自虐"ZIGYAKU"氏インタビュー Part.2 -Bastard編-
先日のHALF YEARS編に続き、今回はBASTARD編のインタビューを公開。
1980年代終盤、シーンに登場した当初から強烈な存在感を放ち、後に世界的な影響を及ぼしたBASTARD。
まさにその「核」であった自虐氏に、サウンド面の話題を中心に伺った。
曲作りやレコーディングの手法については頷ける場面が多々あり、ジャンル云々を抜きに「音楽そのもの」に真摯に正対し、その表現手法を探求して行く姿勢と態度が感じられた。ハードコアパンクの歴史において重要なバンドの一つであり、その音楽性がどのように形成されていったのか、その一端に触れることが出来るはずだ。
また過去を振り返るだけでなく、コロナ禍の今、そしてこれからについて自虐氏が思うこともお聞きした。
それではどうぞ。
Takeshi
- (HALF YEARS編からの続き)念のためお聞きしたいんですけど、HALF YEARSは活動停止ではなく、本当に解散したということでいいんですよね。
最後はどんな終わり方でしたか?「はい、もう今日でおしまい!」みたいな感じだったんですか?
自虐(ZIGYAKU、以下 Z): 予定通り、半年経ったんでそこで解散です。
でも、MOTSUはその後もちょっと続けてたって聞いたので、ホントの解散はもうちょい後なのかな。
てか、半年やって34年活動停止ってどんなバンドですか?(笑)
- 上京前に、新バンドのメンバー人選などはある程度目処がついていたんですか?
Z : 元々はなんのアテもなく、上京してからメンバー探そうと思ってました。
- 上京後、SYSTEMATIC DEATHに極短期間加入しています。『V.A. / MY MEAT’S YOUR POISON』(LP 1987年)以前からツアーなどで交流はあったと思いますが、その頃からKOBA氏 (ドラマー。ex. BASTARD, 現SYSTEMATIC DEATH, RYDEEN, ROCKY AND THE SWEDEN etc...)と一緒にバンドをやりたいと思っていたのですか?
それともたまたまタイミングが合ったからですか?
Z : 上京する少し前に、電話でシゲル(SYSTEMATIC DEATHヴォーカリスト。蛇足ながら、システマはSYSTEMATIC DEATHの略)に、「近々上京する」って話したら、システマのギターが辞めちゃったから入らない?って誘ってくれて、システマ好きだったし、やることにしたんです。
だから、コバ(KOBA氏)個人にどうこうってのはなかったですね。
- SYSTEMATIC DEATHが活動停止後、KOBA氏とBASTARDを結成しますが、曲作りは二人で行なっていたんですか?
Z : 曲は全部俺です。
- 曲作りは人それぞれのやり方があると思うんですが、この頃はどんな感じで?
Z : いくつかあって、ギターを適当に弾きながらいいリフが出来たらそれを広げていったり、イントロから順序立てて作っていったり、何かアイデアが浮かんだらそれを活かしたリフをくっつけていったり。
あとは、四六時中、頭の中で考えてました。
右奥歯をバスドラ、左奥歯をスネアに見立てて「ドッカドッドカッ ドッカドッドカッ」ってリズムを叩きながら、頭の中でリフを乗せて曲にしていく感じで。
長年酷使したせいか、少し前に右奥歯が砕け散ってしまいました。悲しいことです。
- 奥歯が砕け散るってどんだけですか(笑)。”歯ドラム”は自分もやりますね。
曲を考えてる時は無意識にやってるみたいで、家人からも「このコツカツ、ポクポク鳴ってる音は何?」ってよく言われます。
今はスマホのボイスメモ機能があるんで、思いついたらメロやリフを歌って録れたり便利ですけど。
昔よくあったのが、外出先でリフを思いついて”歯ドラム”しながら家に帰ってる途中、曲がり角で人にぶつかりそうになったのがきっかけで全然違うリフに変わってしまって、元のリフが二度と思い出せなくなるというやつなんですけど、自虐さんもそういう経験ありました?
Z : しょっちゅうありましたよ。
だから、チャリンコ乗りながらハンドルでリズムを叩いて曲作ってる時とか「あ、ぶつかる!」と思っても、ハンドル叩くのやめるとリフを忘れそうだから、ブレーキ引かずに叩き続けてそのままガードレールに激突したりしてました。アホです。
- そのリフは死守できたんですか?
Z : 忘れました(笑)。
- 出来た曲を他のメンバーに伝える際は、テープあるいはタブ譜的なメモを渡したり?目の前で弾いてみせてそれでOKというのもあると思いますが。
Z : スタジオでギターを弾きながら、ベーシストにリフと構成を伝えて、皆にはそれを見ながら覚えてもらって、んじゃ合わせてみようって感じですね。
- なるほど。「BASTARDはこういう音で、こういう曲をやる」という構想は既に固まってましたか?
Z : 最初は、漠然とマイナー調の曲がやりたいなって位でした。
- BASTARD結成から1st『CONTROLED IN THE FLAME』(7” EP 1989年)をリリースするまで、どのくらいの期間でしたか?
ライブも演りながらだと思いますが、その過程で漠然としたイメージが具体的なものへ変わっていったんですか?
Z : 確か、初ライブやるまでに半年かかったんですよ。メンバーもなかなか決まらなかったんで。
そん時9曲演ったんだけど、ボツだらけで1~2曲しか残ってない。
で、ライブ続けながら、作ってはボツ作ってはボツみたいにして、段々方向性が見えてきた感じです。
シングル出すまでに、1年位かかったんじゃなかったかな。
- 初ライブをやった経緯やその会場は覚えてます?やはり久々にライブを演るのは嬉しかったですか?
Z : そりゃもう、嬉しかったです。
他人のライブ観るばっかりで、悶々としてたから。
ハコは屋根裏(かつて下北沢にあったライブハウス)でした。
記憶が定かじゃないけど、GIL(80年代中頃から東京・三多摩地区を中心に活動するハードコアパンクバンド)の企画に出させて貰ったんじゃなかったかな?
ライブの事はよく覚えてます。コバが、9曲全部構成間違えたから。
あれは忘れられない。未だにトラウマです(笑)。
- デビューライブあるあるですね(笑)。ボツになっていったのがどんな曲かも興味深いですが、『CONTROLED IN THE FLAME』には選りすぐりの強度を持った曲だけが収録されているんですね。この音源が完成した時、ある種の達成感みたいなものはありましたか?
Z : このEPに限らず、達成感はどのバンドのどの音源を出した時もありますよ。
その時自分が1番カッコいいと思ってるものを、カタチにできたわけだから。でも、ほんのちょっとの間だけですね。
すぐ、もっと良いものが作れるはずだ、もっとやらなきゃってなっちゃうから。強迫観念に近いかも。
- パンク/ハードコアのギターはミッドレンジ中心の音作りが割と主流だと思うんですが、『CONTROLED IN THE FLAME』での低域を強調したドンシャリなギターサウンドにはかなり驚きました。今でこそミドルをばっさりカットした音作りは一般的ですが、当時こういったメタリックにも聴こえる音色で、正統的なハードコアを演るバンドはいなかったと思います。ギターの音作りはかなりこだわりましたか?
Z : そうですね。ギターの音はヘヴィにしたくて、試行錯誤してました。
あと、レコーディングスタジオによっても、音質って変わってくるじゃないですか。
当時、下北の屋根裏(スタジオ屋根裏。下北沢のライブハウス”屋根裏”の上階にあったリハーサル/レコーディングスタジオ)でレコーディングするバンドが多かったと思うんだけど、あそこはギターも含めてミドルが強調される印象で、俺も何回か録ったけど出したい音と少し違うなと感じてて。
で、別のスタジオを開拓しようと色んな音源を片っ端から聴いてたら、MACROFARGE(80年代後半~90年代初頭、東京で活動していたハードコアバンド)のデモテープの音質がちょっと気になって。
クレジット見たら、OUR HOUSE(港区三田にあるレコーディング/リハーサルスタジオ)っていう周りの誰も知らないスタジオだったけど、なんか可能性を感じたのでここで録ってみようと。
そしたらドンピシャでした。
エンジニア兼オーナーの柳田君が、また独特で面白いんですよ。
- OUR HOUSEの名前は、このころのパンク/ハードコア系の音源のジャケットやインサートによく載っていたのを覚えています。
レコーディングはエンジニアとの相性や、スタジオの音響特性など、ある意味最初は賭けみたいな部分もあると思うんですが、うまく合ったんですね。バンドによってやり方は色々ありますが、この7inchの時はどんな感じで録りを進めていったんですか?
トラックダウンも含めてどれくらいの時間をかけたんですか?
Z : 6時間を3日間だったかな?
バック録り、被せと歌、ミックスダウンをそれぞれ一日ずつ。
- インタビューPart.1でも言ってましたが、自虐さんがプロデューサー的な視点も持ちつつ全体をまとめていった感じでしょうか?
ギター以外のパートの音色やアレンジなどにも注意を払いましたか?
Z : うん、そうですね。そんな感じです。
音色は、各々の意向を聞いたうえで、全体像を提案して話し合いながら決めてました。
各パートのアレンジは、キモのところの希望を伝えただけですね。
- レコーディングでギターを2本重ねる際、左右どちらかのチャンネルがミッド中心で歪み少な目の音色、もう片方がノイジーな音色というのがよくある手法ですが、『CONTROLED IN THE FLAME』の場合左右全く同じ音色に聴こえます。同じ音色の微妙なズレだけで、音圧と重さを強調する意図だったんですか?
Z : そうです。
バッキングを重ねる時は、あまり音質変えないですね。
何かを切り捨てる事で、得られるものもあるんで。
- 自虐さんはこの頃にはもうBOSSのMT-2 METAL ZONEを使ってるんですよね?
インタビューPart.1の時に聞き忘れてたんですが、数ある歪みエフェクターの中から何故これを選んだんですか?
Z : METAL ZONEはこの後からかな。
この時は、BOSSのHM-2 HEAVY METALにGUYATONEのディストーションX-1を噛ませてました。
その後、HEAVY METALの後継機種のMETAL ZONEを何の気なしに買ってみたら、気に入って手放せなくなったという。
- BOSSのHEAVY METALとグヤのX-1であの音出してたんですか?! 想像と全然違ってたんで驚きです。
どちらかがブースターみたいな使い方だと思うんですけど繋ぐ順番は?
Z : HEAVY METALを先に繋いでました。逆も試したけど音がケバだってイマイチだったんで。
- 歪み2つ繋ぎは曲間のノイズが酷いと思うんですが、やはりライブの時のエフェクターのON・OFFは2個同時踏みでした?
Z : 踏むのは同時です。そうしないと歪み強くてハウっちゃうから。
- やっぱり2個踏みですか。METAL ZONEは個人的に一家に一台あるべきだと思ってるくらいのエフェクターなんですが、おいしい音が出る設定を見つけるのが結構難しくないですか?自虐さんの音作りのコツみたいなものがあったら知りたいです。
Z : あれはじゃじゃ馬ですよね。バリエーションが幅広い代わりに、ツマミ数ミリで全然違う音になっちゃうから。
俺のセッティングは、GAINは上げ過ぎず歪みはマーシャルに任せて、VOLUMEでブーストかけて、LOWはフラット、HIGHはちょい上げ。
1番気を使ってたのは、MIDDLE系の2つのツマミです。
この2つの使い方で、ほぼ決まると思ってます。炒飯の仕上げの塩と胡椒くらい重要視してました。
- 仕上げの味付け、重要ですね(笑)。確かにあのMIDDLEの外側のツマミ"MID FREQ(イコライザー)"の効きが良すぎてセッティングが本当にシビアなんですよね。
ところで、レコーディングでの録れ音をライブ演奏で再現する際になにか工夫はされてましたか?
それとも全く別物として割り切っていましたか?
Z : 逆かな。ライブの音質をレコーディングでどう再現できるかを考えてました。
スピーカー間近のマイクで拾う音って、ライブでの遠鳴り音が混ざってないから、なんか違って聞こえるじゃないですか。
で、ASYLUMのHIROSHIとそんな話をしてて、オフマイクって手法があるって聞いて、試したらこれもドンピシャでした。
- 自分達も録りの時は同じ感じでやりますね。Borisは今完全にセルフレコーディングなんですよ。普通のリハーサルスタジオに自分たちのアンプと録音機材を持ち込んで、自分たちでマイク立てて「せーの」で。
同じ部屋でドラムも一緒に録ったりするんで、ギターにドラムが被ったり、当然ドラムにもギターが被りまくるんですけど、やっぱりそっちの方が部屋の空気全体が鳴ってる「良い」音で録れますね。臨場感があるというか。
オフマイクは大事ですね。とりあえずどっかに1本立てとけば録れ音は後でなんとかなりますし(笑)
自虐さんはアンプで音を完全に作り込んでおいて、録れ音にはあまりイコライジングしない感じですか?
Z : あー、全く同意です。他のマイクに被ってる音は、あったほうがいい派です。
イコライジングは、やりますよ。
ていうか、エンジニアが最初に少しやらないですか?
軽く全体のバランス作って「どうですか?」みたいに。
そこから、注文付けて仕上げていく事が多いかな。
ただ、柳田君(OUR HOUSEエンジニア兼オーナー)は目を離すと、勝手に色んなことするから、それは見張ってましたね(笑)。
特にエキサイターを必ず、俺の目を盗んでかけようとするんで。
トイレ行って戻ったら音変わってるから「エキサイターかけたでしょ?」「バレた?」みたいな。
嫌いなんですよね、エキサイター。味の素みたいで。
- 出来るだけ録れ音はそのままに、若干の補正を加えていく方向性なんですね。
確かにエキサイターってパッと聴きは迫力が増すけど、だんだんその響きが均一になってる感じがわかっちゃうんですよね。
味の素みたいで嫌いって言ってますけど、味付け重要な炒飯にも味の素を入れない派なんですか?
Z : 必ず入れます(笑)。味覇も入れます。
- 1989年の『V.A. / GO AHEAD MAKE MY DAY - SMASHSING ODDS NESS 2』(LP)に『WIND OF PAIN』1曲で参加してますが、このテイク好きなんですよ。7inchが出来上がる前にもうこの曲は出来てたんですか?
このオムニバスのインサートの写真には3人しか写ってなかったり、曲の時系列などいろいろと謎なんですよね。
Z : あのテイクは、7inchの前です。
ベースはヘルプでMAD CONFLUX(80年代中頃〜後半にかけて活動していた横須賀のハードコアバンド)のアントン。
だから、写真も3人のやつしかなくて。
『V.A. / TRIPLE CROSS COUNTER』(7” EP 1989年)っていうTOUR用オムニバスの『屍』って曲を録った時に、ついでに録っておいたもので『MOMENT OF DEATH』って曲も合わせて3曲録りました。
あの録音は屋根裏ですね。
- なるほど、屋根裏で録ったから全体のミドルが持ちあがった音色になってるんですね。
このバージョンの『MOMENT OF DEATH』も聴いてみたかったです。
ところで『WIND OF PAIN』を7inchに収録しなかったのは理由があるのですか?
Z : それは単純に、できるだけ沢山の曲を世に出したかったから。
始めたばっかりのバンドだったんで。
でも、自分の中ではBASTARDの方向性を決めた要の曲だと思っていたので、次のアルバムには収録してタイトルにしました。
- 1990年のEXTREAM NOISE TERROR(以下E.N.T。80年代後半から活動しているイギリスのハードコアパンクバンド。ツインヴォーカルが特徴)の初来日時に共演してますが、海外バンドのサポートはこれが初めてだったんですか?
Z : えーと…どうだったかな?CHAOS U.K.と20000Vでやったのが先だったかな?NAPALM DEATHはもっと後でしたっけ?
ちょっと覚えてないです。
- ちなみにCHAOS U.K.が1991年で、NAPALM DEATHの初来日が1989年ですね。
以前ネット上で、E.N.T.のヴォーカルDEANがBASTARDに飛び入りで歌っている画像を見かけたんですが、
共演以前から交流があったりしたんですか?向こうもBASTARDの事を知ってたんですか?
Z : いや、交流は特になかったです。
BASTARDの事も知らなかったと思うな。
初日の打ち上げで初めて会って、E.N.T.のカバーやってるって話をして。
で、その曲を演ってたらやけに盛り上がってるから、センター見たらDEANがトク(BASTARDのヴォーカリスト、TOKUROW氏の愛称)とツインボーカルで歌ってた。
- どの曲のカヴァーを演ってたんですか?
Z : みんな大好き『FALSE PROFIT』です。
- 名曲ですね。
Z : その後、1stEPをDOOM(E.N.T.と同じく80年代後期から活動しているイギリスのハードコアパンクバンド)の新作とカップリングにしてDEANのところからリリースする話もあったんですよ。
実際マスターも渡してたんだけど、DOOMが活動停止か何かでその話は無くなりました。
- 1st EPというのは『CONTROLED IN THE FLAME』で、その音源をDOOMとSplit LPにする予定だったんですか?
もしそれがリリースされていたら 、また違った歴史になっていたかもしれませんね。
Z : そう、1stEPです。代わりに別のバンドでどうだ?とも提案されたんだけど、DOOMじゃなきゃ嫌だって駄々こねて取り止めました。
- 当時はMANIC EARS RECORD(イギリスのレーベル)などから新しいバンドがどんどん出てきたり、またJOHN PEEL(イギリスBBCラジオの名パーソナリティー、常に最先端の音楽をかけていた)が自身の番組「PEEL SESSIONS」でハードコアを取り上げたりで、まさにUKハードコア第二世代勃興の只中という雰囲気もありましたが、そういったシーンの動向をどのように感じていましたか?
Z : カッコいいバンドが次々出てくるから大喜びしてました。
MANIC EARSの作品は知らないバンドでもとにかく買っとけばハズレはないだろって位、名作が多かったですよね。
特に好きだったのは、CHAOS U.K.(80年代初頭から活動している、イギリスを代表するハードコアパンクバンドの一つ)とのカップリングのE.N.T.です。
あれは、ホント素晴らしい。
トクもE.N.T.やDOOMが大好きだったから、BASTARD号(機材車)のカーステではいつもかかってましたね。
- 『RADIO ACTIVE』ですね、確かにあのスプリットLPは最高です。自分もめちゃめちゃ聴きました。
Z : 話してたら聴きたくなったので、あとで聴くことにします(笑)。
- 次作の『WIND OF PAIN』(1992年)は45回転なのでLPではなく一般的には12inch EPという扱いになると思うんですが、つまり”1stアルバム(12inch EP)”という解釈で合ってますか?
Z : うん、アルバムだと思ってます。
- 『WIND OF PAIN』はアレンジが綿密で聴きどころが多い作品ですが、『CONTROLED IN THE FLAME』のヘヴィでダークな空気感から、乾いたタイトな音像に変化しています。疾走感重視というか。
これは曲のアレンジの仕方や録り方を変えたんですか?
Z : BASTARDでは、それまで身に付けてきた自分の方法論から削れるものは全部削ぎ落として、骨と筋肉だけを残したような音がやりたかったんです。
その単純な曲の中でも単調にならずに、退屈な箇所がひとつもない疾走したアルバムにしたかったんで、アレンジは凄く練りました。
だから、自然とああいう音になったんじゃないですかね。
- 12inchで45回転というカッティングも、33回転(LP)より音質が良くなるという点で理にかなっていますが、これも意図的に?
Z : そうです。カッティングレベルを高くできるので。音圧が全然違いますよね。
- 『WIND OF PAIN』の制作に時間はかかりましたか?
Z : これは、相当かかりました。
ほぼ、外的要因だけど。
元々、ツアー前に出す予定で作り始めたんだけど、バッキング録ったあとすぐにコバが辞めちゃって。
そこから、レコーディングを続けながら、ツアー迄にメンバーを探してスタジオ入ってって言う、ハードスケジュールになったんです。
で、今度はツアー直前に俺が身体壊して、数ヶ月入院する事になっちゃって。
皆がヘルプのメンバーとツアーを回ってる間に、病床抜け出て独りで被せの録音を続けてました。
で、ツアーが終わってから、録り残しのボーカルやコーラスやギターを、録れるとこから録っていくっていうグチャグチャな状況で。
当時の事がよく思い出せない位”わや”でしたね。
- 凄まじい状況で制作されていたんですね。そう言われてみるとこのアルバムが持つ独特な緊張感は、そういった作品を取り巻く複雑な要因からも、もたらされているかもしれませんね。
紆余曲折を経てやっと完成した時はどのような心境でしたか?
Z : それはいつもと同じです。よし、いいのができたぞって。
- マスタリングの工程にも立ち会ったりしたんですか?
Z : マスタリングは、希望だけ伝えてBLOOD SUCKERにお任せです。
当時、マスタリングに立ち会えるって事を知らなかったんで。
- BASTARDの7inchとアルバムをリリースした「BASTARD RECORDS」は、自虐さんが運営していた「加害妄想RECORDS」と「BLOOD SUCKER RECORDS」との共同で立ち上げたレーベルですか?
他のレーベルから出さずあくまで自身のレーベル名義で、というポリシーがあったのですか?
Z : 「BASTARD RECORDS」は、元々BASTARDが立ち上げたレーベルです。自分達でやろうよって。
だからEPの時は全部自分達で作業しました。
「加害妄想レコード」のノウハウがあったんで、皆にレコードの作り方を説明して役割分担して。
袋詰めも皆でやったし。
あ、コバは来なかったけど(笑)。
ポリシーというか、自分達で作るのって楽しいじゃないですか。それが一番の理由ですね。
あと、愚鈍(GUDON)の時に他のレーベルから出して嫌な思いしてたから、余程信頼できるレーベルからじゃないと出したくなかった。
「SELFISH(SELFISH RECORDS。80年代後半から90年代中期にかけて存在したレーベル。GUDONのEP『HOWLING COMMUNICATION』をリリースしていた。)」も「エジソン(かつて新宿にあったレコード店、UK EDISONが運営していた制作会社「MUSIC VISION」がGUDONのEP『卑下志望』の音源を買い取り、プレスとリリースを行なっていた)」も、ギャラ一銭もくれなかったんですよ。
でも、アルバムは作る資金がなかったんで、「BLOOD SUCKER RECORDS」と共同制作というカタチでリリースして、レーベル名も入れてもらいました。
- そういう経緯だったんですね、よく解りました。『WIND OF PAIN』は世界中のバンドに影響を与え、多くのフォロワーを生み出したハードコア史上屈指の名盤の一つだと思います。自身のキャリアに置いてこの作品はどのような位置付けですか?
Z : 俺、長いこと色んなバンドをやって来たけど、自分で立ち上げたバンドでアルバムって、これしか出せてないんですよ。
いつも曲が貯まる前に、メンバーチェンジとか活動停止とか解散とかで、アルバム作るとこまで辿り着けないから(笑)。
だから、思い入れは強いです。
LPは良いですよね。
ジャケットがデカいってだけで、もうワクワクする。
- BASTARDで特に思い出深い曲はあったりしますか?その曲にまつわる逸話などもあれば。
Z : 『MISERY』かなぁ。
テキサスでこの曲演った時、比喩じゃなくてホントに人が山になってるのを、目の当たりにしたんですよ。
その時ふっと、広島の片隅で缶ペン叩いて始めた事が、やり続けるうちに遥か海の向こうでちゃんと花開いてたんだなぁって、”バタフライエフェクト”ってやつを実感した気がして、素直に感動したんで。
- 2010年の”CHAOS IN TEJAS”(2005年から2013年まで、アメリカのテキサス州オースティンで行われていたPUNK/ HARDCOREの大型フェスティバル)に出演した時ですね。当時、BASTARDが再結成して海外フェスにヘッドライナー扱いで出演するというニュースにも驚きましたし、後日某動画サイトで観た『MISERY』での異常とも言える観客の盛り上がりにはとても興奮しました。
”バタフライエフェクト”はPart.1で自虐さんが好きだと言ってた映画ですよね。思い入れがある物語を自身に投影して実感出来る瞬間は中々ないと思いますよ。
Z : あ、いや、映画は関係なく「バタフライ効果」という現象そのものを実感したということです。
蝶が羽ばたきゃ、地球の真裏で竜巻が起こる的な。
-解散から10数年を経て再結成に至った心境の変化、そして後押しした決定打はなんでしたか?
Z : 再結成したのは、簡単に言うと色んな人から説得されるうちにやる気になったから。
決定打は、ライブハウスで飯*がトクの首を絞めてる絵面です(笑)。
(飯*…メシ。BASTARDベーシスト、IIZAWA氏の愛称。)
バンド辞めたり解散する時って、大抵は関係性が悪くなってる事が多くて、その後もそれが続いたりするじゃないですか。
俺もそういうタイプなんだけど、それってなんか不毛だよなぁって、その頃よく思ってて。
気の合う同士で同じ志を持って始めた訳で、お互い真剣だからこそぶつかったり揉めたりして離れてしまうのは仕方ないけど、その後はもうノーサイドでいいじゃんって。
絶対に許せない事をした奴とかは別としてね。
で、その時仲裁しながら思ったんですよ。
EMOS(テキサス州オースティンにある大型クラブ。”CHAOS IN TEJAS”のメイン会場の一つ)に行ってまた4人で音出せば、なんか感じるものがあって関係性が一歩進むんじゃないかなって。
”CHAOS IN TEJAS”が、凄くエキサイティングなイベントなのは知ってたし。
勿論、行くって決まってからはそういうのは二の次で、良いライブやることだけ考えてましたけど。
- この時、アメリカツアーなどのオファーはあったのですか?
Z : いや、最初からフェスだけっていう話でした。
オファーあっても、断ってたと思います。
- 日本とアメリカのシーンの違いを感じる場面はありましたか?
Z : 前年にJUDGEMENTで行ってたんで知ってたけど、ホント面白いフェスなんですよ。
期間中、街のいたる所で入れ代わり立ち代わり、早朝から夜明けまでパンクのライブを演ってるんです。
ライブハウスは勿論、アイスクリーム屋とか、橋げたとか、ガレージとか。
テキサス行きの飛行機の中もほぼパンクスで、街中どこに行ってもパンクスだらけで。
街の新聞にも載ってるから、一般の人もフェスのこと知ってて「演奏に来たのか?」って普通に声かけてくるし、チャリンコに乗ったアメリカンキッズが、「よく来てくれた」って興奮気味に話しかけて来てくれたりね。
あのお祭り感は、日本では経験したことなかったですね。
終了したのは残念。またやって欲しいな。
- さすがM.D.C.とTHE OFFENDERSを生んだ土地柄ですね、アツいです。”CHAOS IN TEJAS”での印象に残ったエピソードがあれば。
Z : そうだなぁ…。
JUDGEMENTで行った時、AMEBIX(1980年代に活動し1987年に一度解散。2008年に再結成されたイギリスのハードコアパンクバンド。近年のDARK WAVE、メタリック・クラスト系バンドに多大な影響を与えた)と共演だったんですよ。彼らがトリで俺らはトリ前。
出番前、楽屋にいたら背の高い長髪のAMEBIXのTシャツを着た男が入ってきて「JUDGEMENT知ってるぞ。今日は楽しみだ」って話しかけてきて。
わ、メンバーだと思って
「共演できて嬉しい。AMEBIXの大ファンなんだ」
「サンキュー。その日本酒飲んでいいか?」
「ああ、いいよ。ステージ楽しみにしてるよ。『CARNAGE』は演奏するの?あの曲大好きなんだ」
「今日演るかは分からないな。日本酒旨いな、もっとくれ」みたいな会話をして、
握手して写真撮ってもらったりしたんですよ。
そしたら、俺らの演奏中にエフェクターがトラブった時、その彼が走って直しに来てくれてね。
ステージ袖で「次はAMEBIXの出番で忙しいだろうに、さっきはありがとう」って言ったら
「気にするな、俺達はパンクロックファミリーだ」って言ってくれて。
やっぱり、長くパンクバンドやってる奴はカッコいいこと言うなぁって感動しました。
で、AMEBIXが始まってステージ観に行ったら、どこにも彼がいなくて。
よくよく聞いたら、AMEBIXにくっついて遊びに来てた、只の呑んべえのオジサンだった(笑)。
うちのメンバーにすげー笑われましたよ。
ただの酔っ払いに握手してもらって、記念撮影してたって(笑)。
あれは恥ずかしかったな。
- いやぁ、パンクフェスらしい良いエピソードじゃないですか(笑)。BASTARDで行った時も印象に残るエピソードはありました?
Z : BASTARDの時は、俺が到着したらもう飯が体調崩して倒れてて、食事も会話もほとんど出来ない状態だったんです。
だから、ライブできるかどうかも分からないままずっとJACK(JACK CONTROL。テキサスのハードコアパンクバンド”WORLD BURNS TO DEATH”のヴォーカル)の家で待機してました。
で、ステージも2つキャンセルしてしまったんだけど、EMOSだけは何としてでもやろうってことになって。
ライブ当日、出番直前に会場入りしようとゆっくりしてたら「物販が長蛇の列で客席フロアまで伸びてて、ライブの妨げになり始めてる。すぐに来て物販を始めてくれ」って連絡が来て、急いで向かったんです。
それで、俺と佐藤くん(レコードレーベルHG Fact主宰)とソウイチ(SOUICHI氏。東京のハードコアパンクバンド、FOWARDのギタリスト)と手伝いの女の子四人で、てんやわんやになりながらTシャツ売ってたら、コバがふら~って来て「佐藤くん大変だ!俺のカバンからシステマのTシャツがこんなに出てきた!これも売ってくれ!」って。
で、少ししたらまたやって来て「佐藤くん大変だ!スネアケースからもシステマのTシャツがこんなに出てきた!これも頼む!」って。
汗だくでシステマTシャツも売りながら振り返ったら、コバは地元のお姉ちゃんとベンチで談笑してて。
おそらく、4人全員が「飯の代わりにコイツが倒れてりゃ良かったのに」って思ってました。
うん、これが一番印象に残ってるエピソードです(笑)。
- (笑)。このフェスの後、このままBASTARDを続けようとは思わなかったですか?
Z : それは、誰も言い出さなかったですね。
なんでだろ?(笑)
- BASTARDが最初に解散したのは何年でした?
Z : 俺、バンドのそういう年代って全く覚えてないんですよね。気にしたことないから。25~26年前だったかな?
- リスナー目線だと、まさに脂が乗り切った時期に突然解散したように見えたのですが、そこに至る経緯はどういったものでしたか?
Z : トクが辞めるって言うんで、んじゃ解散だねって。BASTARDはトクのヴォーカル無しでは成り立たないと思ったから。
- 解散を決めた際、すぐに次のバンド(JUDGEMENT)への展開、音のヴィジョンは浮かんでいたのですか?
Z : いや、しばらくボケーッとしてました。
ある日突然、飯から電話かかってきて「おー次だ次!次やるぞ!」って。
そのまま飲みに来て、よし次やるかぁって感じです。
音に関してはその前から、ハードコアパンクをやろうってのは自分の中で決めてたから、そのまま飯とハードコアパンクバンドを作ることにしたんです
-なるほど、そういった経緯だったんですね。
ところで今回Part2では、割とくだけた感じの回答もしてますけど大丈夫ですか?
Z : いや、Takeshi君が訊くからでしょ(笑)。
うん、別に大丈夫ですよ。
こんな状況だから、コロナで沈んでる人の気持ちが、ちょっとでも「わはは」ってなればなと思うし。
あと、俺のやり方や経験が、もし誰かの参考になるんであればね。
それで、イカしたハードコア・パンクの音が生まれたりしたら楽しいなと。
今回は、そんなつもりで話してるんで。
ーあとがきー
Part.1からの長いやり取りを重ねるにつれ徐々に打ち解けたこともあり、少々脱線した質疑応答も増えたのだが、ハードコアパンクギタリストとしての佇まいは決して崩さなくとも、自虐氏の柔軟で温かみのある人柄もうかがえるインタビューとなった。と同時に、過去に錆びつかず、密かに研ぎすませた刃を抜く機を、虎視眈々と狙っているような凄みを感じたのは自分だけだろうか。
次回、BASTARD以降にまつわるインタビューPart.3 も予定しています。ご期待ください。
※本インタビューにあたりご協力下さったKOBA氏(現SYSTEMATIC DEATH, ROCKY AND THE SWEDEN etc)、TOKUROW氏(ex.BASTARD)、Keyさん、佐藤氏(HG FACT)、安藤氏(BREAK THE RECORDS)、GUY氏(BLOOD SUCKER RECORDS、ex.GUDON)、長丁場にもかかわらず真摯に回答をいただいた自虐氏に深く感謝致します。インタビューのまとめ作業ではお互いに細部までエディットを重ね、その精度を上げていく過程は、まるで共同でレコーディングをしているようであった。
なお、文中の人名表記などは、注釈を含め自虐氏による当時の呼び名、回答表記のままとさせていただいた。
Photo by Jack Barfield (at CHAOS IN TEJAS 2010)