかあさん、って。こんなかんじ……だったのかな)
***
シャキリと音がして、リズレの前髪がきらきらと床に落ちた。
工房に戻って、一週間。リズレの術後の経過は良く、体全体の傷の治りも良い様子だった。あれだけ酷かった肌の傷もかなり回復しており、痕が目立たなくなってきた。ずっと貼っていた湿布も外し、ここからは塗り薬と自然治癒で様子を見ることとなったことで、傍目の痛々しさもだいぶ和らいだように思う。
「――これなら、街中に行ったとしても目立たないと思いますよ」
「ありがとう、ございます」
リズレが、小さくはにかむ。入浴後なためか、頰がほんのりと赤い。
短くしたばかりの前髪の下。窪んだそこには、湿布に代えて象鯨の革を素材にした眼帯を着けることにした。炎症は落ち着いたが、目蓋を保護するためだ。
表情も、だいぶ豊かになってきた。意識状態がかなり回復してきたからだろう。
そうなると、風呂なども無闇に私が介助をすることには差し障りが出てきたため、時折アネとモネがやってきて、一緒に入ってくれている。先程の入浴もそうだ。リズレにとってもそれは楽しい時間のようで、作業をしている私のところまで楽しげな声が風呂場から聞こえてくることもしばしばだ。
介護に必要な時間も徐々に減り、工房の営業は元通りになった。私が仕事をしている日中は、リズレには大気から魔力を充塡しつつ休養してもらっている。
そして、夜は。
「リズレさん……大丈夫ですか?」
私の問いかけに、リズレが少し苦しげに息を吐いた。
「だいじょうぶ……です。がんばり、ます……っ」
健気な返事に、少し胸が痛むが仕方ない――極微弱ではあるが、腕と足に振動魔法を当て、刺激を加えることを続ける。筋力や神経の回復を促進させるためだ。
「腕、一度上げさせますね。……指先に力を入れられますか?」
「ん……っ」
「良いですね。まだ微かですけど、動いています。同時に、魔法を出力する練習もしていきましょう」
「はいっ」
リズレの返事は明るい。術後の痛みもある中、腐らずに毎日よくやっていると思う。額に汗しながらも努力する彼女の表情は、凜として輝いて見えた。
「――今日はここまでにしておきましょう。頑張りましたね」
「でも……」
「焦らず、着実にやっていきましょう。今日は頑張っているご褒美にって、アネがクッキーを持ってきてくれたので、いただきましょうか」
「アネさんのクッキー……! はいっ」
リズレの耳が、ぴこぴこと揺れる。それを微笑ましく感じながら、私は甘い香りのするクッキーを取りに向かった。
(リズレさん、言葉もかなりはっきりしてきたな)
回復訓練は、変化が起こりそうなときもあれば全く調子の出ないときもある――そういった一進一退の地道な努力の積み重ねだ。だからこそ、患者がその辛さから訓練を諦めないようフォローするのも、支える立場として必要なことであり、アダムスカが言うように腕の見せ所なのだろうが、リズレに限っては私が想定していた以上に頑張り屋さんだった。
「――はい、リズレさん。お疲れ様です」
台所にあったそれを、そっと口に運ぶと、リズレは小動物のようにそれを齧り、幸せそうな表情を見せた。
「とっても、おいしいです……この、クッキー」
「右手が動くようになれば、自分のペースでこのクッキーも食べられるようになりますね」
「……! わっ、わたし、がんばりますっ」
勢いよく頷くリズレに、思わず笑ってしまいながら。終わりの時が近づいているのを、私は確かに感じていた。
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次回、第六話「近づいていく距離」②⇓⇓
12月11日(水)公開