【閲覧録202206-07】(20220616-20220715)
20220616
北海度神宮例祭(151回) 神輿渡御(141回) 神輿渡御往路 2022年6月16日09:18~ 北1条通×西20丁目通交差点付近はこちら:Facebook 神輿渡御復路は写真で 15:15 大通西24丁目
20220616
『岩波講座 世界歴史 03 ローマ帝国と西アジア~前三~七世紀』(2021)了。前日の圧倒的に広々としてる『梅棹忠夫著作集 第4巻 中洋の国ぐに』(中央公論社 1990)と比較すると、やはり若干窮屈な感じ。文章にも開放系と閉鎖系、二種類あるんじゃないか。当然、自分の書くものは前者を目指したい。
大谷哲「内なる他者としてのキリスト教」が面白かった。p261「またスタークは、初期教会組織内における(周辺社会と比較した上での)女性の地位の高さ、またギリシャ・ローマの女児間引き慣習をキリスト教徒たちが忌避したことが、キリスト教の興隆に貢献したと論じている。」間引きがあったのね。
米国の保守派の人達の妊娠中絶禁止の動きとも符牒が合う、ということだったりするのだろうか。井上文則「三世紀の危機とシルクロード交易の盛衰」興味深かった。p275「三世紀以後、中国では、ローマと軌を同じくする現象が見られた」「三世紀にはローマと中国では、気候変動が起こっていた」、ふむ。
20220617
『鶴見俊輔集 4 転向研究』(筑摩書房 1991)。鶴見の柳田国男理解の一端、p60「柳田の民俗学は、日本の民衆を観念化して「ナロード」とか呼んでとらえた新人会の方法とは正反対であり、日本全国の骨董趣味的な旧人たちをあつめながら、研究の手続きは徹頭徹尾、即物的、実証的であった。この学風は保守的な関心に制約されながらも、超国家主義にたいしてつねにこれを抑制する役割をになってきた。」なんかさりげなくすごいことが書かれてないか。「後期新人会員」は、p75「模範生意識と指導者意識に故に、かれらの転向もきたのである。」困った優等生さん達だった、という理解でいいのだろうか。
20220618
『網野善彦著作集 第二巻 中世東寺と東寺領荘園』(岩波書店 2007)。咆哮、p394「こうした形で貫かれた抵抗、恐らくは諸民族の「自由民」のそれと同じ本質をもつこの抵抗のあったことを見落とすことがあったとすれば、それは民族の歴史に対する甚しい軽侮といわなくてはならぬ。」軽い重罪、だよね。
20220619
高松宮宣仁親王『高松宮日記 第三巻』(中央公論社 1995)。昭和15・16年分、35から36歳、軍人として海軍勤務。p184‐5、1941年1月16日、長兄天皇の三男坊軍人の立場上の難しさを吐露される宮。繊細で気配りもできる優しいご性格なのでは。「いや或は却つてノンビリしてゐたかも知らぬと反省される」。
20220620
『開高健全集 第5巻』(新潮社 1992)始。毎号の月報も読み応えあり。5巻は小松左京・山崎正和両人が担当。小松「同時代大阪人の、年齢とともに変化しつつのびていく作品と、その輝きに匹敵する本人のキャラクターと、同時に接する事のできた、「青年の如き壮年」の幸福な年は、もうもどってこない。」
20220621
橋本治『革命的半ズボン主義宣言』(河出文庫 1991、原版 冬樹社 1984)始。この本は、本体内容より、「ちゃんとした解題というのをやってみようと思う。」で始まる「文庫版あとがき」の方が重要なのかも。自己言及的であるとはどういうことかが、橋本の生涯の大きなテーマだったかと思ったりもする。
20220622
『村上春樹全作品 1990~2000 6 アンダーグラウンド』(講談社、2003 原版:1997)了。四半世紀ぶりの再読。読み手である自分も、インタビュアーもインタビュイーも、皆25歳年を取ったという現実。その間、特にインタビュイーの人達の生活はどんなものであったのだろう。何年か後、また読み返したい。
20220624-26
松山・周防大島行:宮本常一の最初で最後の利尻島訪問(1964年8月初旬)時に宮本自身が撮影した利尻島の写真を、宮本の生れ故郷である周防大島で見るため、写真を保有している宮本常一記念館を訪ねる旅。中継地点として、空港と港のある、愛媛県松山市を選択。結果、それが大正解でした。→
20220624:松山空港に降り立ちその足で松山市内にある伊丹十三記念館へ。建物は中村好文の設計で有名。同時入館の男子(愛媛大学3回生・伊丹に関する予備知識ほぼなし)と話しながら観覧して愉快。中庭で写真も撮ってもらい。こちらは、40年来の伊丹本読者なので、感慨深かった。→
→大街道近くのホテルにチェックイン後、松山訪問の三大マストの内、鯛めしと道後温泉を片付けるべく行動。しかし、宇和島鯛めしでなく松山鯛めしを頼んでしまったり(それでも美味かった)、温泉遅くに行き過ぎ本館の男子の部が定員オーバーで入れなかったり(飛鳥乃湯で我慢)、いろいろやらかす。→
→松山・周防大島行20220625:周防大島へ。松山・三津浜港から防予フェリーで大島・伊保田港。タクシーで、宮本常一記念館へ。生憎の雨だったが、午後いっぱい利尻礼文の写真を閲覧・メモ書きできて良かった。夕刻には雨もほぼ上がりちょっとだけ散歩。離島だ。帰りのフェリーでの瀬戸内海の夕焼け!→
→松山・周防大島行20220626:最終日。松山滞在のも一つのマストドゥ、松山城攻め。良い城だった。降参。お薦めをいただき、松山市立子規記念博物館へ。正岡子規を再認識した。ちゃんと読まなきゃ。市電にも結構のった(交通系カードが使えないのはつらい)。松山、いい人いい街でした。無事同日帰札。
20220627
ファインマン, レイトン, サンズ・宮島龍興訳『ファインマン物理学 Ⅲ 電磁気学』(岩波書店 1969)。第16章 誘導電流。p211「現代の電気工学はファラデーの発見ではじまった.役に立たない赤ん坊が怪物に成長し,高慢な親父が思いもしなかった方法で地球の表面を変えた.」ファインマンの科学史観。
20220628
『内村鑑三全集 3 1894‐1896』(岩波書店 1982)始。月報の安岡章太郎「内村とアメリカ」文が面白い。『余は如何にして基督信徒となりし乎』に触れ「日本人が西洋近代という異質の文化にぶち当って如何に悩んだか理解されるでしょう」とする。全集は英語原文を所収。さてどこまで読めるか、おいらは?
20220629
山室信一『思想課題としてのアジア 基軸・連鎖・投企』(岩波書店 2001)。「第2部 アジアにおける思想連鎖」「第6章 知の回廊」。明治期の東アジア諸国からの留学生達には、日本は思考連鎖回路であり知の回廊だったんだろう。令和の日本はどうだろね。自分の周囲にも東アジアの留学生さん多いんだが。
20220630
『漱石全集 第五巻』(岩波書店 1994)始。坑夫・三四郎巻。「坑夫」(1908年初出)了。通読は二回目。これは教養小説だよなあ。「坊ちゃん」が多分にボンボンのまま終わるのに対し、「坑夫」のボン(金カム風に言えば「バルチョーナク」)はちゃんと成長を遂げるわけで。自分には「坑夫」が好ましい。
20220701
番外読書、堀田善衛『広場の孤独』(新潮文庫、1953 初出1951)了。当方の指導教官のゼミに参加する現代文化論研究系の中国人女子留学生の発表テーマが堀田の作品と聞いて。面白かった。村上春樹より30歳ほど年長の作家が、村上より40年ほど前に、コミットメントについて書いてたんだね。再読を誓う。
20220701
『柳田國男全集 第三巻』(筑摩書房 1997)。「神を助けた話」1910、再版1950。「均しく伝説と云ふ中にも、曾て文芸の世界を経て来たのと、神社などに従属する真面目な語部の口から出たものとの差別があり、而も此二種の言伝は、近世何度と無く互に相影響したと云ふことだけは、認めてもらひたいと思ふばかりである。」。p94「少なくとも問題の未だ解決せられないものを、この世に遺したといふことを以て一応私は満足する。人生は判り切つたことばかりで無いといふことを、諸君に認めさせるだけでも一つの事業である。」。「著述を一種の引継ぎだといふことを、考へてくれ」ということだそうだ。
20220702
残雪/バオ・ニン『暗夜/戦争の悲しみ 池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅰ-06』(河出書房新社 2008)了。井川一久訳「戦争の悲しみ」。一気読み。戦争文学であると同時に恋愛小説でもあり、エピソードが乱雑に置かれているだけのように見えて同時に極めて技巧的。読むしか、読んでもらうしかない。
20220703
『寺田寅彦全集 第五巻 科学1』(岩波書店 1997)了。「科学と文学」1933より、寅彦の歴史(叙述)観がうかがえる一文。p306「史実というものは文学を離れては存在することが困難なように思われる。単なる年代表のようなものはとにかく、いわゆる史実が歴史家の手によって一応合理的な連鎖として記録される場合は結局その歴史家の「創作」と見る外はない。「日本歴史」というものはどこにも存在しなくて、何某の「日本歴史」というものだけが存在するのである。」。それな。「歴史は繰返す。方則は不変である。それ故に過去の記録はまた将来の予言となる。」文学の価値は「記録の再現性」にあると。
20220704
番外読書、堀田善衛『時間』(岩波現代文庫 2015 初出1955)了。ゼミの自主課題図書。吃驚。堀田善衛も全集で読まなきゃ。バオ・ニン「戦争の悲しみ」のと同様な読後感を持った。寅彦風に言えば、戦争の「記録の再現性」が高いんだろう。p108「うしろ向きの予言者」批判は痛いところを突かれた感じが。
20220704
永井荷風『荷風全集 第四巻 あめりか物語 西遊日誌抄』(岩波書店 1992)了。原史料的な「西遊日誌抄」の方が、今の自分には面白く感じられた。荷風が日露講和会議時、ワシントンの日本公使館詰だったとは。p328「欧洲各国の音楽を聴き比ぶるには紐育ほど便利な処恐らく他には非ざるべし」多分東京も。
20220705
山崎広明他『もういちど読む山川政治経済 新版』(山川出版社 2018)。第1部現代の政治 第4章現代日本の政治・第5章現代の国際社会。「選挙」の箇所、心して読む。排他的経済水域EEZについても理解できた。海岸線の基線から200海哩以内で領海の外側。1海哩=1,852m。実は日本は広いな大きいななのね。
20220706
『志賀直哉全集 第十四巻 日記(四)』(岩波書店 2000)了。昭和10(1935)ー昭和12(1937)年、志賀52歳ー54歳。せっかく作家として日本の戦前期を生きているのに、日記に身辺雑記だけを書き連ねる、空気を読まない男、志賀。その分、稀に現れる特記部分が光ること光ること。天才としか言えない。
1935年8月16日「小林多キ二の全集来る、手紙を少し見る、」。注によれば、「小林三吾編『小林多喜二書簡集』(昭和十年八月、ナウカ社刊)を指す。「志賀直哉への手紙」を収録。」。1936年2月26日「朝隣の中村来て東京に騒動ある由知らせる、株屋の早耳なり」二・二六事件。同29日「此日漸く東京の騒ぎ鎮定する 岡田首相生きてゐると号外あり、<MEMO 東京の騒ぎ実に不愉快なり>」。1937年3月1日「「暗夜行路」五十三枚程とうとう書上げた、」。日記によれば、麻雀漬け、時に理不尽な癇癪爺化、反省の日々のはずが、同時に不朽の名作を執筆していたわけ。日記にはその事を書かないまま。天才。
20220707
『谷崎潤一郎全集 第6巻』(中央公論新社 2015)。「呪われた戯曲」「富美子の足」「西湖の月」「ウヰンダミーヤ夫人の扇[翻訳]」、すべて1919(大正8)年の出版。明治維新から半世紀後には、口語体書き言葉は確実に確立していたんだなあ。文明開化の一種として考えていいのかどうか。どうなんだろな。
20220708
『チェーホフ全集 12 シベリアの旅 サハリン紀行』松下裕訳(ちくま文庫 1994)。南部サハリンを行くチェーホフ。日本人に関する記述も多い。p332「春や夏の終りには、漁労をしに日本人たちが帆船に乗ってやって来た。」どんな船だろう、川崎船はもう普及しているのか?p337「シレンクの人種分布図 アイノまたはアイヌの分布区域は黄いろで示され、この色で日本の松前(マツマイ)島(北海道)、テルペーニエ湾までのサハリン島南部が一面に塗られている。」p339「南部サハリンがロシア人たちに占領されるまでは、アイヌは日本人たちのもとに、ほとんど農奴のような従属状態に置かれていた。」
p340「日本人がいなくなると同時に、もう魚をとる者もいなくなり、収入の道はとざされ、アイヌは飢えに苦しむようになった。ギリヤーク人のように、魚や肉だけで生きて行くことは、もはやできなかった。米がどうしても必要だった。そこで、日本人に反感をいだいてはいたが、背に腹は変えられず、松前(マツマイ)へ移住しはじめたという話だ。」恐るべし米食。p347「最後に、南部サハリンの歴史で重要な役割をはたしている日本人についていささか述べておこう。」以下、章の終わりまでチェーホフの「日本人」記が続く。参考になる。その地がまた日本領になったりもするわけで、ややこしいよね。
20220709
『民家論 今和次郎集 第2巻』(ドメス出版 1971)了。読了の7月10日は和次郎の誕生日(1888年生)。折しも和次郎生誕の地、弘前市百石町で、弘前出身(現北海道在住)の山北ユカコ氏のアイヌ刺繍作品展(田原も手製本制作でお手伝い)が弘前市立百石町展示館で最終日を迎えており、印象深い読書に。
「朝鮮半島の民家調査」1924、p309「すべての国の人々は、同じように自分たちの家について、そんなふうな、ある囲いのなかにでもつながれているかのような考えを持つこととなっているのである。」「東京の人は家の外には下見板を張るものと考えるように習慣づけられている。」「美しき昆虫たちの羽根の装い、目玉の装いと同じように、すべての工芸意識を欠いた人たちは、家も服装も、習慣というものに運命づけられているのが現在のひとつの現象である。」。「雪と家屋」1964、p416には中谷宇吉郎が登場。共に雪害についての研究調査を行ったらしい。p417では弘前の幼少時の雪遊びの思い出が。
「慣習との闘い」についての記述は続く、p423「経済よりも、科学よりも、習慣、特に対社会のなかにおける慣習というものに負けたのだ。けっきょく、どんなに慣習というものは力のあるものかということを実験したような結果になったことは、残念なことであったが、しかし」。異形のオートマティスム?
20220710
『柳宗悦全集 第七巻 木喰五行上人』(筑摩書房 1981)。「木喰五行上人の研究」「第五篇 越後に於ける晩年の遺業」「第六篇 上人の和歌」。p120、後世の善意による改作(改悪)について書かれていて、色々考えさせられる。括弧つきの「「美しくせられた」」の語に、柳のものの考え方が現われている。
20220711
加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫 2016 初出2009)了。面白かったし、勉強になった。キラーセンテンス引用→「5章 太平洋戦争」p432「現在の貨幣価値に換算するには、八〇〇倍すればよいといわれています」、ホンマか?出典は? p468「歴史の必然に対して、個人の資質がいかに大きな影響を持つかということ」、渦中のテロ事件などそのいい例かと思う。 「文庫版あとがき」p484「過去を正確に描くことでより良き未来の創造に加担するという、歴史家の本分」、歴史(家)とは何か、だね。そもそも文庫版解説が橋本治でなければ読まなかった。その解説文から、ちょっと長い引用、p494‐495「一九四五年の終戦に至るまでのプロセスをたどって、「なぜ日本人は戦争を選択したか?」の答を探って行くことは、膨大なディテールを語ることです。「膨大なディテールを語る」というのは、やってやれないことはありません。でも、それをやってむずかしいのは、そのディテール一つの結論にまとめ上げることです。まとめて行くプロセスの中で、膨大なディテールはいくつも落っこちて行きます。そもそも「膨大なディテール」というものは「一人でまとめ上げる」という能力を超えたところにあるものだからです。/ 現在の評論の困難はここにあります。論者が、自分の語ったとをまとめきれないのです。それを無理にでもやろうとすれば、結論がかなり偏ったものになる可能性があります。膨大なディテールを語る人間は、平気でそれを語りますが、受け手はそれを消化しきれません。だからうっかりすると、語り手は自分の語った膨大なディテールを、自分の都合のいい結論を出すための傍証にしてしまう――そうなりかねない危険があるのです。/ 加藤陽子さんのこの本は、その困難を最も誠実な形で乗り切った本だと思います。」。改めて、「膨大なディテール」を「一つの結論にまとめ上げる」トレーニングに、大学院生として励んでいるわけか、と気付きました(遅くね?)。
20220712
『突っかけ侍 下 子母澤寛全集 三』(講談社 1973)。リストの中で最もさくさく読み進める作家作品のはずが、結構難渋してる。なぜだ。p84‐85「『牡丹燈籠』」、単なるコメディリリーフと思われた小坊主の碩順、この後もしや三遊亭圓朝に化けたりする?ちょっと年代・年齢的には合わないようですが。
20220713
『中谷宇吉郎集 第六巻 アメリカ通信』(岩波書店 2001)始。巻頭写真が「北大にて,志賀直哉氏と(1951年6月)」というもの。二者に交流があったことも知らなかったので、びっくり。『志賀直哉全集 第十五巻』所収の「大洞台日誌」に「北海道旅行」編があるのを確認。近々読む。志賀は面白いなあ。
「ケリイさんのこと」1954、p99「日本は、現実問題として、世界の歴史に残るような完全敗北を喫したのである。そういう敗戦国で、敗戦後八年目には、もう世界の理論物理学会の大会が開かれたのである。しかも東洋というハンディキャップを入れての話であるから、こういうことは、世界的にいって、ちょっと類例がないであろう。これにはもちろん、湯川さんや朝永さんを初めとする日本の理論物理学者たちの力が大いに働いているが、その外に、日本の科学界が蘇生したという点も、一つの有力な背景をなしている。そしてその蔭には、ケリイさんの隠れた功績が、少なくとも一つの礎石として、立派に存在しているように思われる。」「とにかくまだひどい時代であった。北大の各研究室の様子を見にきたわけであるが、当時の北大は、石炭不足のために煖房が止っていた。札幌の冬を煖房なしには過せない。従って講義は冬季の四か月間休講、病院も半分閉鎖、手術もたしか一週一回という状態であった。」
20220714
『旧約聖書 Ⅳ ヨシュア記 士師記』鈴木佳秀訳(岩波書店 1998)始。全15冊のこの旧約聖書シリーズ、だいぶん慣れてきた。まずは巻末の「ヨシュア記 解説」を読む。自分には知らないことばかりだが、世界的には常識・常備の一冊なんだろう。なんとか岩波委員会訳聖書の新約シリーズまで読み切りたい。
20220715
『高倉新一郎著作集 第2巻 北海道史[二]』解説田端宏(北海道出版企画センター 1995)。「堀田仁助の蝦夷地海路測定事蹟 新資料「蝦夷地開発記」に就て」、99pに尚古堂。札幌の古書店の始祖ともいうべき店。最近、リニューアルなった札幌古書籍商組合ホームページをご覧あれ。
組合の沿革 – 札幌の古本屋│札幌古書籍商組合ホームページ (sapporo-kosho.net)