今日も今日とて花を飾る
はじめましてBorkeのchihiroです。
なぜnoteを始めようかと思ったかというと
昔から思っていることを口にしたり、態度(表情や声)で示すことがとても苦手な不器用人間で(アルバイト時代にお客さんに“お姉さんロボットみたいだね!悪い意味じゃないよ!"と言われたことがあったが、いま思い返すと悪い意味だったとしか思えない)
花以外にできること
たとえば文章にして、人に伝えてみるという試みをしてみたら?と友人の声に背中を押されたからである。
Borkeの花はどんな人間が作っているのか、知ってもらうために。
そもそも花を手に取り、部屋に飾るということは人にとってハードルが高いものなのだろうか。
そんなことをふと考える。
かくいうわたしも花を自分で購入し、飾るようになったのは割と最近の話である。(10年くらい前だろうか)
花を自分で購入して飾るようになったきっかけは、新卒から働いていた大病院での看護師を辞めた時だった。
そう、わたしはもともと全く違う畑で働いていたのである。
身体的にも精神的にも疲弊し、完全に燃え尽き症候群のようになってしまったわたしはある日突然“花でも買ってみよう“と思い立ち(いま思うとなぜあのタイミングだったのかはよくわからない)
近所のスーパーに併設されている花屋で、目を惹かれたチューリップを一輪購入した。
白地に薄いピンクのラインが入った、まるで和菓子のように甘そうな色のチューリップだった。
もちろんいままで花を飾るなんて習慣も心の余裕も無く、家に花瓶なんてほとんどなかったため、とりあえずその辺にあった適当なガラスに飾ってみることにした。
飾ってみると口から出てきたひと言目は、語彙力もなにもない
「あぁ花ってきれい!」というシンプルな言葉だった。
こんな単純なことにもいままで気づかなかった自分が異常だったのだと思ったし、この体験はボロボロに疲弊したわたしの心身をひたひたに潤してくれた。
そして同時にすごく人生を損しているような気がしたのである。
それからというものの
毎週のように花屋に通い
毎月花のレッスンにも通い(毎回与えられていたテーマをガン無視し、道中聴いていた音楽や前日に観た映画などを勝手にイメージして作ったりしていた)
そして気づいたら自分が花屋になっていた。
超心配性&慎重型なのに、昔からすきなものに対しての探求心と謎のフットワークの軽さだけはあったのである。
いま考えるとなかなかヘンテコな人生を送っていると思う。
でもわたしのように内気で不器用な人間が花に出会い、花に魅了されてしまったのは必然だったのかもしれない。
そしてわたしが花に出会ってから、いままで毎週続けていることがある。
"花を一輪でも家に飾ること"
これがなかなか花屋である自分でさえ難しいときももちろんあるのだが、習慣として生活に馴染むと、自然と家に花がないことや枯れていることに、身体がムズムズしてくるのである。
花を新たに飾ると新しい1週間の始まりのような気がする。
それだけで空気が澄んでニュートラルな感覚に引き戻してくれる。
先日のpopupで、一輪のマムを手に取ってくださったご夫婦が同じようなことを言っていた。
あの大輪の美しいマムが、あのご夫婦の1週間の生活のささやかなお守りになったくれたらいいな〜と思いながら
わたしは今日もだるい身体を叩き起こし自宅に花を飾る。