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閲覧録20230916-20231015

【閲覧録20230916-20231015】9月14日にコロナ感染発覚、同18日まで自宅療養。コロナは全世界的になし崩し的に「日常的なもの」に格下げされたが、武力紛争のほうはどうか?コロナほどの当事者性がない分、常に意識的に意識せねばならないんだろう。

20230919
高松宮宣仁親王『高松宮日記 第四巻』(中央公論社 1996)。1942年6月21日~7月10日分。p274「六月二十一日(日)」、「第四艦隊ハ第八根拠地隊ニ「ガダルカナル」進出陸戦隊ヲ設営隊ノ到着前、進出セシムベク下令」な日だが一方で、「午後は「ヰネムリ」シタリ、早慶戦「ラヂオ」キイタリ。」。p290-291「七月四日(土)」、北洋方面に関する記述「〇大警(三ー一一一〇)北洋警備第三報(中略)三、六月末「日魯」ヲ最後トシ送リ込ミ完了。各社トモ操業ハ順調ニ進捗中ニシテ、北千島方面ハ豊漁、太平洋漁業ノ不漁ノタメ西岸ニ回航、「ウトカ」ト混合シテ操業再開セルモ右漁場ハ好漁ナリ。」この間の日記の中だけでも、海軍はほとんどオーストラリア東岸のガダルカナルからカムチャッカ西岸のウトカまでを戦域として戦っている訳で、それこそ「選択と集中」ができなかったものかと考えてしまう。できないよね。できない場合は戦争始めちゃだめだよね。負け戦確定だものね。宮怒る、p296「七月五日(日)」「第四艦隊(四ー一五一〇)」/一、「リ」号研究作戦(マンバレ河口上陸)、陸海軍打合本日終了、右期日ヲ七月二十日頃トセル処、第八艦隊編成ニ拘ラズ、本作戦ハ当艦隊ニ担任セシメラレ、第八艦隊ノ大部ヲ本作戦概成迠当部隊ニ軍隊区分ニ依リ編入セラシメラルルヲ適当ト認ムル〔ニ〕付、然ル可ク取計ラハレタシ。(何ニヲ云フカ、今迠「モレスビー」作戦ヲチツトモ本気デヤラナカツタ癖ニ他人ニヤラレルトナルトコンナ事ヲ云フ、第四艦隊ノ弱イコトハ昨日「ガダルカナル」設営隊ヲ300’モ避退セシメタノデモワカル)」。ますますつのる、これでは勝てないのでは感。日記帳第十二冊目に入るに当たって、その巻頭に「気分ノコト」七項目の記入あり。宮は極めて内省的。自己省察も時に鋭い。「三、心ヲトラレテ心ツカヌコトアリ、車ヲ降リル時、出迎ヘヲ受ケタ場合、空虚トナリ勝ナリ。」。いや、戦時にそんなところまでお気遣いになられなくてもと、つい思ったりもする。

20230920
『網野善彦著作集 第四巻 荘園・公領の地域展開』(岩波書店 2009)了。荘園公領制についての理解が深まったとはとても思えないのが悲しいがしょうがない。当著作集編集委員の一人である稲葉伸道氏の解説を読んで「ああ、そういうことなのか(も)」と納得している次第。稲葉解説末尾、p486「著者は晩年の書『「日本」とは何か』(『日本の歴史』00巻、講談社、二〇〇〇年)において、列島諸地域の差異を述べるなかで「荘園公領制の東と西」について述べている。そこでは荘園公領制は「日本国」の国制、とりわけ徴税の基盤として存在し、その存在ゆえに東西の王権の並立が「日本国」の分裂に至らなかったと述べている。まだ、「職の重層的体系」は西国に見られるとしている。荘園公領制は「日本国」全体に展開する国制であり、「職の体系」は荘園公領制の秩序を意味するものではなく、西国の荘園公領制に限定され、東国は「職の体系」から除外される。この考えは『日本中世土地制度史の研究』時点の考えと同じであるが、もはや、「縦の主従関係の東国」の説明において「在地領主」の用語は全く登場しない。著者の荘園公領制に対する考えは、荘園公領制を西国に限定しようとする方向には展開せず、職の体系と切り離してとらえ、「日本国」の国制基盤として考える方向に展開したといえるのではないだろうか。」。蝦夷地に荘園公領制が展開したという話は聞かないので、東国・西国に対する北国は、中世においてはやはり「日本国」ではなかったという理解で良いのか。まあ、当たり前か、いつ「日本国」になったか、というのも難しい問題かもしれない。今、多分、「日本国」なんだよね?違?

20230921
『開高健全集 第10巻』(新潮社、1992)。「過去と未来の国々」東欧篇。1960年9-11月のルーマニア、チェコスロヴァキア、ポーランド。63年前。それ以前もそれからも色々ありすぎ。けど、その「色々」にそれほど詳しいわけでもなく。粛々と知見を広め自分なりに考えを深めるしかないという凡庸な結論。

20230922
山本義隆『磁力と重力の発見 2 ルネサンス』(みすず書房 2003)。「第一〇章 古代の発見と前期ルネサンスの魔術」「2 魔術思想普及の背景」p346「商品としての書籍の大量生産とそれを購読する都市市民の存在こそが、一五世紀後半以降のイタリアにおける魔術思想普及の物質的・社会的基盤であった。」

20230923
『内村鑑三全集 3 1894‐1896』(岩波書店 1982)。『How I Became A Christian: Out of My Diary』(1895)。1877から1978年辺りの札幌農学校での、キリスト教入信前後の鑑三の学生生活。今から150年近く前の札幌に思いをはせながら、その札幌で、縁遠い同窓生の一人として、さらに読み進めるとする。

20230924
『漱石全集 第十二巻 小品』(岩波書店 1994)始。「倫敦消息」1901から「硝子戸の中」1915まで所収。ちなみに長編は、「猫」1905から「明暗」1917まで。漱石は、日露戦争開始を見、第一次大戦終結を見ないで終わったわけだ。20世紀初頭についての自分の中の年代観に揺さぶりをかけるに良い読書かも。

20230925
『柳田國男全集 第五巻』(筑摩書房 1998)。「蝸牛考」1930、了。「明治大正史 世相篇」1931、始。1931年というのは、一般的には満洲事変の年だけど、自分的には父の誕生年(いかりや長介と生年月日が一緒)・合同漁業株式会社設立年。「昭和平成史 世相篇」、そろそろ誰か書くべき時期なんじゃね?

20230926
『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集Ⅰ-12』(河出書房新社 2008)。『アルトゥーロの島』。訳者の中山エツコ(1957年生)さんは同世代人(田原1958年生)だね。東京生・東外大卒・東大修士・ヴェネツィア大卒・イタリア文学専攻、どんな世界観をもって生きておられるのか。「島」はどこにあるのか。

20230927
『寺田寅彦全集 第十巻 科学論』(岩波書店 1997)始。「物理学序説」(1920/1936 未完)、やはり読書中の山本義隆『磁力と重力の発見』を思い浮かべ、対比しながら読んだ。p21「科学が中世後文芸復興とともに急に進歩するに至った一つの大いなる理由は実に科学がこの区別を自覚して自己から切り離され自由な天地に放たれたのにあるのである。しかし全く自由になったつもりでいても実はやはり別の世界に移ったのでなくて何処までも自分の囲から出た訳ではなく、ただ自分の Spielraum を得たというに過ぎない。この事も忘れてはならない事である。」。この頃、日本語現代文が完成した印象を受ける。

20230928
永井荷風『荷風全集 第七巻 冷笑 紅茶の後』(岩波書店 1992)了。全集を読み始めて、荷風は一大教養人であり優れた文明批評家であると認識を新たにした。「谷崎潤一郎氏の作品」、p485「氏の作品に対する上田先生の評語を借りて云へば作家の感激の背面には過去の『文明』が横つてゐるのである。」。

20230929
中岡哲郎他編『新 体系日本史 11 産業技術史』(山川出版社 2001)。「Ⅰ 分野別産業技術史」所収、橋本毅彦「1章 動力技術の推移」、水力・蒸気力・電力・原子力。原子力について、2011年以降に書くならまったく違う内容になるだろう。動力技術としての原子力の、フラットな歴史記述は存在するのか。

20230930
『志賀直哉全集 第四巻 暗夜行路』(岩波書店 1999)。2019年4月に大学院修士課程入学、途中から4年間在学の長期履修制度(社会人のみ可能)利用、さらに1年間休学で、学生証が9月30日で期限切れ。再発行が10月5日、期限にあわせ図書館貸出の本は返却が必要。志賀本含め8冊、今日一旦返します。重い。

20231001
橋本治『ロバート本』(河出文庫 1991 原本:作品社 1986)始。面白い。橋本治が橋本治的なものになっていく過程を読んでいる感じもあり。「ロバート本」はロバート・ボーン(Robert Francis Vaughn, 1932‐2016)のもじり。『0011ナポレオン・ソロ』のソロ役。でその相方、イリヤ・クリヤキン役のデヴィッド・マッカラム(David McCallum,1933年生)は、ついこないだ、2023年9月25日に亡くなった。長生きだね。こちらは『デビッド100コラム』の題名のもととなった方。『0011ナポレオン・ソロ』はTVで何度か見た記憶あり。今の若い人にはなんのこっちゃわからんと思う。老婆心で書いときます。「08 マルキ・ド・サドと、ホントに小さな壁新聞」、p53「何かを生み出すことに腐心している人間には、何かを生み出す人間を装うことに腐心している暇はない。」、それな。「09 小さな完成・排除された諸々 芥川龍之介『杜子春』」、これは優れた夏目漱石論。「11 真面目な人の人生 志賀直哉『暗夜行路』」、これは優れた志賀直哉論。以下、黒澤明・夢野久作・半村良・フェリーニ・手塚治虫と続き、15/50。「100コラム」は本当に100個あったが、「ロバート本」がその半分の数なのは何故か。身が入った(橋本治が筋肉質になった)ため、数は必要なくなったということか。200ではないわけで。

20231002
モンテーニュ・関根秀雄訳『随想録(三)』(新潮文庫 1954)始。「第二巻 第十章 書物について」、関根は解説文で「一五七九年か八年に書かれたものと推定」しているが、日本だと織田信長・明智光秀の時代。モンテーニュ、どんだけ近代人。まあ本邦にはさらに兼好法師という14世紀の近代人がいるが。

20231003
『勝海舟(上) 子母澤寛全集 六』(講談社 1973)。「第二巻 咸臨丸渡米」、p330「赤坂元氷川下。ここが勝麟太郎の新居だ。」、p329「赤坂の氷川神社の直ぐ裏で、南隣りが盛徳寺という大きなお寺。」。『氷川清話』の舞台だ。現・東京都港区赤坂6丁目10‐41辺が勝邸の跡地らしい。今度行ってみよう。

20231004
兼好法師・小川剛生訳注『新版 徒然草 現代語訳付き』(角川ソフィア文庫 2015)始。一応、おいらは安良岡康作門下なんだが(いやそれゆえにか)、小川先生の『兼好法師 徒然草に記されなかった真実』(中公新書 2017)があまりに面白いので、訳注本も読んでみることにした。最近の研究成果も紹介されておりとても良い。今回は第四五段まで。これからも楽しみ。第二〇段【空の名残】補注7「特に「空」の見せる光景や情緒だけが名残惜しい」といった解釈が多い。」が、「つまり「空の名残」とは、限定がなければ、過ぎ去ろうとする時間の余韻となろう」「時間の推移は五官でとらえられないから、過ぎ去ったものを虚空に見つめる、といった感傷も併せ持つのであろう。」。第二三段【宮中のありさま】解説「当時の社会では宮廷に対する憧憬は頗る強く、滝口として仕えたとされる兼好の得意も窺える。」。この辺、自分は新鮮な気持ちで読んだ。第四五段【榎木の僧正】、ちょうど某国総理がネット上で、「増税メガネ」→「増税クソメガネ」→(ここで某国総理が「レーシック」にしようかなと言ったとか言わなかったとか)→「増税クソレーシック」に呼称変遷する様子を、「twitter」→「X」で見ているタイミングだったので、読み返して面白かった。14世紀の近代人兼好法師、今なら絶対ツイ廃。

20231005
『高倉新一郎著作集 第3巻 移民と拓殖[一]』(北海道出版企画センター、1996)。「北海道拓殖史」1947、途中。「第6章 北海道庁の拓殖」、馬鈴薯について、p201「次第に不漁となって行く漁村の食糧として」、これは実感としてよくわかる。1960年代、利尻の実家でも、昼飯は蒸かし芋だけの時があり。北海道拓殖銀行について、業務の一環として、p206「二、五ヶ年以内の不動産若くは漁業権抵当定期貸付を行うこと」、後者の結果として鰊漁場がどんどん拓銀に集まってくると。213p「奥羽の出稼ぎに依存」、「最も労力を必要とする鰊漁を終えた出稼漁夫」らでは足りなくて囚人労働させたと。ほんまか。

20231006
責任編集 荒川正晴・冨谷至『岩波講座 世界歴史 7 東アジアの展開 8~14世紀』(岩波書店 2022)。丸橋充拓「唐後半期の政治・経済」、p76「「後人による唐朝像の創造」が歴史分析にもたらす影響」とな。しかし「後人による〇〇像の創造」こそが歴史叙述と言えるのでは、とも思うのだが、どうだろ。船田善之「キタイ・タングト・ジュルチェン・モンゴル」、p108「多国体制とモンゴルによる統合の時代を問わず、農牧接壌地帯に展開する軍事力が北と南を牽制する政治構造と、南から北へ物資が移動する経済構造は変わることがなかった。」、うまいこと言わはるわあ、素人にもわかりやすくて助かる。

20231007
司馬遼太郎『街道をゆく 8 熊野・古座街道、種子島みちほか』(2008 朝日文庫、原本1977)了。「大和丹生川(西吉野)街道」「種子島みち」。イスラエル・ハマス衝突が起こり、ネット情報を確認しながらの読書。「種子島」いきなり離島差別の話から始まる。p254「内陸部にいる多数者が、海をへだてて孤立している少数者たちを軽んずるということ」。自分も離島出身者なので色々考えた。上記衝突のこともあり。さらに、p310からの須田画伯の埼玉県での京都弁話者迫害話で、さらに差別というものの深刻さに、身につまされる。宿痾なんだね。差別する側よりは、差別を嘆く側の人間でありたいと願う。

20231008
高松宮宣仁親王『高松宮日記 第四巻』(中央公論社 1996)。1942年7月11日~7月20日分。p312、7月15日宮との会食に柳田国男も参加。p315、7月17日「満洲ハ文化的処女地ニシテ、中支ハ英米ガ退去シテ手持チブサタニシテボンヤリシテヰル所ナリ。」、宮ほどの人でも、差別心は排除できないと読むべきか。

20231009
『谷崎潤一郎全集 第10巻』(中央公論新社 2016)。「肉塊」(1923)。震災年前半の新聞連載で、翌年単行本。このころ谷崎は映画に夢中だったということか。p100「凡そ世の中に、芸術家の素質をもちながら而も藝術の才能のない人ほど、気の毒な者はあるまい。」、況んやその自覚のない者においておや。

20231010
ハンナ・アレント/牧野雅彦訳『人間の条件』(講談社学術文庫 2023)。なんだか面白くなってきたんだが。「第Ⅲ章 労働」「14 労働と生命の繁殖力」、p173「「急場しのぎの神[deus ex machina]」」、自分が「デウス・エクス・マキナ」という語を目にしたのは、村上春樹『ノルウェイの森』が最初だと思うが、「急場しのぎの神」とはニュアンスが違ったような。しかもアレントは「「腐らせずにもっていることのできる事物」として貨幣を導入」が「デウス・エクス・マキナ」であると書いているようだ。すごいな。p175「マルクスがその思想的発展のあらゆる段階の著作で人間を「労働する動物」と定義しておきながら、「労働する動物」の最大の人間的な力である労働がもはや必要とされないような社会を構想した、という事実は厳然として残る。」、というのもすごくないか。そして、「生産的な奴隷となるか、それとも非生産的な自由を選ぶのか、という悩ましい選択を、われわれは突きつけられているのだ。」と続く。「第Ⅳ章」「20 道具の使用と「労働する動物」」、p271「テクノロジーというのは、もはや「人間がその物質的な力を拡大しようとする意識的な努力の産物というより、生命有機体としての人間の内部にそなわっていた構造がますます周囲の環境に移植されていく、いわば人類の生物学的な発展のように見えてくる」のである。」。括弧内引用文もすごいな、どいつだ、と思って原注18見たら、ハイゼンベルクだったでござる。納得。原注18「ヴェルナー・ハイゼンベルク〔Werner Heisenberg〕『現代物理学の自然像〔Das Naturbild der heutigen Physik〕』(Hamburg: Rowoht,1955)一四ー一五頁〔尾崎辰之助訳、みすず書房、一九六五年、一二ー一三頁〕。」。アレントは、1955年刊行のハイゼンベルク本を読んで1958年刊行の自著に引用か。『現代物理学の自然像』新装版が2006年にみすず書房が出してるようだ。読もう。昭和天皇とハイゼンベルク、同い年(1901年生)なんだ。

20231011
『家政論 今和次郎集 第6巻』(ドメス出版 1971)。「家政学への提言」了、「家政の考現学的考察」。終戦後1947年発表の文章群。生活復興への思いと具体的な指針・試案が綴られる。例によって鋭い分析で当時の様子・状況がしっかり伝わる。絵もいい。今後、「歴史史料」として年々浮上してくるのでは。

20231012
『柳宗悦全集 第九巻 工藝文化』(筑摩書房 1980)。『美の国と民藝』・「工芸の性質」了。1937年発表文。今和次郎(1888年生)と柳宗悦(1889年生)は面識があった。二人の「民衆観」とそれに基づく「工芸観」の違いなど、研究対象にならないだろうか?と思って検索したら、土田眞紀氏がこの2月に「「工芸」の岐路 --高村豊周・今和次郎・柳宗悦」という論文を『人文學報 120』(京都大學人文科學研究所 2023)に書いておられた。読もう。高村豊周、しらなかった 汗。1890年生の鋳金家、父が高村光雲、兄に高村光太郎。早く言ってよ 笑。抄録によれば、土田論文は一種の京都論でもあるようだ。

20231013
原武史『昭和天皇』(岩波新書1111 2008)始。日本の近現代理解の一方策として昭和天皇(1901‐1989)について読むシリーズ(なんですのんw)。そのものずばりのタイトル。原氏は1962年東京生。何気なく読み始め、今はまりつつある『高松宮日記』への言及も多いようでそれを読むのも楽しみ。p36・37「昭和天皇の四つ下の弟である高松宮(宣仁親王)は、一九三六年(昭和十一)年一月十七日に日記に、宮中祭祀に対する違和感を次のような記している。「(中略)宮中の現に私達の参列する神事は極めて形式的ナ単なる一時的な敬礼の瞬間にすぎない。そして、皇族たるものが、神道に対する理解、むしろ信仰は動作行為の根底にならなくてはならぬことを顧みるとき、実に残念に思ふのである。 (高2)」/「神」に向かって祈る宮中祭祀には宗教性がある。高松宮は昭和天皇と同様、成年式を終えてから祭祀に出席するようになるが、それまで学習院や海軍兵学校で「唯物的学校教育」だけを受けてきて、いきなり祭祀に出てみても、最も根本にある「信仰」を身につけることはできないとしている。大変に重い指摘である。」。先走って、「第6章 宮中の闇」をチラ見したら、昭和天皇と高松宮の確執(という表現でもでいいんだよね)は昭和末期まで続いていたらしい。知らなかった。どこも大変だ。

20231014
『旧約聖書 Ⅶ イザヤ書』関根清三訳(岩波書店 1997)了。この旧約シリーズ通読中に、Israel Hamas戦争勃発、また色々考える破目に。自分には理解できない行動原理に基づいて記述・伝承・紛争に励む人間が確実に一定数するという現実。なかなか世の中大変だ。自分の行動原理も実は信用できませんが。

20231015
『宮本常一著作集 8 日本の子供たち・海をひらいた人びと』(未来社 1969)了。「海をひらいた人びと」1959、了。「船の家」p198「いま貝塚が残っているところでは、魚や貝をごはんとしてたべていたのですが、コメやムギなどをたべるようになると、魚や貝はおかずにしました。」。「クジラとり」p245日本水産の起源。「一本づり」p249、司馬遼太郎『街道をゆく 7』所収「明石海峡と淡路みち」中「宮本常一氏の説」文で紹介される宮本「一本づり」文を初めて読んで胸アツ。「カツオつりとノベナワ」p288「ドンザ」、p291「イカつり船では小さいので、タラつりの船でいくことにしました。」、これは北陸民の川崎船による北海道進出の話。「網ひき」p299「北前船」「ニシン」「サシ網」、なぜもっと早く読んでおかなかったのか。p310「これからは、たくさんとるだけでなく、魚をふやすくふうが、なによりたいせつでしょう。」。「おわりに」p314「魚をとることを漁師たちにまかせておくばかりでなく、魚をたべる者も、海のことに興味をもち、漁師のほんとうの味方になって、一人でも多くの人が、漁業の上でこまっている問題を解決していくようにしたいと思います。」。「問題」の具体例は書かれていないが、60有余年後の今、それが解決したのかどうか。「世界一水産国」復活、目指すべきでは?

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