100年前、宮古諸島の綾なる歌に魅せられたロシア人研究者ネフスキーの軌跡を追う。 11 ボーダーインク 2022年11月8日 15:59 100年前、ロシアからひとりの民族・言語学者が宮古諸島を3度訪れた。彼の名前はニコライ・ネフスキー。自在に宮古の言葉を操り、島民たちから古来より伝わる言葉、歌、風習を聞き集めた。『歌(アヤゴ)の島・宮古のネフスキー 新資料で辿るロシア人学者の宮古研究の道程』田中水絵 著綾なる古語で紡がれたアヤゴ(歌)に魅了されたネフスキーだが、大粛清の時代のソ連で悲劇的な死をとげた。しかし彼が残した資料は宮古研究の光源として、いまも宮古の島々を照らし出している。日露の新資料が明かす「何故、宮古なのか?」宮古来島100年を記念して、いま蘇るネフスキーの旅。序章 ネフスキーとの出会い―何故、宮古なのか 第1章 1892(明治25)年~1919(大正8)年・夏 1.ペテルブルグ大学入学まで―ロシア艦隊―日本語教育 2.L.シュテルンベルグ教授―「民族・言語学的方法」 3.日本留学―民俗学者たちとの出会い 4.「大学への報告書」―『風俗画報』 5.帰国延期―『万葉集』 6.東恩納寛惇―先島地誌4種―『混効験集』第2章 ネフスキーと黎明期の琉球・宮古研究 1.田島利三郎―『おもろさうし』『混効験集』「先島の歌」 2.『沖縄風俗図絵』―謎多き「宮古島言語」 3.伊波普猷―『古琉球』 4.知られざるドイツ人A.ウィルト―「新琉球諸方言」 5.先輩E.D.ポリワーノフ―「日琉語比較音韻論」第3章 1919(大正8)年・夏~1922(大正11)年・春 1.小樽赴任前夜―上運天賢敷―宮古方言 2.小樽―『混効験集』『おもろさうし』の学習―オシラ神研究 3.柳田国男の沖縄旅行―折口信夫の沖縄旅行 4.八重山の宮良當壮―日記 5.小樽高商のノート―宮古方言学習再開 6.冬の日記1―アイヌ語―宮古方言 7.冬の日記2―萬谷イソ―大阪へ第4章 1922(大正11)年・夏 1.1回目の宮古調査旅行―折口信夫宛の絵葉書 2.富盛寛卓―採録の方法 3.ムナイ―サバニ 4.伊良部島―国仲寛徒村長 5.村長夫人の歌―小学校のベッド 6.佐良浜―会えない神カカリャ 7.佐良浜の結婚—佐喜眞興英—シマ 8.不明な足取り—下地島 9.狩俣―《根間の主》のアヤゴ 10.池間島―四シマ 11.多良間島―エーグ―《正月の歌》 12. 多良間の八月踊―組踊 13.水納島―百合若大臣第5章 1922(大正11)年・秋~1926(昭和元)年 1.沖縄図書館―伊波普猷―田島利三郎「宮古島の歌」 2.吹き続けたムナイ風―同志・宮良當壮 3.ティムバヴ―口頭発表「天の蛇としての虹の観念」 4.虹―ライバル・宮良當壮 5.親友・前泊克子―佐良浜の巴御前 6.「アヤゴの研究」―田島利三郎の研究の伝道者第6章 1926(昭和元)年・夏~1928(昭和3)年・春 1.2回目の宮古調査旅行―慶世村恒任 2.「宮古島子供遊戯資料」―島民の協力 3.『音声の研究』―台湾調査旅行 4.恩師シュテルンベルグとの約束―鷲信仰―《正月の歌》 5.「月と不死」―若水―折口信夫第7章 1928(昭和3)年・夏~1929(昭和4)年・秋 1.3回目の宮古旅行―平良の知識人―「白い鳥についての歌」 2.国仲寛徒―神祈りの文句 3.伊波普猷からの絵葉書―ポリヷーノフ先生のアドレス第8章 1929(昭和4)年・秋~2012(平成24)年 1.帰国―活動―日本旅行の申請 2. 二つ目の「天の蛇としての虹の観念」―消えた「ムナイ」 3.ネフスキーの死―死の真相―蘇った研究 4.宮古に帰ったネフスキー―『宮古のフォークロア』『方言ノート』 5.生誕120周年サンクトペテルブルグ国際シンポジウム―蘇るネフスキー終章 何故、宮古なのか目次 『歌(アヤゴ)の島・宮古のネフスキー 新資料で辿るロシア人学者の宮古研究の道程』 田中水絵 著 - 沖縄の本ならココ! ボーダーインク 1990年設立以来、常に境界(ボーダー)ぎりぎりの発想でさまざまな話題作、沖縄の県産本を出版し、現在出版点数約200点有限 borderink.com 3,080円 『歌(アヤゴ)の島・宮古のネフスキー 新資料で辿るロシア人学者...で購入する ダウンロード copy #宮古 #ボーダーインク #ネフスキー #田中水絵 11