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自虐"ZIGYAKU"氏インタビュー Part.3 -Judgement編-

2020年公開のインタビューPart.1(GUDON編)から、気がつけば2年が経過。締め切りを一切設けず、途中HALF YEARSのディスコグラフィーリリースなどとリンクしながら、言葉の往復をお互いの気の済むまでひたすら重ね続けてきたこのインタビューもいよいよ最終回となる。
(前回までのインタビューは以下から)

自虐"ZIGYAKU"氏インタビュー Part.1
https://note.com/borisheavyrocks/n/n8a2c79a401b3
自虐"ZIGYAKU"氏インタビュー Part.2 -Half Years編-
https://note.com/borisheavyrocks/n/n7f8eecfc91a7
自虐"ZIGYAKU"氏インタビュー Part.2 -Bastard編-
https://note.com/borisheavyrocks/n/na20ac286cfc0

BASTARD解散以降(または活動期と並行しながら)数多くのゲストワークに参加し、確固たる姿勢を貫きつつも新たな音楽表現の拡張と探求を続け、自虐氏はJUDGEMENTを結成する。当時自分もライブを何回か観たことがあるが、その凄まじい緊張感と身を切られるようなシャープな音像は今だに忘れられない。驚嘆と衝撃を伴ってシーンに現れたJUDGEMENTだが、その後の活動は決して順風ばかりではなかった。もがき、つまずきながらも、決して歩を止めることなく前進し続けてきた自虐氏。彼がかつてを振り返りながら繰り出す言葉には、過酷な状況をサヴァイブした者だけが獲得した真理が宿る。
現在もいちパンクスであり続ける自虐氏の揺るがない態度をひしと感じ取っていただきたい。

Takeshi


- 1992年に『WIND OF PAIN』をリリース後しばらくしてBASTARDは解散、そしてJUDGEMENT結成へと繋がっていくわけですが、自身のバンド以外にも様々なゲストワークスに参加していますね。
まず、1989年にSELFISH RECORDSからリリースされた、V.A. 『GET BACK THE DISCHARGED ARROW』(LP)に、CRÜCKのギターとしてクレジットされています。CRÜCKとは『V.A. / TRIPLE CROSS COUNTER』(7” EP 1989年)をリリース、ライブ・ツアーを共に行うなどBASTARD時代から交流が深かったわけですが、どういった経緯で参加を?

自虐(ZIGYAKU、以下Z) : ノリ(NORI氏・ヴォーカリスト。当時CRÜCK、後にJUDGEMENTに加入)に「ギター辞めちゃったからレコーディングで弾いてよ」って言われて「いいよ」って、まあよくある流れです。

- この作品のレコーディングだけのヘルプだったんですか?

Z : ライブも演りましたよ。レコ発だったかな。

- V.A. 『GET BACK THE DISCHARGED ARROW』収録の、『CRY BLUE MURDER』『MENTALLY SCARRED』のリフに自虐さんテイストを感じたんですが、曲作りから積極的に関わってたんですか?

Z : いや、俺はギター弾いただけです。
頼まれた時には、もう曲があったから。

- 時期的に、BASTARDの活動と並行していたと思うんですけど、CRÜCKでは意識して弾き分けたりしてました?

Z : いや、特には。
弾き分けるっていう発想すらなかったですね。

- では、予め出来上がってる曲を多少アレンジしつつ、自分のスタイルのまま弾いた感じですか?

Z : そうです。
引き出し幾つも持ってる訳じゃないから。
でっかいミカン箱みたいなのを1つ持ってって、それひっくり返すだけです。

- CRÜCKのヴォーカリストNORI氏は後にJUDGEMENTに加入しますが、この頃からヴォーカリストとして関心を寄せてたんですか?

Z : カッコいいヴォーカリストですよね。
ノリはその頃、白無地Tシャツの背中に黒マジックで『俺のやりたいことをやる!』って手書きしたのを着ててね。
「俺は髪も普通だし、パンクのカッコしてる訳でもないから、ライブハウスで舐められたり喧嘩売られたりするけど別にええねん。これが俺のパンクやから」ってよく言ってて「あ、こいつカッコいい奴だな」って思ってました。

- 今まで様々なスタイルのヴォーカリストと一緒に演ってきたわけですが、理想とするヴォーカリスト像はありますか?

Z : 唄に情念がこもってるヴォーカリストが好きですね。
あとは色気がある人。
ジャンル関係なく、そういう唄に惹かれます。

- その後1992年にはASYLUMの『BLIND EYES』(LP)収録の2曲、『THE FLOOD』『FEED YOUR GREAT SHEEP AND GO AWAY』にゲスト参加しています。この作品に参加した経緯は?時期的にBASTARDの解散後ですか?

Z : 当時、高円寺20000Vの上にゲーセンがあって、ライブの時とか皆たむろしてたんだけど、そこでメダルゲームやってたらPILLさんに「ギター弾かない?」って言われて「弾く弾く」って即答して。
BASTARD解散してたかは覚えてないなぁ。

- ゲームセンターありましたね、懐かしい。この場所が後に高円寺GEARになりましたね。誘われた時どう思いました?

Z : 声かけられるのは、いつでも嬉しいですよ。

- この時期のASYLUMにはPILL氏(ドラマー。ex.LIP CREAM)が加入していて、『BLIND EYES』はASYLUM史上最もハードコアに接近した作品とも言われていますが、参加する前からそう言った傾向やコンセプトなどは予備情報として持っていましたか?

Z : 何度もライブ観てたんで、知ってました。

- Gazelle氏(ASYLUM・ヴォーカル)やHIroshi氏(ASYLUM・ギター)とは古くから交遊はあったと思うんですが、ASYLUMとBASTARDはジャンルや活動フィールドが異なるじゃないですか?そこで弾くことに違和感はなかったですか?

Z : そういうのは全く無かったですね。
真摯な姿勢が感じられるバンドに、ジャンルとか関係ないですから。

- 『THE FLOOD』『FEED YOUR GREAT SHEEP AND GO AWAY』の作曲・アレンジには関わっていますか?

Z : いや、俺はギター弾いただけです。
頼まれた時には、もう曲があったから。

- こうやって弾いてほしい、みたいなリクエストはあったんですか?この2曲は音聴いただけで自虐さんのギターって分かりますね。

Z : 「好き勝手に弾いて欲しい」って言われたんで、好き勝手に弾きました。

- Hiroshi氏とはプレイスタイルが異なりますが、ギタリストとして刺激や影響を受けたりしましたか?

Z : Hiroshiとは、しょっちゅう遊んでたんだけど、ギターの話はそんなにしたことないんですよね。
仕事も、同じ職場を二人で転々としたりでよく一緒にいたけど、ほとんど音楽の話はしなかった。

- そうなんですか。前回のインタビューで、レコーディングの時にアドバイスをもらったというエピソードがあったので、ギターに限らず音楽の話はけっこうされていたのかなと思ったんですよ。

Z : いつも、音楽と関係ないことして遊んでたんで。
でも、わかんないことがあると聞いたりはしてたかな。「スケールって何?」って聞いたら手書きでスケール表書いてくれましたね。
あとは、入院してる時に何故かジミヘンのテープをくれたのを覚えてます。病院の屋上で聴いたらなんか刺さっちゃって、それからジミヘン聴くようになりました。
これは影響受けたことになるんですかね?(笑)

- へぇー、ジミヘンとか聴いてたんですね。意外でした。この翌年1993年にPILL氏のプロジェクトOgreish Organismの作品『鬼』に参加しています。これはASYLUMでのセッションの手応えもあって、PILL氏に誘われたのでしょうか?

Z : それは俺にはわからないけど、まあきっとそうでしょう。
手応えない奴誘わないですよね、普通。
「あいつ手応えなかったなぁ…よし、次も誘おう!」ってならないでしょ(笑)。

- 収録15曲中、7曲を弾いていますが、作曲・アレンジにも関わったのですか?

Z : 曲は作ってないです。アレンジも、皆で話し合った箇所はあったけど、
俺個人でってのはないですね。
過去に、他人のバンドに曲作った事は殆ど無いですよ。
CROSSFACE(東京で活動中のハードコアパンクバンド)を手伝ってる時に1曲作っただけですね。『ガラス』って曲。

- 『黒い瞳』という曲ではアコースティックギターを弾くなど、自身のバンドにはないようなアプローチは、ある意味チャレンジでしたか?

Z : まあ、そうですね。
PILLさんに「アコギ弾いてみない?」って言われて
「うん、弾く」って。

「アルペジオ弾く?」「うん、弾く」
「ピアノ弾いてみる?」「うん、弾く弾く」って。

ピアノ弾けないんだけど(笑)。
打診されたことは全部やりました。

- 実際、やってみてどうでしたか?

Z : 楽しかったですよ。
常に進歩しようと思ってやって来てたつもりでも、自分では気づかないうちに得意な事や出来る事ばかりやるようになってたりするじゃないですか。
それはそれで創り上げてきた個性でもあるんだけど、自分の発想にないモノにチャレンジする機会は他人にしか与えてもらえないから。
それを消化して取り入れるかどうかは、やってみた上で取捨選択すればいい訳で。
で、またそれをミカン箱に放り込んで。

- 『滝』という曲ではハードコアファンにとっては夢の競演とも言える、CHELSEA氏(ex.DEATH SIDE、ex.PAINTBOX)とのツインギターの絡みが聴けますが、これはどうやって録ったんですか?

Z : 確か、いっせーので同時に録ったんだけど、アイツ音デカイからこっちも上げると、また上げてきて。
で、またこっちも上げて。
最終的に、どえらいボリュームで演ってたような気がします。

- なるほど、確かにせめぎ合ってる感がありますね。

Z : でも、結局PILLさんの生音が一番デカかったんですけどね…。

- 以降もOgreish Organismの作品『人々』(1994年)『偽物の時間』(1998年)と引き続き参加していますが、こうしたゲストワークを通じて得たものはなんでしょうか?それらによってギタリストとしての何が変化し、それがどうJUDGEMENTに作用したと感じていますか?

Z : Ogreish Organismをやった時に思ったのは、ずっと自分の曲ばかりやってきてたから、リフやギターラインも手癖みたく自分が弾きやすいように作ってたとこがあって。
あれ?俺なんにもできねーなって思って。

俺のギターとはどんなんじゃい?って自問自答しながら模索した事が、JUDGEMENTでのスタイルに繋がったと思います。

何が変わったのかは言葉で説明するより、聴いた人の判断に任せますよ。

- なるほど。あと、自虐さんのゲストワークで謎なのが、猛毒(殺害塩化ビニール所属のバンド)のライブで弾いたというのがあって、これについてお聞きしたいんですが。

Z : 弾きましたよ。たしか復活ライブ(1999年の渋谷La.mamaで行われた)だったかな。

- へえー!所謂"殺害系”のバンドとは接点がないイメージだったんでびっくりなんですが、以前から知り会いだったんですか?

Z : SKB(THE CRAZY SKB氏・猛毒のヴォーカル。レーベル、殺害塩化ビニール主宰)は、加害妄想(1989年まで自虐氏が運営していたレーベル)の作品を通販で買ってくれたりしてて、葉書きのやり取りとかで接点はあったんですよ。
会ったことはなかったけど。
で、ちょっと記憶が曖昧だけど、確か大阪か名古屋に奇形児(80年代から活動の東京のハードパンクバンド)を観に行った時の打ち上げで、トイレに行ったら隣から突然「今度、猛毒よろしくお願いします」って話しかけられて。それがSKBで。
「ん?誰?猛毒を何?」って聞いたら、「KATSUTAさん(KATSUTA氏・ベーシスト。ex.鉄アレイ、ex.EXTINCT GOVERNMENT)と話して、もうギターは自虐さんに決まったんです」って言われて。

- それはもう演らざるを得ないですね(笑)。

Z : いや、そんな馬鹿なと思ったけど(笑)。

- 実際ライブはどんな感じでした?即興的な感じだったんですか?

Z : 曲は、猛毒の曲を少しアレンジしたりして。
スタジオで「この曲には、愚鈍みたいなイントロ付けて欲しい」って言われてその場で作ったり。

- やっぱりそのリクエストは『残忍聖者』『卑下志望』あたりのあの感じですよね?楽しそうだなあ。

猛毒に参加時のZIGYAKU氏

Z : 楽しかったですよ。
「この曲は、俺がずっと指パッチンし続けるんで」とか「ゲロゲーロを合図に入ってください」とか、打ち合わせの時点でもう面白かったから。KATSUTAや辰嶋(IRONFIST辰嶋氏・ドラマー。現DIE YOU BASTARD)と一緒にやれたのものも楽しかったですね。

- あれですね、指パッチンは『チンがポール牧』という曲ですね。これは自分も知ってます(笑)しかし、この錚々たる面子がいきなり登場し演奏して、観客もびっくりしたんじゃないですか?

Z : 誰だか分かってなかったんじゃないかな?
対バンもハードコアパンクじゃないバンドや、芸人さんとかが多かったし。

- いやぁ、是非観たかったです。
こうしたゲストワークや自身の意識変化の流れの中で、いよいよJUDGEMENTが動き出しますが、結成から当時のラインナップになった経緯など教えていただけますか?

Z : 最初は俺と飯*の二人しかいなかったんで、かきちゃん*とレンジ*に手伝ってもらってスタジオに入ってたんです。
でも、二人とも自分のバンドがあって忙しいし、やっぱりパーマネントのメンバー探そうってなって。
ちょうどその頃、DEATH SIDEが解散したから「石屋*誘ってみる?」とか、飯と溜まり場で飲みながらそんな話をしてたら、ノリから「今から行っていいか?」って電話が来て。
話を聞いたら、「今CRÜCK辞めてきたから俺とバンドやろう」って。
で、コンコンと3人で話して、んじゃやろかと。
あとはドラムだなって事で、全員一致で「向井*だな」って。
そんな流れです。

(石屋*...ISHIYA氏。ハードコアパンクバンドDEATH SIDE、FORWARDのヴォーカリスト)
(飯*...メシ。ベーシスト、IIZAWA氏の愛称)
(かきちゃん*...柿沼氏。ハードコアパンクバンド鉄アレイのドラマー)
(レンジ*...L.F RANGE氏。ex.MESS、RANGE AND THE DIRTY HOSPITALのヴォーカリスト)
(向井*...MUKA-CHIN氏。ex.CHIKEN BOWELS、現DEATH SIDE、SLIP HEAD BUTTのドラマー)

- 最初からしてすごい人選プランがあったんですね!結成から初ライブまで結構早かったようですが、曲作りは順調に進んだのですか?

Z : レンジやかきちゃんと演ってる時に何曲かは出来てたし、その後も曲作りは早かったですね。ノリも曲作ってたし。

- 初音源の『PROCESS』(7" EP 1997年)、『NO REASON WHY』(7" EP 1997年)をHG Factから2枚同時リリース、収録曲数はA・B面1曲ずつ、『PROCESS』はライブ会場のみで販売とするなど、当時のハードコアバンドとしてはかなり新しい試みでした。ある意味フォーマット化された方法論から逸脱していくことに躊躇いはなかったですか?

『PROCESS』(7" EP 1997年)

Z : むしろワクワクしてたかな。
批判や反感を恐れてたら可能性は広がらないですから。
とにかく、新しいアイデアや自分たちの枠を壊したり拡げたりする試みを、どんどんやりたかったんで。
ライブをもっと沢山の人に観せたかったし、音も聴かせたかったし、全てにおいて一歩踏み出すつもりでやってたから。
2曲入りシングルにしたのは背水の陣というか、そうすると言い訳できないでしょ?
6曲入りとかで何曲か印象に残る曲があるとかじゃなくて、片面1曲だとその曲がつまらないとターンテーブルにも載せなくなるわけで。
だから、1曲1曲が人を惹き付ける代表曲になるような曲を作らんとなってなるし、そうやって自分達を追い込むというか。
あとやっぱり、収録時間が短いと音がいいから。

『NO REASON WHY』(7" EP 1997年)

- 上記作品のレコーディングに於いて新しい試みはありましたか?

Z : 初めてプリプロってやつを録ってみました。
確か、向井のアイデアだったかな。

- 音像全体がよりクリアになり、特にギターサウンドはある種の爽快さすら感じる音色にアップデートされていると思いましたが。

Z : 曲調もBASTARDとは違うし、全体的にソリッドでスピード感が増すような音にしたかったんです。

- シンプルなリフの中に、絶妙なタイミングでのストップ&ゴー、時折挿し込まれる泣きギリギリ手前のメロディアスなフレーズが独特な疾走感を生み出していると思います。曲作りにおいて重視したことは?

Z : 簡単に言うと、BASTARDが骨と筋肉だけのような音なら、JUDGEMENTではそこに皮膚や内蔵とか、器官を肉付けしたような音をやりたかったんです。
凄く意識したのは、曲の組み立てですね。
大抵は、イントロから始まって1番2番と来てソロが入って、その前後にCメロみたいな展開があって、3番やって終わりみたいなのが王道パターンじゃないですか。勿論そういう曲もやるけど、もっと違うアプローチの曲もやってみたくて。例えばギターソロのない曲とか、ワンフレーズしかない曲とか、サビのない曲とか。
代わりに、リフやアンサンブルや展開なんかを畳み掛けるように組み合わせて、勢いが止まらず感情が揺さぶられるような曲作りを目指してました。

そうやって予定調和を壊すことによって、聴いてる人の感情が針飛びして、もっと大きく心を突き動かせたらなと。
元々ハードコア・パンクって、速くて短い曲の中に感情が凝縮されている音楽だと思ってるんですけど、その感情をさらにぐちゃぐちゃにかき混ぜるような曲が作りたかったんです。

あと大事にしてたのは、バランス感覚ですね。
泣きやポップ、ヘヴィやダークとかの様々な要素のバランスとか、演る側と聴く側の両方の感覚をバランス良く持つこととか。

- 一聴するとすごくストレートなんですけど「あれ?ここどうなってる?」と思った時には既に曲が終わってる、みたいな仕掛けが随所にあって。そういった作り込みが楽曲のクオリティを高め、聴く側の「気づき」を呼び覚ますんじゃないかと。
この2枚のシングルのジャケの『NO REASON WHY』が赤=陽、『PROCESS』が青=陰という色のイメージの組み合わせで、JUDGEMENTというバンドの表裏を同時に観せる/聴かせる意図もあるように感じたのですが。シングルならではの提示の仕方というか。

Z : あ、それはその通りですね。
あえてそうなるように、意識して作ったんで。
「陰」と「陽」という、対比でありながらも対になって円をなすという理や、二律背反のようなモノを表現したかったんです。

- さっき泣きやポップなどの様々なバランス感覚の話があったんですけど、この辺りの要素はどこから?

Z : それは、自分の中からですよ。
元々、泣きもポップも好きなんで。
でも、もしかしたら昔のTVアニメや特撮の影響はあるかもしれないですね。
「泣き」っていうのは感情で言うと、物悲しさとか切なさや狂おしさに近いと思っていて。
あの頃の作品のエンディング曲って、妙に物悲しかったりするじゃないですか。
『仮面ライダー』とか『ガンバの冒険』、『ルパン三世』や『天才バカボン』とか、例を挙げるとキリがないくらい。
不思議と、本編がそこまで重くて暗い内容じゃない程その傾向があって、逆に『妖怪人間ベム』なんかは意外とポップだったり。
振り幅が大きいほど感情が揺さぶられるって事は、そこで学んだのかも知れないですね。

- 解釈は多々あれど、今だと所謂「エモ」と言い表されるようなものなんでしょうね。自分もオープニングの主題歌よりも、悲しげなエンディング曲こそが主人公・物語の本当の姿とか真意を表してる、と思ってたひねくれた子供だったのでその揺さぶられるイメージはとてもわかります。Part.1で好きな映画を伺った時になぜかバッドエンドなものばかり挙がってたのも、そういった裏側に隠された悲しさとか切なさに無意識に惹かれていたからだと思いますか?

Z : あー、それはあるかも。
ハッピーエンドも好きだけど、バッドエンドって心に残りますよね。
安易なバッドエンドは好きじゃないけど「この後どうなったんだろう?」とか「じゃあ、どうやったらハッピーエンドになってたんだろう?」とか、色々と考えさせられるようなものが好きですね。
あの時挙げ忘れたけど『ガメラ3』もそういう意味で大好きな映画なので、平成ガメラ3部作は是非観てほしい。
そして、月光を背に飛翔するイリスに痺れてほしい。
で、人気が出て続編を作ってほしいです。
観たいから(笑)。

- わかりました、自分も改めて全部観てみます(笑)
英詞が多いですが、これは明確に意図していましたか?

Z : そこはヴォーカリストに任せてたし、俺はどっちでもいいと思ってます。外国語も日本語も、それぞれに違う表現効果があると思うから。
歌詞って、その言語圏の人達にはストレートに意味が伝えられるし、そうじゃない人達に対しては記号や暗号や、純粋な楽器としての役割を果たすと思うんです。
歌詞の意味がわからないからこその聴き方ができるってのも、音楽の魅力だと思ってるんで。
なんなら、言語じゃなくても別にいいと思ってます。

- 「GUILTY? OR NOT GUILTY?」というフレーズはJUDGEMENTを象徴するものの1つだと思いますが、これにはどのような意義が込められていますか?一時期レスポールのボディにもペイントされていましたよね?

Z : 例えば、TAKESHI君なら「GUILTY? OR NOT GUILTY?」っていきなり問いかけられたら、何を思います?

- うーん、同じ問いを即座に返しますね(笑)。冗談はさておき、やっぱり突然こう問われたら誰しも逡巡しますよね。どちらかが審判を下す/下される二元論というよりも、「お前という人間は何だ?」「お前こそ何なんだ?」、もっと言うと人として生きていく上で避けられない根源的な問い、答えのない応酬、人対人、自分対自分の究極のコールアンドレスポンスというか。「GUILTY? OR NOT GUILTY?」というのは、JUDGEMENTが "新しいアイデアや自分たちの枠を壊す試み" をアウトプットする時、それは同時に観る者聴く者自身の「新しさ」も問うている、という意味合いもあるんじゃないかと思ったんですが。

Z : なるほど、TAKESHI君はそう思った訳ですね。
まあ、言ってしまえば正解はこれってのはないんです。
そうやって、逡巡してもらうこと自体が目的だったんで。
何を思うかは十人十色でいいし、「罪」と言う言葉が何を指すかも人それぞれ違うだろうし、出した答えがGUILTYでもNOT GUILTYでもどっちでもいい。こっちからは、ただ問いかけてるだけなんです。

- つまり、「GUILTY? OR NOT GUILTY?」はメッセージというよりテーマ的な意味合いですか?

Z : そのニュアンスが近いかなぁ。
多分、俺が音楽を通してずっと発信して来た事って、強いメッセージや明確な答えを提示したりという「Answer」よりも、行き場のない感情や、出口の見えない焦燥、不安、憤りといった「Question」に近いと思うんです。
で、自分自身もその問いに答えを出そうと藻掻くザマをさらけ出す事で、何か伝えられるものがあるんじゃないかなって。
まあ、そんなんです。

- JUDGEMENTはハードコア以外の対バンや企画にも積極的に出演していましたが、新しい試みであると同時に新しい経験もあったかと思います。他のジャンル、シーンから何らかの刺激を受けましたか?

Z : ハードコア・パンクを全く知らないような人達の前で演奏するのは、楽しかったですよ。
アウェー感があって。

- 音楽的な刺激を受けたというより、別のシーンの空気感や同じ表現者としての在り方などに何か感じたものがあったということですか?

Z :デパートの屋上でやる感覚に似てるかなと。
受け入れられて当然みたいな空気の中でやるのとは違う緊張感みたいな。そういうのも好きなんですよ。
そもそも刺激を受ける為じゃなくてバラ撒く為に打って出てる気構えだったし、こと刺激って事に関して言うなら、ずっと刺激の洪水みたいなシーンにいましたからね。

- 2枚のシングルをリリース後、ヴォーカルのNORI氏が脱退しましたが、ほとんど間を置かずにTOKUROW氏(ex.BASTARD)を迎えての3作目『HAUNT IN THE DARK』(7" EP 1997年)をリリースします。ある意味ヴォーカルはバンドの顔でもあり、音楽性・方向性を印象付ける役割もあるわけですが、そういったこちらの予想や固定観念を超える展開、決断の早さに当時非常に驚いた記憶があります。JUDGEMENTを進めるためには「バンドという形態の暗黙の決まりごと」みたいなものも躊躇なく捨てる、という意志があったんですか?

Z : その辺はきちんと話し合った訳じゃないけど、多分みんな同じような想いだったんじゃないかなと。
前のバンドに関して言うと、俺も飯も向井も、自分以外のメンバーの進退がキッカケで解散したみたいなところがあって。
だからJUDGEMENTでは、例えヴォーカリストが辞めようと、自分が続けたい限りはやったるわって思ってたんじゃないかな。
だから、その時も解散って話は一切出なかったです。
あと、最初にノリと飯と三人で話した時に、誰からともなく「これが最後のバンドのつもりでやるわ」みたいな意気込みを言ったりしてて、それも気持ちの中にあったかもしれないですね。
だからノリも投げ出した訳じゃなくて、全部出し切ったから辞めたんだと思ってるし。

- メンバー4人の鮮明なカラー写真というジャケットもインパクトがありました。これもあえて狙って?

Z : そう。
あれ、ダサいでしょ?
だから、やりたかった。

- いや、あの感じがいいんですよ(笑)「ん?また何か新しいことを仕掛けてきたな」っていう。TOKUROW氏がヴォーカルというとやはりBASTARDのイメージが強かったんですが、収録曲『THE MAD DOG』のドライブ感重視のノリと相まっていい意味で裏切られたというか。ミックスもヴォーカルとベースが大きめで、前作2枚とはかなり印象が変わりましたね。

Z : まあ、フロント三人がBASTARDな訳だから、同じことやるならBASTARDやってりゃよかったって話じゃないですか。
そんなん、面白くないんで。
トク(TOKUROW氏)のあの声を活かして出来る事は、もっとあると思ったから。JUDGEMENTとしても、ヴォーカリストが変わったのなら、前の作品の方向性のままじゃつまらないし。
だから、どっちの目線から見ても一歩進んだものをやりたかったんです。

3rd 7" EP『HAUNT IN THE DARK』リリース時のアーティストフォト。
Photo by 菊池茂夫氏

- タイトル曲『HAUNT IN THE DARK』はもう完全にワンリフですけど、各パートの抑揚だけで曲の表情がドラマティックに変化していく様は、ある種映画的とも感じたんですが。

Z : ワンリフの曲っていうのはある意味、同じ日常を繰り返す事に似ていると思うんですよね。
それが、ちょっとした変化やアイデアで全く違うものに感じて、同じであることにすら気づかなかったり、逆に同じだからこその驚きや感動が生まれたりもする。
映画もそうだけど「起承転結」っていうのは、目に見える大きな転換がなくてもそこに起こし得るんだって事を、音でやりたかったというのはありました。

- その後TOKUROW氏が脱退し、4枚目の『NIGHT BRINGS』(7" EP 1998年)ではヴォーカリスト不在のまま、自虐さんが『NIGHT BRINGS』、IIZAWA氏が『HART OF DARKNESS』とそれぞれ1曲ずつ作詞・作曲・ヴォーカルをとっています。新メンバーを探すことより、とにかく作品を作り続けることを優先させたのですか?

Z : 繰り返しになるけど、そういうザマもそのまま見せたかったんです。
息継ぎができなくて溺れてるなら、溺れて藻掻いてる姿もそのまんま。
「溺れる者は藁をも掴む」って言うじゃないですか。
必死に藁を掴もうとする姿は確かに滑稽かもしれないけど、俺はそれを見たいし、見せたいって思うんですよね。

ヴォーカリスト不在の3人編成期

- 『NIGHT BRINGS』は、ソロのバッキングの後半で刻んでいる以外はほぼ全編小節あたまを弾いてるだけで、余分なものを削ぎ落としたシンプルな曲、一方IIZAWA氏の『HART OF DARKNESS』は一筋縄ではないリフと展開がスリリングで、こういった二人の対比によってJUDGEMENTの骨格がむき出しになった、ある意味象徴的な作品だと感じましたが?

Z : あのシングルは、別に深く方向性を考えて作ったわけじゃなくて、ギリギリの状況の中で全員がめくれ返って作った作品というか。
『NIGHT BRINGS』に関して言うと、俺の喉は若い頃にイカれちゃってて、普段からしょっちゅう声が出なくなるんですよね。
JUDGEMENTの頃にはもう喉が限界で、スタジオでコーラスもまともにできなくて。
トクが辞めた後、飯とツインヴォーカルでライヴを始めたんだけど、そういう状態で楽器を弾きながら唄うってのがままならない時もあって「じゃあ、もう弾かんかったらええわ」と開き直って、ギターを弾きながら唄うパートがほとんどない曲を作ったんです。
そしたら、どっちも全力でやれるだろと思って。
飯の曲に関しては、その頃バンド自体が相当カオスな状態で。
ずっと、スタジオでもメンバーが揃わず音合わせが出来てなくて、曲もなければメンバーが来るのかも分からないままレコーディングに行ったんです。
無茶苦茶ですよね(笑)。
で、渡された曲をほぼ即興に近いカタチで録りました。
それもまた、面白いかなと思って。
だから、あのシングルのテーマは「めくれ返って一歩前に出る事」だったかなと。

- なるほど、そういった必然や事情もあったわけですね。自分はこの時期のライブは生憎観れていないのですが、三人編成もしくはヘルプのヴォーカルを入れて演っていたのですか?

Z : 三人ですね。
飯と俺のツインヴォーカルで、マイク3本置いて入れ替わり立ち替わり。
で、その後すぐに飯が旅に出ちゃったから、そこからは一人で唄ってました。ユウ*にベースを頼んでしばらくトリオでやってて、そのうちにTT*を誘ってツインギターで四人編成で演ってましたね。

(ユウ*...YOU氏。現DEATH SIDE, FORWARD)
(TT*...TT氏。ex.KGS, EXTINCT GOVERNMENT, 現EIEFITS)

- ツインギターになったのは弾きながら歌うことに制約を感じていたのと、アレンジに広がりを出すための両方の意味があったと思いますが、表現方法として新たな手応えは感じましたか?

Z : ツインギターは、初めてやったけど楽しかったですよ。
T.T.は俺と全然違うタイプで、ローコードとか和音の広がりをグワーって出してくる人なんで、2本が合わさって異質で面白い演奏ができたかなと。

TT氏(Gu)、YOU氏(Ba)が参加した4人編成期

- その時期にも新曲は作っていたのですか?

Z : 次のCDの『JUST BE...』に入ってる『ドライヴ』の原曲みたいなのはやってましたね。

- ちょっと話は変わるんですが、丁度この時期1、2年ほどの短期間ですがFAST NAILというレーベルを運営されていましたよね?
なぜ再びレーベルをやろうと?

Z : ちょうどその頃、BASTARDのベスト盤CDを出したらまあまあ黒字が出たんで、何かシーンに還元できる事に使おうと思って。
結局、FORWARDとEVANCEとWARHEADのシングル3枚しか出せなかったけど。
シーンに爪跡を残す「抜けない釘」という意味でレーベル名を付けたんだけど、3本で抜けちゃった(笑)。
まあ、全部カッコいい作品なんで出せてよかったけど、どうも俺はレーベル運営には向いてないみたいです。

- 加害妄想レコード、BASTARD RECORDS、FAST NAILとレーベル運営をしてきて、やっぱり大変でしたか?

Z : レーベル自体は楽しいですよ。
資金繰りが大変なだけで。
既存の音源集めてCD出すのと違って、レコーディング代もかかるし塩ビは制作費も高いから。
それに、当時は委託販売も結構あって売り上げを回収するのに半年から一年以上かかったたりして、ちょっと滞ると資金が回らなくなっちゃうし。

- 確かに楽しいだけでなく、そういったシビアな面も大きいですよね。
そして、2000年に新ベーシストSAKURA氏を迎えて5枚目のシングル『JUST BE...』をリリースしましたが、ヴォーカルにJhaja氏(ジャジャ氏。ex.LIP CREAM)が加入したのには本当に驚きました。どういう流れでこのメンバーになったんですか?

新編成となったJUDGEMENT。左からJhaja、ZIGYAKU、SAKURA、MUKA-CHIN(敬称略)。
Photo by 菊池茂夫氏

Z :ずっと、 ヴォーカリストをどうしようかねって向井と話してて「ジャジャを誘おう」って事になったんです。
当時ジャジャは行方がわからなくて、あちこち居場所を探してたら「今、日本で入院してるらしい」って情報を聞いて、見舞いも兼ねて向井と会いに行ったんです。
で、面会スペースでひたすら勧誘を。
サクラは、当時SCREAMING HOGっていうバンドをやってて、音源聴いたらカッコ良かったんで向井とANTIKNOCKにライブを観に行ったんです。
ライブでも、ベースをガシガシ殴り弾いてて「あー、カッコいいなー」って思って。
で、その日の打ち上げに参加して、ひたすら勧誘を。
この人と思ったら、「うん」と言うまでひたすら勧誘するバンドだったんです(笑)。

- その勧誘テクニック、非常に興味がありますね(笑)二人ともすんなりと応じてくれたんですか?

Z :すぐには返事をもらえなかったですね。
その後もしつこく勧誘して、やっとスタジオに入ってみようかって事になりました。

- 自虐さんとJhaja氏は世代が少し違いますが、音楽に対する価値観や意識の違いみたいなものは感じましたか?

Z : 世代そんなに違わないんじゃないかな?
考え方や価値観は違うかもしれないけど、 音楽に対する姿勢に違いを感じたことは無いですね。音楽を愛してて、音楽を信じてて、音楽に対して真摯な、カッコいい人ですよ。

- インタビューPart.1で 、"『JUST BE』って曲は自分の曲なんだけどJhajaのあの歌詞で、聴く度にグッとくる" と発言されてますが、このシングルの曲は主にリフが先ですか?それとも歌詞に導かれて、全体が作られていったんですか?

Z : 全部リフが先です。
だから、どの曲も俺のイメージとは全く違う仕上がりになっていて、想像を超えるものが創造できる愉しみを凄く感じました。
あと、ホント歌詞がいい。あの歌詞は、ジャジャにしか書けないと思う。

- 『NO REASON WHY』とかも、Jhaja氏になってからのライブでは歌い回しもそうですが、歌詞自体も変わったような気がしたんですが?

Z : うん、全部任せてたんで。
好きに唄ってって。
前のまんまやったって、それはコピーになっちゃうから唄ってても面白くないだろうし。

- 『JUST BE...』は前の4作から、明るさ、色どり、拡がりを感じさせる方向に変化していて、それは自虐さん自身の感情ともリンクしていると思ったんですが、自分でも「突き抜けた」感じはありました?

Z : もし、俺が突き抜けてるように感じたのなら、それは他のメンバーが引き出してくれたんだと思いますよ。
むしろ、俺自身は逆のベクトルでいたんですよね。
さっきの陰陽やバランスの話で言うと、あのメンバー四人を俯瞰した時どう考えても俺が「陰」担当だよなぁって思って(笑)。
だから「陰と陽」のバランスを保って円環にしようとするなら、今まで以上に俺は『陰』を色濃く出すべきだと思ったんです。
闇が濃くないと、光も眩しくならないでしょ?

- どちらかだけじゃなく、両方があってこそ初めてリアリティが生まれると?

Z : リアリティですか?
うーん...リアリティというなら、リアルではもっとアンバランスだったりすると思うんですよね。
底なしの真っ暗闇や、目が眩むほどの閃光もそこら中にあるし。
だから今思うと、リアリティを表現したい訳ではなかったかな。
むしろ、理想や希望を提示したかった。
均衡を保ったモノを創り上げる事で、その欠けた部分のカタチを浮かび上がらせるような事がやりたかったんです。
俺が撒き散らしてるのはネガの種かもしれないけど、別に世の中を負の感情で埋め尽くしたいわけじゃなくて、最終的に咲かせたいのはポジの花でもあるから。

- 自身のプレイにも変化はありましたか?

Z : 俺は変わんないですよ。でも、メンバーが変わると知らないうちに自分も変わってたりするのが、バンドの面白いところですよね。
そういう意味で言うと、JUDGEMENTはメンバーチェンジが激しかったからこそ、常に変化や進化せざるを得ない状況に置かれていて、最初から最後までこれだけ表情を変え続けたバンドも珍しいかなって我ながら思うんです。ガラパゴス諸島のイグアナだって追い詰められた結果、海に潜れるようになったでしょ?
だから、そういうバンドではいられたような気はしますね。
逆境なんて糧にしちまえみたいな。

- その後しばらく順調に活動を重ねていきますが、次のシングルやアルバムを作るプランなどはあったんですか?

Z : アルバム出したいねって話はしてたかな。

- JUDGEMENTが活動休止したのは2005年くらいだったと思いますが、それはどんな理由だったんですか?

Z : 俺が辞めた後の事なんで、ちょっとわかんないです。

- え?自虐さんが先に辞めたんですか?自虐さんがリーダーじゃなくて?

Z : ずっとリーダーは向井ですよ。俺みたいに我儘なのはリーダーに向いてない(笑)。

- 辞めた後は音楽活動から離れていたんですか?

Z : そうです。

- 2009年に復活して、”CHAOS IN TEJAS”(2005年から2013年まで、アメリカのテキサス州オースティンで行われていたPUNK/ HARDCOREの大型フェスティバル)に出演しましたが、このオファーが来た時どのように受け止めましたか?

"CHAOS IN TEJAS"のフライヤー。2009年にJUDGEMENT、2010年にBASTARDで出演。
当時の模様やエピソードはインタビューPart.2を参照。

Z : たしか、チェルシーの追悼ライブをやった後すぐだったかな?
向井に話を聞かされて「ないだろ」って、即断りました。
オファーくれるのは嬉しいけど、そもそも俺辞めてるし。
それに、飛行機が苦手なんですよ。乗ると頭痛が酷くて。
だから、海外からのオファーは過去にもあったけど大抵断ってました。
1度だけ、トクがヴォーカルの時にアメリカツアーのオファーを受けた事があったけど、プロモ用EPのレコーディング直前にトクが辞めたんでそれもキャンセルしましたね。

- フェスから帰国後に、本格的に活動再開しようという動きにはならなかったのですか?

Z : うん、なりましたよ。
でもその後すぐ、ジャジャはLIP CREAM、俺はBASTARDのライブ(共に再結成)が決まったんで、それが終わってからにしようかって話になって。
結局、スタジオに何回か入っただけで、実現しなかったけど。

2009年"CHAOS IN TEJAS"に出演したJUDGEMENT。会場であるEMOSのバックステージにて。

- じゃあ、JUDGEMENTは解散じゃなく、長い休止ととらえていいんですか?

Z : リーダーの向井が解散してないって言ってるから、解散じゃないんでしょう、きっと。
俺も、つい最近知ったけど(笑)。

- なるほど(笑)。もし復活するとしたら、また同じメンバーで?それとも新しいメンバーで?

Z : どうだろ?
俺が決めることじゃないけど、もしやるとしたら面白いことがやりたいですね。同じメンバーでアルバム出せたらきっと面白いけど、多分難しいかなそれは。

- 全く別のバンドを新しく組んだりする可能性もあるのでしょうか?

Z : 部品が何個かイカれてるし、前のスタイルでコンスタントにってのはできないですけどね。
まあ、10年ちょっとバンド休んでるだけで別にパンク辞めた訳じゃないんで。
パンクとは何かってのは人それぞれ違うだろうけど、俺にとっては「個であり続けること」なんです。
だから、今でも日常の中でそうあろうとしてるし、パンクスならいつか突然パンクバンド始めるかもしれないし。
こうやって沢山の言葉を並べるより、バンドが1発『ドン!』って出す音の方が心に響くってのは良く分かってますから。

- 自虐さんにとって「パンク/ハードコア」とは単に好きな音楽というだけじゃなく、「生き方」としても非常に重要だと。
今、振り返ってみてどうですか?長い音楽遍歴を経てその中で激しい変動があったからこそ、自分=バンドにとって何が一番大切なのか、核(コア)なのかが明確になっている感じですか?絶対に譲れない、変わらないところというか。

Z : いや、未だに何が核なのかなんてわからないですよ。
ブレながら悩みながら、答えを探してるだけで。
その過程を、そのまま音で出して来ただけだから。
だからもし、自分の弱さに直面して悲観したり、絶望したり、生き方が分からなくなっている人がいたら、今すぐ何か自分のやりたい表現手段を探してみてよ、と言いたいですね。
音楽でも絵でも、文章でも映像でも何でもいい。
表現する者にとっては、弱さも強力な武器になるから。
大丈夫、大丈夫、俺がそれを証明してるからって(笑)。


ーあとがきー

JUDGEMENTは自虐氏の最後のバンドと受け取る向きがあるかもしれないが、文中にもある通り実は解散はしておらず、あくまでも長い休止状態であるという。したがって"現在進行形のバンド"であることに間違いはないだろう。そしてインタビュー後半に散見される「これから先」を想像させる言葉のいくつかに、期待を禁じ得ないのは自分だけではないはずだ。
自虐氏とそのサウンド、ギタープレイは多感な時期の自分に多大な影響を与え、自分が今も音楽創作を続けていられるきっかけとなった重要な人物の一人である。彼が現役であり続けることはミュージシャンとしても、いちリスナーとしても非常に喜ばしいことであるし、今回の一連のインタビューで彼が重い腰を上げてくれるといいのだが、それは欲張りすぎと言ったところか。
「その時」がいつ訪れるのかは自虐氏自身のみが知るところだが、今後も更新されるであろう彼の音楽と、その動向から目が離せないのは確かだ。

2年間に渡り丁寧に言葉を紡いでくださった自虐氏と、他ご協力いただいた多くの方々に感謝致します。
なお、文中の人名表記などは、筆者の注釈以外は自虐氏による当時の呼び名、回答表記のままとさせていただいた。

ZIGYAKU's Special Thanks to : 佐藤(HG FACT)、MUKA-CHIN、Jhaja、IIZAWA、SAKURA、NORI、TOKUROW、TT、YOU、THE CRAZY SKB、IRONFIST辰嶋、KATSUTA(以上順不同・敬称略)

Photo by : 菊池茂夫、小林博美、Key、and others(以上順不同・敬称略)


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