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ペタル ダンス【おそらく聞いたことがない話】

いまはもう取り上げられることもあまりない、でもときどき思い出して人に薦めたくなる映画がある。
『ペタル ダンス』、監督の石川寛の本職はCMのディレクター。2013年に上映されたのだが、当時としても大きな話題になった映画ではない。
はっきりいって地味な話だ。『ペタル ダンス』は、会えなくなっていた人に会いに行くという、とても簡明なロードムービーである。

頭上にたちこめた雪雲のなかで、冬の太陽光が乱反射し、銀色の光彩を放っている。『ペタル ダンス』のなかで、登場人物たちの頭上にあるのはいつも、輝く銀色の曇り空だ。 

その空の下、一台の色あせた自動車が、北に向かって走っている。乗っているのは三人の女性。かつて大学の同級生だった二人と、付き添いで来た少し年下の女性。旅の目的は、二人の同級生の女性に会いに行くこと。 

その同級生は少し前に「ぎりぎりまで行った」という、つらい思いを経験し、今はまだ、病院のなかで過ごしている。同級生が心に傷を負ったとき、「友達なのに、何もしてあげられなかった」ことを二人は悔やんでいる。しばらくの間その同級生に会うことを躊躇していた。しかし、思い立って久しぶりに同級生のもとへと向かっている。

旅によって人は日常の思考から少しばかり遠ざかり、それまで自分を拘束していたさまざまな感情の箍から、少しだけ自由になることができる、銀色に光る空の下で、彼女たちは途切れ途切れの会話を交わす。実のところ、その同級生に会いに行くことは、自分たちのわがままであって、同級生にとって良いことかどうかは分からない。何を話していいかも分からない。おそらく顔を合わせたところで、何かが劇的に解決するわけではない。

でも、何かを語るわけではなく、久しぶりに会って顔を見たい、「久しぶりだね」と言いたい、という思いがある。旅の先に、大げさな抱擁や劇的な告白があるわけではない。そんなに都合よくは運ばない。久しぶりに会ったことを良かったと思える半面、会わなければよかったと思うこともある。たいていの再会には、その両面が混在している。しかし彼女たちは、それでも北へと向かう。

この映画は、その再会にまつわる両義的な感情をとても繊細に描いている。彼女たちはときに言葉につまり、同じ言葉を繰り返し、黙り込んでしまったりする。その途切れ途切れの不器用な会話に感情移入してしまう。道中で何気なく話される、本筋とは関係のない会話もとてもいい。芝居は極めてナチュラルに、決められた台詞は最低限に。監督の石川寛は演者に台本を渡さず、登場人物の思いを綴った手紙を送ったとのこと。病院にいる同級生を演じた吹石一恵は、その手紙を「ラブレター」と言った。

慎ましく描き出された「再会」。朴訥な映画である。再会を経たからといって、以前の親密な関係を取り戻せるかは分からない。お互いに、もうそれを望んですらいないかも知れない。以前とはもうすっかり物事は変わってしまっているのだ。しかし、そんなことを心配する前に、久しぶりに会う友人に笑顔で「久しぶりだね」という言葉を伝えること、そんな些細なことが大切なのだろう。 

http://bitters.co.jp/petaldance/ (劇場公開終了)

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