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閲覧録20231016-20231115

【閲覧録20231016-20231115】Israel-Hamas war / guerre Israël-Hamas。理解が及ばない。ただ見守るしかない。年々ただ見守るしかないものが増えているような気もする。まあ、手を動かして解決すべきものの明確化の過程なのかもしれん。自分にとっては。

20231016
筒井清忠編『昭和史講義【戦後篇】下』(ちくま新書、2020)。宮城大蔵「対東南アジア外交の展開 一九五〇~六〇年代」、藤井信幸「池田内閣と高度経済成長」、牧原出「政治家・官僚関係の新展開 一九五〇~六〇年代」、井上正也「日中民間貿易と国交正常化」、浜田幸絵「東京オリンピック」まで了。

20231017
『吉田健一著作集 第八巻 日本の現代文學 頭の洗濯』(集英社 1979)。「日本の現代文學」了。「小林秀雄」p53「もつといい時代に生れたならばといふ気にさせる人間が、その人間が生きてゐる時代にとつて価値がある仕事をする場合が多い。」、どんな時代に生れても価値のある仕事をするということか。

20231018
『梅棹忠夫著作集 第7巻 日本研究』(中央公論社 1990)。「変革と情報の時代」1971、「日本文明論ノート」了。p340「人類学者レヴィ=ストロースは、未開社会の組織原理は要するに女の交換なのだ、という仮説をだしている。」、貨幣のない未開社会では女性が貨幣なのではとずっと考えていたので、我が意を得たり。p348「北条政子にはじまる北条氏の政治は」、「マックス・ウェーバーの支配の三類型でいえば、「合法的支配」型に、よりちかいもの」、三類型って何ですのん?という訳でググってみたら、「合法的支配」「伝統的支配」「カリスマ的支配」だそうだ。知らんかった。梅棹文中におけるウェーバー登場頻度、結構高い。「北条氏の合法的支配」を頭の片隅に置きながら、網野善彦『蒙古襲来』読み進めよう。「中世情報革命」p351‐352「阿弥とは遊行の一遍上人を祖とする時宗の信徒の称号だったということは、林屋辰三郎氏が論証されたことである。」「現在でいえば、かれらは芸術家、芸能人、文筆家、学者、医者、宗教家などにあたる。今日かんがえてみると、これらの職業はすべて「先生」とよばれている人びとである。つまり先生とは、現世的支配のヒエラルキーから身をそらせ、自己の才能と責任において自立するところの情報専従業者のことである。それがそっくり室町期には阿弥と呼ばれていたのである。「先生」はまさに「阿弥」の後身である。」、政治家「先生」はどうすんだと思ったが、落選すればただの人なので、「自立」を条件とする阿弥には当たらないのだろう。『徒然草』第89段の「連歌しける法師」の「何阿弥陀仏」が頭に浮かび、小川剛生『新版 徒然草』をたら脚注に「浄土宗・時宗の僧の称号。また「某阿」号は連歌など雑藝を嗜む者もよく用いた。」とあった。「日本文明論ノート」所収「昭和とわたし」は、1989年1月7日、昭和天皇崩御をうけて、『朝日新聞』に掲載された文章。p463「ともあれ昭和はおわった。この時代に日本は経済的な成功をおさめたといえるであろう。わたしたちの生活も、この六〇年間のあいだにおおきく変化し、ゆたかになった。しかし、その成功は孤立系としてのそれにすぎなかったのではないか。この成功は、逆に、おもってもみなかったようなやっかいな事態をひきおこす危険性をはらんでいたのである。」「昭和の末期において、わたしたちは明治以来、夢にもおもわなかったような段階に突入しはじめている。もはやみずからの利益のみを追求することは、とうていゆるされない状況にさしかかった。皮肉なことに、これは、みずからの利益を追求しつづけた結果としてあらわれた現象である。」。で、失われた30年に続くと。

20231019
『鶴見俊輔集 7 漫画の読者として』(筑摩書房 1991)始。「鳥羽僧正と『鳥獣戯画』」1971、p50「この作品を見ると、サマーセット・モームが晩年に発表した『作家の手帳』の一節を思い出す。/モームが娘と散歩していると、彼女は老年になるのを考えると恐ろしくなると言った。/「だが年をとれば、いまあなたが人生のたのしみとしてやっているようなことを、もうしたいとも思わなくなるからね。老年には老年のつぐないがあるんだよ。」/とモーム。/「どんなこと。」/「つまり、自分がやりたくないと思うことは、まずやらなくてもすむようになるよ。音楽や絵や文学にしても、若い時代とちがって、あんなに憑かれたような状態でなしにたのしむことができる。また、もう自分の身につまされるようなことのなくなった事件の経過を観察していて、十分たのしめるものだよ。たとえ自分の喜びはなまなましいものでなくなるにしろ、同時に悲しみも、刺すような痛みではなくなるからね。」/そのあとにつづけてモームはこう書いている。/「だが、これはまったくさむざむした慰めで、自分で話しながらも、どうもわびしい見かただと思ったものだ。その後、そのことについて改めて考えてみたとき、わたしは、老年の最大のつぐないが魂の自由にあると悟った。」(『作家の手帳』一九四九年、中村佐喜子訳による)/『鳥獣戯画』と『信貴山縁起』には、誰がそれをかいたにせよ、魂の自由がある。」。満65歳の誕生日直前に読めたのは良かった。それにしてもXたらいうtwitter、老年の魂の不自由な人の品評会みたいな側面もあって、反面教師には事欠かないように思う。他山の石 以て玉を攻むべし。

20231020
『網野善彦著作集 第五巻 蒙古襲来』(岩波書店 2008)始。1974年刊。「飛礫・博奕・道祖神 はじめに」には当然、中沢「石打」厚が登場。中沢厚『つぶて』法政大学出版局は1981年刊。p13「ゴリアテを倒したダビデ」の故地で、イスラエル軍に対して投石がなされ反撃として銃撃狙撃されるのが、2023年。

20231021
『開高健全集 第10巻』(新潮社 1992)。「声の狩人」1962、「一族再会」。イスラエルで死海とキブーツに赴く開高。文末の歴史解釈・現状認識、「所有権と独占権の対立が頭をもたげ、」「やがて両国とも、核兵器を持ちはじめるのではあるまいか……」、まさしく半分当たってて片一方は持ってるらしい。

20231022
山本義隆『磁力と重力の発見 2 ルネサンス』(みすず書房 2003)。「第一二章 ロバート・ノーマンと『新しい引力』」、p421「『新しい引力』の出た前年(田原注:1580年)にモンテーニュは「偉大な人物であったプトレマイオスは世界の限界を定めたし、古代のあらゆる哲学者は自分の知識の及ばないいくつかの遠い島々をのぞいて世界を隅々まで測り終えたと考えた。……ところが今世紀になってひとつの島とかひとつの地域とかいうものでなく、われわれの知っている大陸とほとんど同じくらい広いはてしもなく大きい大陸が発見されたではないか」と、地理学における古代人の無知を嗤っている。」。

20231023
北田暁大・筒井淳也編『岩波講座 社会学 第1巻 理論・方法』(岩波書店 2023)始。60歳で大学院入って今65歳でその間コロナのパンデミックあってロシアのウクライナ侵攻あってguerre Israël-Hamas始まり、岩波講座の「世界歴史」「社会学」出て、修論の提出期限が2024年1月10日(だよな)的状況っス。

20231024
橋本治『ロバート本』(河出文庫 1991 原本:作品社 1986)了。「26 停滞論」p176「人類の歴史は一九七九年で終ったの。」って面白いなあ。その時点から数年後1989年になって、橋本自身『’89』書いて、歴史(橋本のそれも含め)は続いてくんだよね。時間は「すべての場所で均一に流れる訳じゃない」。

20231025
『内村鑑三全集 3 1894‐1896』(岩波書店 1982)。『How I Became A Christian: Out of My Diary』(1895)。札幌農学校一・二期生あたりはまだ「藩」出身者で、お雇い外国人の学校でもあり、実は英語が共通言語だったのではないか。所属の白木沢ゼミでも、日本話メイン使用だが、留学生の国籍は色々。

20231026
北田暁大・筒井淳也編『岩波講座 社会学 第1巻 理論・方法』(岩波書店 2023)。木村直恵「<社会>が生まれ<ソサイチ―>が消える ー明治期における「社会」概念と公共圏の構造」、「社会」という言葉の初出用例登場の時期媒体使用者まで分かっているとは興味深い。18750114東京日日新聞福地源一郎。

20231027
『漱石全集 第十二巻 小品』(岩波書店 1994)。「永日小品」(1910)途中まで。冒頭「元日」、高浜虚子のstylish & sophisticated振りが面白い。「変化」、恥ずかしながら中村是公(1867‐1927)を初めて知った。二代目満鉄総裁。旧友中村のつてで漱石は満洲を訪れやがて「満韓ところどころ」を記す。

20231028
『柳田國男全集 第五巻』(筑摩書房 1998)。「明治大正史 世相篇」1931。冒頭の三章まではそれぞれ、衣・食・住にあたるようだ。自分が何を着てきたか、食べてきたか、どんな所に住んできたか、を考えると、20世紀後半もそれなりせわしなかった感あり。ちゃんと回顧して、纏めて書いておかなくては。

20231029
『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集Ⅰ-12』(河出書房新社 2008)。モランテ/中山エツコ訳『アルトゥーロの島』了。話が進むにつれ、面白さが加速度的に増す。主人公は変声期前後の少年で、まっこと不思議なジュブナイル物語だった。この全集、どの作品も粒揃いで、原語で読めたらと思う。頑張ろう。

20231030
『寺田寅彦全集 第十巻 科学論』(岩波書店 1997)了。「物理学序説」「海の物理学」。共に初読。専門外なので、細かな部分までは理解できないが、「随筆家」寅彦の優れた「物理学者」としての側面(てか本領?)を垣間見られた印象。辻哲夫の「解説」が秀逸。寅彦を読み始めてもうすぐ50年経過する。

20231031
永井荷風『荷風全集 第八巻 暴君 新橋夜話』(岩波書店 1992)始。1911‐1912年にかけての作品群。荷風は1879年生で外遊は190309から190807、寺田寅彦は1878年生で留学は190903から191106。「外遊・留学経験者の明治大正史」みたいな本はないのかな。甘粕正彦・藤田嗣治らも「帰朝者」枠に入るのかな。

20231101
中岡哲郎他編『新 体系日本史 11 産業技術史』(山川出版社 2001)。「Ⅰ 分野別産業技術史」「2章 資源」所収、荻慎一郎「1 鉱山」・青木隆夫「2 石炭」。巻末編者紹介によれば青木氏は、2001年現在夕張市石炭博物館館長。北海道の特定産業の勃興と終焉、今まさに論文書いている訳で、参考になった。

20231102
『志賀直哉全集 第三巻 城の崎にて 和解』(岩波書店 1999)。貸出中だったのが返却されていたので、「暗夜行路」を行くのを一時止めて、こっちを読み始めた。「和解」1917、登場人物、我孫子のYは柳宗悦でKは柳兼子か。白樺派盛期・民芸運動胚胎期の空気感。志賀のキャラ立ちぶり、やはり際立ってる。

20231103
『谷崎潤一郎全集 第10巻』(中央公論新社 2016)了。関東大震災前後の文章が収録されており、有島武郎と心中するに至った波多野秋子について書かれた「名妓の持つ眼」という小文もある。巻末の山口政幸「解題」には、秋子について語る荷風・谷崎の対談の引用があるが、これが完全に変態エロおやじ両巨頭の鬼畜臭に満ちたもので酷い(誉めてるw)。そこから孫引きする(「佐藤」は、司会役の元中央公論編集長・佐藤観次郎)、p474‐475。「永井 なにか女の記者で、だれかの細君だったのがいて心中したことがありましたね。/佐藤 有島武郎と心中した……。/永井 そうそう、軽井沢で首をつったんですね。/佐藤 波多野秋子さんですね。あれまで波多野さんには三人好きな人があったんだそうですよ。大山郁夫と有島さん、もう一人は永井先生だったという噂ですよ。/永井 へえ、そうですか。好きなら好きと言ってくればいいのに……。僕はなにも言われたおぼえがありませんよ。僕はきれいな記者だとは思っていたけど、どうせ瀧田(樗陰)君(当時の中央公論編集長)がなにしてるんだとばかり思って遠慮してたんですよ。/谷崎 瀧田君がかあいがって連れてあるいていた自分の波多野秋子はきれいでしたよ。しかし、あれは有島さんとああいうことになるよほど前ですからね。とにかく死ぬ前よりはよほどきれいでしたよ。僕もてっきり瀧田君となにかあると思っていたが……/佐藤 記者としてはなかなか役に立つ人だったということを嶋中(前社長)さんから聞いたのですが、あの時分の婦人記者というのは今とは違って社会的に相当珍しい存在でしたからね。こんどは婦人公論の編集長に初めて婦人がなったわけだけども、それに比べると今昔の感がありますね。/谷崎 永井先生には、あの心中事件があったすぐあと、銀座かどこかでお目にかかりましたよ。そうしたら、心中するなんてそんな馬鹿なことはない、そんなつまらないことはない、私なら絶対心中なんかしないな、とおっしゃっていましたっけ(笑)。/永井 私だったら心中する気にはまあなりませんね。/谷崎 僕も絶対にならないな(笑)。」、以上、1958年11月1日発行の「婦人公論」11月号に掲載された対談より。荷風翌1959年満79歳没、谷崎1965年やはり満79歳没。共に軽々に心中しなかっただけある。有島1923年満45歳没。

20231104
ハンナ・アレント/牧野雅彦訳『人間の条件』(講談社学術文庫 2023)了。まだパラ読み段階の読了。自分が生きて、頭が多少なりとも働いている限り、また何度か(英語版原本も含めて)読み返したい。訳者解題は西洋思想史オリエンテッドであって、科学史家アレントの側面に触れられていないのでは。

20231105
『家政論 今和次郎集 第6巻』(ドメス出版 1971)。「家政言論」了、p224「家政学はいたずらに分化科学による家事知識のプラスだけでは、生活の根幹は伸びないのである。人と物との関係、観念と衣食住のからみ合いについて科学することが、家政の本道だといいたいのである。」、ごもっとも。心すべし。

20231106
『柳宗悦全集 第九巻 工藝文化』(筑摩書房 1980)。「「もの」と「こと」」から、E.H.カー『歴史とは何か』の中にでも登場しそうな一節、p173「凡ての歴史家が歴史への真の理解者だとは云へぬ。単なる史学者に止まる者がゐるからである。どうしてこんな区別が出来るのか。歴史そのものの意味を掴むことと、歴史を只事柄として記述することとの相違に帰しはしまいか。「もの」を了解する人と、「こと」を記述する人とは違ふ。前者の仕事を見ると、歴史が寧ろ正しい見方によつて再生してゐる観がある。(中略)歴史そのものへの見方がなければ標準がつかない。この場合、歴史を具体的な「もの」として見るのと、之を単に「こと」として見るのとは非常に違ふ。一方は動く歴史を見、一方は止まる歴史を見てゐつとも云へる。文献的な細々とした材料に如何に富んでも、それが直ちに正当な歴史とはならぬ。それは寧ろ材料の提供であつて、歴史的批判ではない。」。1939年発表のテキスト。心します。

20231107
モンテーニュ・関根秀雄訳『随想録(三)』(新潮文庫 1954)。「第十一章 残酷について」、例によってモンテーニュ愛のあふれる関根の解説文、p684「この章のなかには、モンテーニュの極端な感じ易さ、涙もろさ、そして深い慈悲心がよみ取られる。動物ばかりでなく植物に対してまで、彼は同情を寄せる。拷問や死刑に対して我慢がならなかつたのも当然である。だがその極刑に対する明白な非難は、当時としては決して一般普通のことではなかつたことを、一言ことわつておきたい。法王庁でさえが拷問極刑を容認していた時代のことゆえ、彼がこれを真向正面から難詰したのはほんとうに特筆すべきこと」

20231108
『勝海舟(上) 子母澤寛全集 六』(講談社 1973)了。尾崎秀樹「解説」から、p571「おもしろいことに、マッカーサーが厚木へのりこんできたちょうどその日に、小説は江戸城明け渡しの場面であり、新聞の時代ものや歴史ものが、封建的武士道精神を謳歌するファッショ的なものだとみなされてマークされたときにも、この「勝海舟」だけは米軍進駐のひとつの絵ときであるといった説明で、そのまま二十一年末まで連載されたという伝説があるくらいだ。作者が故意にそうしたわけではなかった。たまたまそこまで書き進んだとき、そういった事態がおこったにすぎないのだが、これは子母澤寛の執筆態度が戦中戦後をとおして一貫していたことの証左であり、たかく評価されなければならない。」、573p「作者はその変革の時代相を描くことによって、戦時下のきびしい時代をくぐり抜け、第二の開国を作品の上で具象化していったわけだが、そこにダブっている歴史像と時代認識に著者なりの心情がよみとれる」

20231109
兼好法師・小川剛生訳注『新版 徒然草 現代語訳付き』(角川ソフィア文庫 2015)。第四六段【強盗の法印】から第六〇段【盛親僧都の逸話】まで。約40年前、学部生で安良岡康作ゼミに入って、第一回目授業が第52段「仁和寺にある法師」読解だった。色々感慨深い。一昨年、年寄っての石清水にも行けて。

20231110
原武史『昭和天皇』(岩波新書 2008)了。p93「ニ九年には、和歌山県田辺湾に浮かぶ神島で南方熊楠に初めて会い、熊楠とともに変形菌を採集した。後に熊楠は、変形菌の標本をキャラメル箱に入れて天皇に献上した。歌人の岡野弘彦はこう述べている。「専門雑誌でそのすぐれた研究を知っていられた天皇が、世に奇人と言われている南方と二人だけで無人島の標本採集を実行されたのは、研究者としての思い切った情熱からであったに違いないが、それが実現するためには、当時の世間にもまだ学問の真実を尊ぶ心があったからだと思われる。」、戦争に向かうにつれ「尊ぶ心」が失われた、の意なのだろうか?

20231111
『旧約聖書 Ⅷ エレミヤ書』関根清三訳(岩波書店 2002)始。一般教養で通読しとこうと考えて読み始めた旧約だが、なんだか切実な読書になりつつある。解説頁から始める。p326「エレミヤが預言者としての召命を受けたのは(中略)西暦、前六ニ七年のこと」、これ見た時点で理解不能で絶望的な気分に。

20231112
『高倉新一郎著作集 第3巻 移民と拓殖[一]』(北海道出版企画センター 1996)。「北海道拓殖史」1947、「第6章 北海道庁の拓殖」、p220「従来農業にのみ力点を置き、自然発達に任せてあった漁業は漸く行詰って、その打開には同様官の指導と奨励を必要とした。」、「行詰り」「指導と奨励」具体例は?

20231113
『宮本常一著作集 9 民間暦』(未来社 1970)始。「民間暦」1942、p101「支那よりの暦によって春夏秋冬の四季の概念の入り来る以前においては、もともと夏と冬とに大きく分けられていたのではないかと考える。この考えを裏付けるものは、台湾諸蕃の時の概念であって、」、アイヌ民族もそうだったはず。

20231114
筒井清忠編『昭和史講義【戦後篇】下』(ちくま新書、2020)了。佐藤晋「第10講 佐藤長期政権」から村田晃嗣「バブル時代の政治」まで。まさしく自分が物心ついて生きてたきた時代。通読中の『磁力と重力の発見』著者山本義隆が西山伸「第12講 全共闘運動・三島事件・連合赤軍事件」に登場。興味深い。

20231115
『吉田健一著作集 第八巻 日本の現代文學 頭の洗濯』(集英社 1979)。「頭の洗濯」1960。「五感」p156「体験といふのは文字通りに自分の体で感じることであつて、かういふ実感が必要でない職業、或は生き方といふものは考へられない。又それ以上に、これがあるから我々は生きてゐるのであり、人間なのであつて、又その甲斐もあるのである。盲は眼が見えないといふのは嘘であつて、盲の眼は我々が知らないやうな闇の世界をいつも見詰めてゐる。」。「抗議」p180「頭に浮ぶことを次々に書いて行くと、全く妙なことになるものである。」、『徒然草』序段「心にうつりゆくよしなしごと」ではないか。

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