【閲覧録202209-10】(20220916-20221015)
20220916
大西克智『『エセー』読解入門 モンテーニュと西洋の精神史』(講談社学術文庫 2022)了。初読で、何が書いてあるか何が面白いのかうまく説明できないが、3回読んでもまだよくわからない、小川剛生『兼好法師』(中公新書 2017)の面白さに近い。関根秀雄訳『随想録』、開始しよ。
20220917
『父子鷹 子母澤寛全集 四』(講談社 1973)始。次巻『おとこ鷹』以後『勝海舟』上中下巻と小吉・麟太郎(海舟)親子の物語が続く。実は当方の運営するレーベル、BOOXBOX ブックスボックスは、『勝海舟』の一節に因んで命名されている。当巻にも出てきた。p41「あれは唯の本箱ですよ」。人物を評して。
20220918
『中谷宇吉郎集 第七巻 比較科学論』(岩波書店 2001)始。『科学の方法』(岩波新書 1958)了。未だ新しい文章。p93「火星へ行ける日がきても、テレビ塔の天辺から落ちる紙の行方を知ることはできないといところに、科学の偉大さと、その限界とがある。」、p200「科学は、自然と人間との共同作品」。
20220919
『旧約聖書 Ⅳ ヨシュア記 士師記』鈴木佳秀訳(岩波書店 1998)了。鈴木佳秀訳「士師記」訳とその解説。ヤハウェの神はイスラエルの子らに厳しいんだか優しいんだかよくわからない。「仏の顔も三度まで」というが、「ヤハウェの顔は何度でも」感がある。イスラエルの子らが転びすぎとも思えるのだが?
20220920
『高倉新一郎著作集 第2巻 北海道史[二]』解説田端宏(北海道出版企画センター 1995)。「蝦夷地」1959。高倉の著述が、その後の北海道在住者による北海道史の内容を規定したことは間違いないんだろう。p228「しかし実際には富者になって帰国する者はすくなく、大多数のものは経費が利益より多くかかり、損失を招き、帰国が出来ず、さらに新鉱を求めて奥地に入ることになる。」、p236「一定の運上金で場所の産業を請負うという意味で、これ等の商人を場所請負人と呼ぶ。蝦夷地の交易はこの商人の手腕と技術並びに資本が投下されることによって著しく発達した。」、p246「これ等の漁業が各場所において支配的な地位を占めるようになればなる程、蝦夷の雇用人化は拡大して行った。」、p247「前貸の形で貸付け、後、産物で勘定させた」、まさしく仕込み制度の起源が語られている。蝦夷人に対して開発された雇用フォーマットが、以後和人出稼ぎにも転用適用されたところが重要ポイントでは。
20220921
『宮本常一著作集 5 日本の離島 第2集』(未來社 1970)。「後篇 島めぐり」のトップに「利尻島見聞」1964。何度読んだか知れないが、やはり優れた文章。文学作品としても後世まで読み継がれるのではないか。それだけに批判的書評を自分の手で残しておきたいと思う。実証的に補完する批評という形で。
東京行20220922-23
22(木)AIRDO014便。渋谷区立松涛美術館で「装いの力 異性装の日本史」→徒歩→ワタリウム美術館で「鈴木大拙展 Life=Zen=Art」→地下鉄半蔵門線青山一丁目→清澄白河→東京都現代美術館で「ジャン・プルーヴェ展 椅子から建築まで」→半蔵門線で神保町→ホテルチェックイン。→
東京行20220922-23:23(金)午後、明治古典会特選市@東京古書会館。落札点数、金額ともにいつもより少な目で終わる。一日目は、お上りさんとしての東京。二日目は、古書業界人としての東京出張。どちらも自分の、二足の草鞋。前月8月帰省の利尻島を思う。利尻が辺境なら、東京もまた辺境ではないか。
20220923
筒井清忠編『昭和史講義 【軍人篇】』(ちくま新書 2018)。23日朝、神保町すずらん通りのホテルで、チェックアウトまでのインプット読書で。庄司潤一郎「梅津美治郎 「後始末」に尽力した陸軍大将」、波多野澄雄「阿南惟幾 「徳義即戦力」を貫いた武将」、高杉洋平「鈴木貞一 背広を着た軍人」まで。
20220924
『吉田健一著作集 第五巻 酒宴 作法不作法』(集英社 1978)了。前回『酒宴』を「酒宴」から読み始めてそのまま巻末まで行ってしまったのを、今回巻頭『酒宴』の「逃げる話」から始めて「百鬼の会」まで行って読了。酔っ払いかよ、「酒宴」だけに。p312「本当のこと程つまらないものはない」まさしく。
20220925
『梅棹忠夫著作集 第5巻 比較文明学研究』(中央公論社 1989)。「比較文明論の展開」了。抜書する。p250「ローマ・カトリックと大乗仏教は、まさにおなじ道をあゆんだ。」、p253「陸封型(land-locked)の宗教」、p255「釈迦の言語はマガダ語である。」、p256「キリストはアラム語で説教した。」p257「ひとつの文明圏における書記言語という形をとった共通語の成立というものは、たいへん重要なことである。」、p259「日本における宗教改革は一三世紀の親鸞にはじまる。」、p260「そもそも世界史において、中世における軍事封建制というものを成立させたのは、日本と西ヨーロッパだけ」「大衆運動の組織者としてはむしろ十五世紀の蓮如であろう。時代的にも、ルッターと蓮如の活動はほぼ同時期である。」、p262「寺は現代における区役所のように、人民登録所としての機能をおわされていたのである。」、p267「大阪の船場の人たちは浄土真宗の熱心な信奉者であった。これが日本における「プロテスタンティズム」なのである。」、p367「歴史学なのであつかう対象は、歴史的に規定された一回的事象の特性を記述するもので、これは、むしろ個性記述的 idiographisch な特徴をそなえているものである。このような個性記述的な学問は、むしろ、人文科学というよりは、人文学humanities というのがふさわしい。」、p376「文化は抽象概念であるが、文明は実体概念である。」、p377「文字によって、過去と現在が統合されはじめるのである。」、p381「人類の文明は、なお全体としては、農業段階からぬけきっていない」。「国家形成と海」文では「日本海の役わり」なる語が!
20220926
『岩波講座 世界歴史 06 中華世界の再編とユーラシア東部 四~八世紀』(2022)了。梅棹忠夫を読んだ翌日に読んでつらい。世界歴史の専門家の歴史著述に、(梅棹の言葉をかりて)陸封型(land-locked)の世界観を感じてしまい。箱庭作りも悪くないけど、それが本物の世界と思わないようにしなきゃね。
20220927
『鶴見俊輔集 4 転向研究』(筑摩書房 1991)。「転向研究」所収「軍人の転向 今村均・吉田満」「転向論の展望 吉本隆明・花田清輝」。p313「ウェーバーによれば中世騎士道にみられるような上位者に対する私的な忠誠と異なる客観的規範に対する忠誠が、近代に入ってまず軍隊に生まれ、次にビジネスの中に生まれた。」、p320「自然法意識、人類意識が明らかでないという点で、今村の考えは戦前の日本軍人の思考形式を今日も守っている。」、p332「軍人だけにおしつけるという方法は、能率的に見えて能率的ではなかった。」、p336「戦争下の承認必謹+鬼畜米英撃滅の哲学から、鬼畜米英撃滅をひきされば、のこりは単純に、戦後日本のサラリーマン哲学となる。」、p360「新約聖書の根にあるのは、関係の絶対性から生まれた私怨だけでなく、この私怨を変容させる力をもつ世界の架空像である。」「新約聖書に対する吉本の独自な読み方は、今もなお吉本をおしとどめている。」。「転向研究」再読要。
20220928
司馬遼太郎『街道をゆく 2 新装版 韓(から)のくに紀行』(朝日文庫 2008)了。「加羅(カラ)の旅」「新羅(シルラ)の旅」「百済(ペクチエ)の旅」。今すぐにでも隣国に行きたく文章だが、司馬の旅は1971年。早51年前。文中の韓国が今どれほど残っているか。新しい良さが生まれてはいるだろうが。
20220929
高松宮宣仁親王『高松宮日記 第三巻』(中央公論社 1995)。昭和16(1941)年、宮37-38歳。p268、7月18日、「第三次近衛内閣成立。/秋田(野心策動屋)や松岡のける。松岡氏は外交の天才的素質あるらしきも、おしい事にそれだけ独善的である。」。p280、8月14日、「「テロ」行為最もニクむべし。」
20220930
『網野善彦著作集 第三巻 荘園公領制の構造』(岩波書店 2008)。「荘園公領制の形成と構造」、p26「承久の乱は公家政権の幕府による敗北といわれるが、全体としては、幕府を事実上の統治権者と認めることによって、公家の立場は初めて本当に安定したのだということ」注28で、幕府の西国不干渉に言及。
20221001
『開高健全集 第6巻』(新潮社 1992)始。「新しい天体」了。一言で言えば、昭和期日本の全国旨いもの食べ歩き小説なんだが、吉田健一の食通随筆なんかと違うのは、変な虚無主義みたいなものがつい出ちゃうところか。吉田が健康に淡々と旨いものを食い続けるのに比して。虚無のどこが旨いというのか。
20221002
ファインマン, レイトン, サンズ・宮島龍興訳『ファインマン物理学 Ⅲ 電磁気学』(岩波書店 1969)了。読了と言えるレベルになく、全頁にとりあえず物理的に光を当て終えた。目には、字や数式が意味をなさないまま、光学的に飛び込んできた、という話。それでもときどき目を開かされる箇所があって。
20221003
橋本治『とうに涅槃をすぎて』(徳間文庫 1984)。p141「橋本治が橋本治になるために読んだ一〇〇冊の本」、興味深く眺める。36歳時点か。晩年ならどんな本が並んだのか。共通読了書を挙げると、日本の歴史(企画委員 井上光貞他)中央公論社・ものぐさ精神分析(岸田秀)青土社・二番煎じものぐさ精神分析(岸田秀)青土社・エミールと探偵たち(E・ケストナー)岩波書店・百億の昼と千億の夜(光瀬龍)早川書房・カリフォルニア物語(吉田秋生)小学館・ストップ!!ひばりくん!(江口寿史)・ラビリンス(ひさうちみちお)ブロンズ社・夢で会いましょう(糸井重里・村上春樹)冬樹社・ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを(K・ボネガット)早川書房、ぐらいか。今(さら)通読中なのが、谷崎潤一郎全集、中央公論新社版だが。今の自分が、自分の一〇〇冊に挙げるなら、『日本の歴史』ぐらいか。ていうか、どこかで橋本さんが推挙しているのを見て通読開始したのが、そもそもの話。
20221004
『内村鑑三全集 3 1894‐1896』(岩波書店 1982)。「時事雑評二三」「日清戦争の義(訳文)」ともに1894年。鑑三はまだ非戦論の立場をとっていない。p105「吾人は信ず日清戦争は吾人に取りては実に義戦なりと」。どこでどう回心するのか。義戦と言えるのは、現状のウクライナの戦いくらいではないか?
20221005
塩出浩之『越境者の政治史 アジア太平洋における日本人の移民と植民』(名古屋大学出版会 2015)始。評価の高い一冊。「第1章 北海道の属領統治と大和人移民の政治行動 参政権獲得運動と植民者意識」。北海道(の歴史)観に、強い違和感を抱いた。北海道の近世蝦夷地からの連続性を考えてなくないか?
番外読書、武井弘一編『イワシとニシンの江戸時代 人と自然の関係史』(吉川弘文館 2022)了。自分の修士論文執筆に向けて。菊池勇夫「ニシンの歴史」「第Ⅱ部イワシ・ニシンから見た蝦夷地と畿内」所収、さすがに参考になる。前ツイート、塩出2015の北海道は歴史的重層性に欠けるのではないか思われ。
20221006
『漱石全集 第六巻』(岩波書店 1994)了。「門」(1911)了。満63歳にして初読。p367「伊藤公暗殺」、同時期漱石より12歳年下の荷風は『あめりか物語』『ふらんす物語』。ともにフレームは近代小説なんだが、荷風の登場人物は江戸人で、漱石の登場人物は現代人の印象。だから常に現代の小説なのかと。
20221007
『柳田國男全集 第三巻』(筑摩書房 1997)。「海南小記」(1925)・「日本農民史」(不詳)。先生の一言、「海南小記」p383「多くの人は忘れたと云ふことを忘れて居る。」。「日本農民史」に「小前の者」大挙登場。注目。北海道の春鰊漁業、農民の社会構造が漁村にも反映されたという視角ありかと。
20221008
ディネセン/横山貞子訳・チュツオーラ/土屋哲訳『アフリカの日々・やし酒飲み 池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅰ-08』(河出書房新社 2008)了。全集全体が素晴らしいコンピレーションであることをさらに予感させる一冊でした。「やし酒飲み」は、アフリカ版ケルアック「オン・ザ・ロード」では。
20221009
『寺田寅彦全集 第七巻 随筆七 社会』(岩波書店 1997)始。「丸善と三越」1920、p23「漁業者がたて網の中にはいった魚の回游する習癖を知っているから、一度はいった魚が再び逃げ出さないような網の形を設計すると同じように。」鰊建網もまた然り。「流言蜚語」1924、p107「科学的常識というのは、何も、天王星の距離を暗記していたり、ヴィタミンの色々な種類を心得ていたりするだけではないだろうと思う。もい少し手近なところに活きて働くべき、判断の標準になるべきものでなければなるまいと思う。」。「烏瓜の花と蛾」1932、p166「吾々が存在の光栄を有する二十世紀の前半は、事によると、あらゆる時代のうちで人間が一番思い上がって吾々の主人であり父母であるところの天然というものを馬鹿にしているつもりで、本当は最も多く天然に馬鹿にされている時代かもしれないと思われる。」さて、吾々の二十一世紀の前半はどんなものだろう。「烏瓜の花と蛾」、もう90年前のテキストなんだな。
20221010
永井荷風『荷風全集 第五巻 ふらんす物語』(岩波書店 1992)了。なんだこのおフランス野郎うぜえ、と思いながら読んでいたが、附録の西洋音楽の紹介・解釈群を読んでびっくり。批評は的を射ているし、表現も的確かつ明確。音楽批評の先駆者としての永井荷風的な捉え方は既になされているのだろうか?
20221011
山崎広明他『もういちど読む山川政治経済 新版』(山川出版社 2018)了。巻末に各種条文。日本国憲法、あえて改憲する必要も感じないが、護憲はその時点で憲法違反だろとも思う。論争が目的な人達、面倒くさい。あと基本的人権は一国憲法の内容に関わらず認められるべきこと再確認。そっちのが大事。
20221012
『志賀直哉全集 第十六巻 日記(六)』(岩波書店 2001)始。昭和27(1952)年「壬辰日誌」・同28年「山上日誌」。志賀69‐70歳。9p「伊豆山岩波別荘に中谷宇吉郎を訪ね」って、これ惜櫟荘ではないか。置きっぱにしていた佐伯泰英『惜櫟荘だより』をついに読むべき時が来たか。交遊録マニアになりそう。
20221013
『谷崎潤一郎全集 第7巻』(中央公論新社 2016)。『恐怖時代』(天佑社 1920)所収5作品全編。「歎きの門」p384、詩人先生岡田敏夫(斗司夫に非ず)は語る「楽しい生活をしようとするには、勇気がなければ駄目なのだ。いかなる人をも、自分の方から征服してやらうと云ふ勇気を持つ事が肝要なのだ。」
20221014
『チェーホフ全集 12 シベリアの旅 サハリン紀行』松下裕訳(ちくま文庫 1994)了。訳者による解題p594には、「全く地獄だ」「サハリンは奴隷制の植民地だ」という言葉。辺境・境界地帯に征服民族が永住を決意したら、どこもそういう状況に一時的になるのでは。北海道も然り、と思うんだがどうだろう。
20221015
『民家採集 今和次郎集 第3巻』(ドメス出版 1971)。「甲信越」了。1920年代と1960年代の文章が混在。1966「足和田村の民家」「文化開発と民家」、184p「文化的経済的開発と民家とは、水と油のように反発し合う異質のものだ。」「道路と同じ調子で、習俗の営みも変えられるものだという原則」。同意。