閲覧録20231216-20240115
【閲覧録20231216-20240115】再度確認、修士論文の提出期限は2024年1月10日(水)17時。もう年末年始もない状況。紙ではなくPDFファイルでの提出。期限内であれば、再提出も可能。楽っちゃ楽だし、便利っちゃ便利。とはいえ、出力方法はどうあれ、内容を保証するものではない。
20231216
『吉田健一著作集 第八巻 日本の現代文學 頭の洗濯』(集英社 1979)了。「頭の洗濯」、p245「派手な仕事といふものはないばかりか、派手であることと仕事は二つの全く別な世界に属してゐて、派手な仕事といふのは例へば、乾いた雨といふやうなものである。それで、我々にはさういふ地味である他ない仕事があり、稀にしか派手でない生活があつて、その何れにも馴れたその味に親んで年を取つて行く。それはそれ以外のどんなことにも換へられるものではない。」(「帰去来」)、「残光」「史眼」が秀逸、p275「歴史上の人物も我々と同様に、死ぬまではその各瞬間毎に生きてゐたのである。」。歴史観。
20231217
『梅棹忠夫著作集 第8巻 アフリカ研究』(中央公論社 1990)始。「サバンナの記録」1965、了。p9「ブワナ・トシの歌」片寄俊秀氏は、千里ニュータウンの設計者だそうだ。全体、当時はそんな言葉もなかったかもしれないし、梅棹がそれを意図したかも不明だが、見事なオーラルヒストリーなんではないか。
20231218
責任編集 荒川正晴・冨谷至『岩波講座 世界歴史 7 東アジアの展開 8~14世紀』(岩波書店 2022)了。佐々木愛「中国父系制の思想史と宋代朱子学の位置ー中国ジェンダー史素描のために」、p256「日本のいわゆる家制度では、婿養子をとるという形をとりさえすればむすめでも正統に家を継げたのであり、日本は父系でも女系でも継承可能だった。(中略)中国は日本とは異なり、強固な父系制社会だったのである。」って面白いなあ。有力な商家が有能な婿養子をとるように、北海道の有力鰊漁家はちゃんと適切な婿養子を迎えている。法整備することと、法律の柔軟な適用というのはまた別の問題なんだろう。
20231219
『鶴見俊輔集 7 漫画の読者として』(筑摩書房 1991)了。「体験と非体験を越えて ー戦争漫画ー」1970、「ロボット三等兵」作者の前谷惟光は原田三夫(1890-1977)の長男。原田の『思い出の七十年』(誠文堂新光社 1966)再読したい。「昭和マンガのヒーローたち」>『嗚呼!! 花の応援団』(どおくまんプロ)>男性マンガ家の悲鳴には、橋本治の言及が。鶴見は、もっとも早い時期の、橋本発見者中の一人だったのではないか。「少女読者の代弁者を買って出て『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』を書いた橋本治によれば、少女マンガは女の子のためのポルノと同じなんだから男は見ないのが礼儀なんだという。」。『ぼのぼの』『まんだら屋の良太』『のはらうた』(いがらしみきお/畑中純/工藤直子)、p411「畑中純は、伊藤整の『小説の方法』を読んで、自分の物語をつむぐ技術をまなんだ。」、p414「人間は善の選択の能力とともに悪の選択の能力によって人間となる。」。もっと色々読まねば!
20231220
司馬遼太郎『街道をゆく 9 信州佐久平みち 潟のみち ほか 新装版』(朝日文庫 2008)了。1971年連載開始、司馬は1996年2月没。実は紀行文であると同時に、1970年代からの四半世紀の時代描写記でもある。p356「前首相田中角栄が逮捕されたことを、この岩村田のそばやのテレビによってはじめて知った。」
20231221
高松宮宣仁親王『高松宮日記 第四巻』(中央公論社 1996)。1942年8月16日~8月25日分。八月二十日、p409「二重橋前デ宮城ニ敬礼ノ写真新聞ニ出ヅ。」に傍注「バカナコトヲスルモノダ」、しかもバカを四角で囲んで強調されてる。宮はクール。膨大な戦時記録の合間の記述に、読み手としてはほっとする。
20231222
『網野善彦著作集 第五巻 蒙古襲来』(岩波書店 2008)。229p、「弘安の「徳政」と安達泰盛」>「安達泰盛と霜月騒動」>「安達泰盛」、「しかし反面、泰盛はあくまでも武人であった。兼好が『徒然草』で、かれをならぶもののない馬の名手、「道」を知る人と賞讃したことはよく知られている。」、あれ、そんな段あったっけと思ったら、ありました。40年以上『徒然草』に接してきた人間として、情けない話だ(笑)。小川剛生訳注『新版 徒然草』(角川ソフィア文庫 2015)、p176「第一八五段 城陸奥守泰盛は、双なき馬乗りなりけり。馬を引き出ださけるに、足を揃えて閾をゆらりと越ゆるを見ては、「これは勇める馬なり」とて、鞍を置き換へさせけり。また、足を伸べて閾に蹴あてぬれば、「これは鈍くして、誤ちあるべし」とて、乗らざりけり。/道を知らざらん人、かばかり恐れなんや。」の城陸奥守泰盛がそうだそうだ(恥&汗)。小川先生の脚注類、「185【安達泰盛の逸話】/1 安達義景男。正五位下。幕府評定衆。すぐれた政治家で幕政改革に邁進したが霜月騒動で敗死。一二三一~八五。(中略)前段に続き北条氏とともに幕府政治を主導した安達氏を回顧する。」って、前段は相模守時頼の母・松下禅尼の障子張の段か。知らんかった。『徒然草』がより日本歴史にリンクして良かった。p258、「百姓と「職人」」>「「惣百姓」と「一円領の出現」」>「女性の地位の変化 西国と東国」、「民俗学者の宮本常一氏は、東国は父系的、西国は母系的な親族結合の原理をもち、社会構造に相違があったと指摘しているが、このような方向をもうすこし深く追求してみる必要があるのではないか」からの、「高群逸枝氏はこのような社会的転換を、婚姻形態の面から、招婿婚(婿入り婚)から嫁入婚への転換ととらえ、そこに全体として母系制から父系制への最終的な転換を見いだしている。」、「網野節」っぽくね?んで、婿入り婚は「家」断絶回避の一大方策として残ったのではないか、とも思うが。
20231227
『開高健全集 第10巻』(新潮社 1992)。「砂漠に生れた理想主義」、ユダヤの地に立つ関西人による、突然の札幌言及・描写、p392「私は無人の荒野にひとり鉄管だけがたって水をまいているのを見ているうちに、とつぜん札幌の大通公園を思いだした。あの道路は日本でいちばん広い。幅は五〇メートルから一〇〇メートルもある。それは明治初年にしかれたまま変っていない。人家もろくにない、草ぼうぼうの石狩平野に、いきなりあの道路をしいたのである。この合理主義の鮮烈な詩に学生の頃の私はうたれた。」、p393「旧約聖書は砂漠の思想の書と呼ばれている」、やっぱそういうもんやったんや。「孫文その悲惨と栄光」、p434「孫文はたいへんな読書家で、ひまさえあれば本を読んでいたらしい。(中略)犬養毅がそれを見てつくづく呆れ、いったいあんたは何を楽しみに生きているのだとたずねると、孫文はよこにいた妻の宋慶齢をふりかえって微笑し、/「一に革命、二に女、三に本ですよ」/と答えた。/犬養毅はそれを聞いて大いに感服した。」。 ニと三の順序に関しては、異論はない。
20231228
山本義隆『磁力と重力の発見 3 近代の始まり』(みすず書房 2003)始。「第17章 ウィリアム・ギルバートの磁力論」、p672「ギルバートに多大な影響をうけて新しい天文学を創り出したのはヨハネス」「ケプラーがその重力概念を産み出した地球観の基礎はギルバートの「磁気哲学」によるものであった。」
20231229
橋本治『完本 チャンバラ時代劇講座』(徳間書店 1986)。「第二講 これが通俗だ!」>「8 『旗本退屈男』にみる、東映チャンバラ映画の基本パターン」、p70「東映のチャンバラ映画の全盛期というのは”もう戦後ではない”という昭和二十年代の終りからほぼ十年間の、昭和三十年代です。戦争が終り、廃墟の虚脱状態が朝鮮戦争の特需景気をきっかけにして立ち上り、”所得倍増”から”高度成長”へと国全体が浮上している期間に当ります。言ってみれば、苦しいけれど明るい時代です。生活の立て直し、豊かさの獲得がすべて。努力すれば報われるということが信じられた時代です。一通り以上の豊かさが達成された、そのお披露目が昭和三十九年の東京オリンピックということになりましょうか。この頃から、チャンバラ映画の東映はヤクザ映画の東映に変って行って、国民の方も”豊かさの陰の……”という、なんだか訳の分らない心理的な陰翳を持った時代に突入して行きます。」。チャンバラ映画の昭和史。
20240103
『内村鑑三全集 3 1894‐1896』(岩波書店 1982)。『How I Became A Christian: Out of My Diary』(1895)。1879年3月から1881年3月にかけての鑑三。いわゆる「札幌バンド」の面々が自力で自前の教会を建てようとする時期か。鑑三は1881年7月「札幌農学校を農学士として首席で卒業」なんだそうだ。
20240104
岸政彦・稲場圭信・丹野清人編『岩波講座 社会学 第3巻 宗教・エスニシティ―』(岩波書店 2023)始。岩波の「講座」シリーズは、「開かれた」講座というよりは「業界人向け」講座っぽい感じがしてしまう。新書とはいえ、筒井清忠編『〇〇史講義』(ちくま新書)シリーズなどは、初学者にも優しい印象。
20240105
『漱石全集 第十二巻 小品』(岩波書店 1994)。「満韓ところどころ」(1909)・「元日」・「思ひ出す事など」途中まで。362-365p、哲学者ウィリアム・ジェイムス(1842-1910)と文学者ヘンリー・ジェイムス(1843-1916)、漱石の表記はともに「ジェームス」、が兄弟だったって初めて知った(恥)。
20240106
『柳田國男全集 第五巻』(筑摩書房 1998)了。「明治大正史 世相篇」1931、多分30年ぶりくらいに読んで、さすがに当時よりは読み込めた感じ。最後の方、「第十四章 群を抜く力」などは、現今の政治状況に思いをはせるよい契機になるようなもので、昭和初年からも歴史は延々続いていることを再確認。「第七章 酒」>「一 酒を要する社交」、476p「天の岩戸の昔語りにも有るやうに、面白いといふのは満座の顔が揃つて、一方の大きな光に向くことであつた。」。「第十一章 労力の配賦」>「一 出稼労力の統制」、p544「杜氏にしろ、筏人夫にしろ、北海道樺太に往く漁夫にしろ、その仕事が定期的に継続せられると、其永続が保証されねば甚だ不安になるのである。」、「ニ 家の力と移住」、p546「言はば北海道は我々の移住の練習地であつたとも云へるのである。」、「六 海上出稼人の将来」、p557「北海漁業が明るく開拓せらるるならば、出稼界は大いなる天地を得るであらう。」、再読再考箇所。「第十四章 群を抜く力」>「四 落選者の行方」、p598「成功といふ明治の新熟語は、無心なる多数少年の夢の代を供給して来たが、実際は寧ろ此等の失意者の、それから後の経験を語るものであつた。落選々手の忍耐はさう永くは持続し得なかつた。中には一生を亡者の生活に終つたものも有らうが、大抵は転じて反動の趣味に生きようと努めたのである。この第二種の立身方法には、稍自由過ぎる程の選択があり、大体に性急で又少し粗暴なものが多かつた。しかも尚之を以て一生の職業とする迄の決心はなかつた故に、責任を負はない一時的の計画が、幾らとも無く此連中によつて案出せられて居る。」
20240107
『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅱ-1 灯台へ/サルガッソーの広い海』ヴァージニア・ウルフ/ジーン・リース 鴻巣友季子/小沢瑞穂訳(河出書房新社 2009)始。この全集を全巻読破したら、第一巻に戻って、原書と対訳で読み返しながら、余生を送ろうかなどふと考えたくなる。さて言語数やいかに?
20240108
『寺田寅彦全集 第十一巻 俳諧及び和歌』(岩波書店 1997)。寅彦はまず物理学者であり、同時に文名高い随筆家であり、さらには時に重病人のファミリーマンであり、素人絵描きかつバイオリン弾きでありなわけだ。さらにこの膨大な俳諧と和歌の作者でもあり。一体どのように時間を捻出していたのかと。
20240109
永井荷風『荷風全集 第八巻 暴君 新橋夜話』(岩波書店 1992)、了。1911-12年のテキスト。「「味」は調和」に「日本の西洋料理」disりがあり、後日谷崎全集第11巻所収「洋食の話」(1924)の谷崎のdisりを目にし、その微妙なニュアンスの違いが面白かった。21世紀日本の西洋料理・洋食はどうだろか。
20240110
中岡哲郎他編『新 体系日本史 11 産業技術史』(山川出版社 2001)。「Ⅰ 分野別産業技術史」、堤一郎「5章 鉄道と関連技術」、玉川寛治「6章 繊維産業」。p209「旧手宮駅構内を利用した北海道の小樽交通記念館」。現・小樽市総合博物館本館。去年二月観覧した。「北海道鉄道開通起点」碑見損ねたが。
20240111
『志賀直哉全集 第四巻 暗夜行路』(岩波書店 1999)始。前年途中まで読んで、貸出中だった第三巻が出てきたので借り出した後、またこの巻に。時間がちょっと空いたので頭から再読する。漱石・荷風・志賀・谷崎、誰の全集を読んでも、東京の文化資本の分厚さを思わずにはいられない、地方出身者の私。
20240112
『谷崎潤一郎全集 第11巻』(中央公論新社 2015)了。65歳にして「痴人の愛」1925初読。先月の太宰治「人間失格」1948初読に続き。ふと作品はそのままに題名だけ入れ替えても問題ないのではと考えたり。谷崎は有史以来有数の変態者でかつ最高の文学者だろうと思う。そして自分はそのどちらも支持する。
20240113
エドワード・W・サイード/板垣雄三・杉田英明監修/今沢紀子訳『オリエンタリズム 上』(平凡社ライブラリー 1993)。p187「アジアは預言者をもち、ヨーロッパは医者をもつ」、フランス人著述家エドガール・キネ(1803-1875)の言葉だと。今思いついた、「前者にはニセが多く、後者にはやぶが多い」。
20240114
『家政論 今和次郎集 第6巻』(ドメス出版 1971)了。「家事作業について」、p332「原始的な生活、自給自足的な生活における生産的、あるいは消費的な作業、自己にはじまって自己で終結してしまうような行動、生業(なりわい)とでもいえる、その行動の中に、はたして労働といえるものが捜せるのだろうか。それは労働かといえるものと、レクリエーションかといえるものとが、互いにより合わされた状態ではないのだろうか。」、1951年の文章なので、ハンナ・アレント『人間の条件』1958年の先取りをしている感もあり。「生活改良普及員の登場」、p457「ストーブで炊事をもするようなのが北海道では一般に行われております。」、これも1951年の文章、さすがにストーブでの煮炊きは今は極々少数派だろう。解説は加藤秀俊。508p「それぞれの時代は、いっさいの反対を不可能にするような、魔術的なことばの体系を用意している。ラスウェルはそれを「キイ・シンボル」と呼び、鶴見俊輔は、「お守りことば」と名づけた。この種のことばを口にしているかぎり、人間は他からの攻撃をうけないですむ。それは一種の呪文のようなものだ。」、思い当たる節多々あり過ぎ。加藤文続ける、p520「文中、「行為として示されたときに」という部分に力点をかけて読んでほしい。「考現学」や「民家論」にみられる事実蒐集家としての今和次郎とちがって、ここには実践者としてのかれのすがたがある。マックス・ウェーバー流の三分法をつかうなら、この巻は、今和次郎の「政策」篇という色彩がつよく、それは、他の諸巻でみられる「理論」篇、「歴史」篇とあいまって、学究としてのかれのしごとに、すこしの遺漏もないことをしめす。今和次郎は、けっして奇驕の人物ではなく、現代を生きる、日本の科学者として、きわめてあたりまえのことをかんがえ、書き、そしておこないつづけてきた人物なのである。」、正当な評価ではないか。「「離れザル」的な役割」とも。アウトライヤーなのは確かだよね。
20240115『柳宗悦全集 第九巻 工藝文化』(筑摩書房 1980)了。今和次郎に輪をかけたようなアウトライヤー、柳宗悦。戦時期の主著の一つ、「工藝文化」を読んだ。p488「ものゝ模様化は、ものゝ要素化である。」。p495「個性が間接にされると云ふことは、それだけ自然が代つて直接に働くことを意味してくる。」