元商社マンが仕掛ける「社会を面白くする」実験
コロナ禍で海外からの入国が止まり、国際交流シェアハウスとして厳しい局面をむかえた「ボーダレスハウス」。学生が住みながらソーシャルビジネスを体験できるインターンシップBHキャンプなどの企画を次々打ち出し、赤字からのV字回復を実現した今、代表の李成一にその裏側と次なる展望を聞きました。
大企業からドベンチャーに転職。担当はつぶれそうな事業だった
――李さんは元商社マンでしたね。なぜボーダレスに転職したんですか?
僕と田口はミスミの同期で。ボーダレスが駆け出しのドベンチャー時代、彼らが駆けずり回っているのを見て、楽しそうというより大変そうと思ってました。商社での仕事もアブラがのってたころで、転職なんて思ってもいなかったんです。
実はこのボーダレスハウスがボーダレスのソーシャルビジネスの始まりなんですけど、事業が進むなかで面白い展開になりそうだって、話をちゃんと聞くことになったんですね。
ボーダレスハウスを海外に出していく計画と、僕自身のいつか韓国との橋渡しをしたいという思いが重なって、話の全部にすごくワクワクしたのを覚えてます。
社会貢献ってノリより、社会のためにもっとおもしろいことしようぜって感じで。ビジョンもでかかったし、何より自分の仕事に誇りを持ってた。で、その話の後にすぐ転職を決めました。
――商社からソーシャルベンチャーへの転職、ギャップはありましたか?
僕が入社したのが、2011年。震災直後で、海外から来てた人がみんな帰っちゃって、事業としては正直つぶれそうでした。
商社時代に培ったロジックで戦略を立てて、語学学校や専門学校に営業を仕掛けて、それが当たったことで事業は持ち直していきました。
一番ギャップを感じたのは、意思決定のスピード。話していたことが数時間後には実行されるすさまじさで、これは大企業とは全然違った。
仮説レベルで走り出すし、「できないことはない。できる方法を考えよう!」って根拠のない自信や可能性を本気で信じてるメンバーで。
商社の時の仕事は1000を1001にするみたいな仕事だったから、僕自身に自信を持てていたかというとそうでもなかったけど、チームに対しては何でもできるって自信があったかな。
コロナ禍を経て、新たに始める社会を面白くする「実験」とは?
――コロナの影響はかなりあったそうですね。
コロナ禍からの2年は本当にきつかったですね。海外からの入国が止まり、赤字が続いて、国際交流シェアハウスとして存続の危機でした。
メンタル面でも、ソーシャルネイティブな若い起業家がどんどん入ってきて、その純粋な思いが自分にはないし、業績も芳しくなくて。ビジネスとして社会課題に取り組むことをあきらめそうになった事もあります。
どん底で、自分に何ができるんだろうと思ったときに、立ち返ったのが原点でした。
それは場所があるということ。コロナでオンラインの領域も広がったけど、リアルな場所を持っていることの価値もすごく上がりましたよね。
場所にも、育まれていくアイデンティティがあって、同じ人が集ったとしてもレンタルスペースでは絶対にできないことがある。
他にも、国際交流を進めたいと考えるスタッフ、入居者、ボーダレスハウスに共感するパートナー。いろんなリソースがそろっていた。
僕には純度の高い思想はないけど、フレーム作りは得意。コンテンツは、確固たる思想をもって活動している、例えばWelgeeさんみたいな人たちと一緒に発信していくのがいいなって。
社会問題を解決するんだ!という使命感だけでは続けられないと思うんです。僕は、ビジネスというジャンルで自分の強みを活かして、社会課題を解決できるソリューションを作っていきたい。これからもどんどん仕掛けていきますよ。
今回、リソースをフルに使ってはじめるのが、BORDERLESS STATION(Bステ)です。
多文化共生の場づくりの実験ですね。上に住居があって、下のスペースでその地域にあった多文化共生の交流を仕掛けていく。
この取組みを知ってもらうため、また一緒にやりたいという方を集めるためにクラファンに挑戦しています。モデルが確立できたら、全国、海外にも早く展開していきたいですね。
ボーダレスっていう環境は、長い時間軸で考えて挑戦したり、新卒起業家の姿勢から吸収したり、自分自身がもっと変化していけると信じられる、ほかにない環境でしょう。これからも、もがいていきますよ。
転載元:ボーダレスマガジン
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