将棋電王戦【おそらく聞いたことがない話】
将棋といえば目下 藤井聡太四段の連勝記録がどれくらい伸びるかがニュースとなっていて、少々目立たなくなってしまっているのが、将棋電王戦の結果だ。
毎年開催されている、プロ棋士とコンピュータ将棋ソフトウェアの戦いで、今年は最強の将棋ソフト「ponanza (ポナンザ)」と、タイトルホルダーである佐藤天彦叡王が対戦した。
電王戦にはこれまで多くのプロ棋士が参加してきたが、タイトル保持者、つまり将棋の世界で最高峰の強さを持つ棋士が出場するのは初めてのことだった。
ちなみに佐藤叡王は電王戦出場をかけた戦いで、あの羽生善治三冠を破っている。そういう将棋界のトップ棋士がコンピュータと対戦するということで非常に注目された戦いだったが、ponanzaの実力は佐藤叡王を完全に凌駕していて、ponanzaの2勝0敗という結果となった。
電王戦の主催者は、毎年開催していたこの大会を、今回で終了すると宣言した。仮に来年電王戦を開催しても、1年の期間をおいてより強化されたコンピュータが、人間を圧倒することが目に見えてあきらかなのだ。
ponanzaは定期的にバージョンアップをおこなっていて、2016年のバージョンと、2017年のバージョンを戦わせると、約9割の確率で2017年のバージョンが勝つ。人間には、コンピュータなみの短期間で棋力をアップさせることは不可能だから、今後コンピュータと人間の実力差は開くいっぽうということだ。
将棋ソフトの研究はこれからも続いていくのだから、その強さの進歩は人間の及びもつかない領域を突っ走ってゆくこととなる。
しかしひとつ不思議なことがある。
コンピュータが人間をゆうに超える実力をすでに保持していて、これからも強くなり続けるのは分かった。でもどうやったらそういうことが可能になるのか? もはやコンピュータにたいして人間が教えられることなんて何もないのだ。
ponanzaの開発者である山本一成が著した『人工知能はどのようにして「名人」を超えたのか?』という本が出版されていて、そこにはどうやってponanzaが強くなり続けているのか、しくみが書いてある。いや、「しくみが書いてある」というのはちょっと正確な表現ではないかもしれない。
ponanzaのバージョンアップを行う段階で、旧バージョンのponanzaのプログラムを組み替える作業が人間の手によって行われるのだが、
「プログラムに埋め込まれている数値がどうしてその数値でいいのか、あるいはどうしてその組み合わせが有効なのか、真の意味で理解していない」
「せいぜい、経験的あるいは実験的に有効だったとわかっている程度」
と山本は述べる。
つまり、どうやったらponanzaが強くなるのか、確実なことはわからないままにプログラムをいじってみて、旧バージョンのponanzaと戦わせる。その結果、プログラムを組み替えてみたponanzaの勝率がアップしていたらそいつを新ponanzaとして採用し、逆に弱くなっていたら不採用とする、というやり方をとっているのだ。
それは、とりもなおさずponanzaがあまりにも強くなりすぎていて、人間にはもうponanzaの戦法がよくわからなくなっているからだ。
山本はアマチュア五段の腕前の持ち主で、将棋人口全体からすると相当強い部類の棋士ということになる。その山本が「(ponanza同士の戦いにおける)将棋の内容を吟味しようにも対局の勝因や敗因が分からないので、吟味できません(括弧内筆者)」という。さらに山本はこう述懐する。「そんなわけで、現在のポナンザの改良作業は、真っ暗闇のなか、勘を頼りに作業しているのとほとんど変わりがありません。これは絶対うまくいく、と思った改良が成功しないことは日常茶飯事で、たまたまうまくいった改良をかき集めている、というのが実情です。」
ちなみに、こういう状況は、実は将棋ソフトウェアだけに限ったことではない。将棋ソフトウェアというのは、人工知能の一種だが、現代の人工知能の研究において、このような「人間にはなんだかさっぱりわからなくなっている部分」がたくさん出てきていて、そういう状況のなかでうまくやっていく、という課題に、研究者は直面している。この「なんだかわからない技術」のことを、人工知能の研究者たちは戯れに「黒魔術」と呼んでいるそうだ。
参考:『人工知能はどのようにして「名人」を超えたのか?』山本一成 /ダイヤモンド社 / 2017