牛肉と馬鈴薯
天気の子を見た。
新海監督の美しい描写とRADの音楽が重なる次元がたまらない。天気の子は何を伝えたいのだろう。そんな問いに想いを馳せた。
少年の無鉄砲なまでの熱量で突き進む姿勢に、現実をみる大人もいつしか若い頃の自分と重ねてしまう。理想に生きるか、現実に生きるか、僕にはそう見えた。だからタイトルを牛肉と馬鈴薯とした。
僕らは社会の中でなんらかの役割を持っているのだろう。ミクロでみると家族の中での自分の役割みたいなものだ。
どうしても叶えたいこと、やりたいこと、この映画でいえば、感情を抑え切れないほど愛してしまうということなのかもしれない。
役割を超越した使命ができたときに、あなたはどうする?と問いかけられた気がした。
自由を求めながらも、役割を求めるのが人なのかもしれない。
あなたは、どちらを選ぶだろうか、役割か使命か、理想か現実か、どちらが幸せなのだろうか。
ただ、惰性で日々を生きるのではなく、自分を守るために理由づけをせず、承認欲求ではなく、自分の幸せはなんなのかを真剣に考える時間を僕たちは持つべきなのだろう。
人が人である理を、僕が僕である意義を、今考える意味を。
僕は馬鈴薯でありたい。