船は揺蕩う
好きなカフェがある。もうこれだけで人生かなり素晴らしい。
置かれた古道具たちの醸す雰囲気、店主のモノをみる視点や含蓄のある問いかけ、手の届く範囲でこだわりと好きの純度が高められた空間。
「いろんな人が来るよ。いろんな国から。看板も出してないし、ネットやSNSに情報もないのにね」
coffeeとだけ書かれた看板が港町にぽつんと佇む。店主は言う。
「でもだからこそ面白い。偶然通りかかって、店に入ってくれた人たちの話を聞かせてもらってさ」
この店、Google mapで名前を検索しても出てこない。そんなお店あるんだ、と最初は思った。Instaglamのアカウントは営業時間をお知らせするためだけに存在し、写真撮影は自由だがそれをオンライン上には流さないでくれとお客にお願いしている。
切り取られ、フィルターをかけられ、タグ付けされた店のイメージが独り歩きすることを嫌うが故のことだそうだ。実際に来て見て話して感じたことが全てだから、ということらしい。どこに行っても人がつけた☆の数が付きまとう現代では、純粋な自分だけの感想を持つことができる場所は意外と少ない。ここは自分の心の中で秘密基地だと思って通っている。
来るたびに客は自分だけだが経営は大丈夫なのか?と薄っぺらい心配をしているが、詳しいことは知らない。店主の話から、父親業・夫業もこなしながら、ご家族で幸せそうに暮らしている様子はうかがえる。それならいいかと思っている。人となりそのものや彼の歴史に興味はあるが、私に見せない表情の彼については知る必要がない。
「もっちゃん、この20代の展望はある?」
「衣食住で、どれが一番好き?」
「誰にもしたことない話とかないのかい」
「一番ぶっ飛んでる同級生ってどんな人がいる?」
「恋愛において、何を相手に求める?」
この人はいろいろと聞いてくる。私は基本ぼぅっとして両掌の中のコーヒーを見つめているか、窓の外の暗い海を見つめているかのどちらかだ。私が一人で居ることが好きなことも知っている。分かったうえでおもしろがられていて、いろいろと聞いてくる。私も微妙な距離の他人にしか披露できないネタを持参していたりするので、一夜限りのスペシャル話(?)を披露するととても喜ばれる。
「いやぁ、若い人の感性で、こうやって話をしてもらうのはおもしろい。おじさんこれで生きてるからね。今夜の酒はうまいわ」
お互いの感性と語彙を使って、自分でない人の経験を語ることができる。私はそんな空間を探していたし、あの人はそういう相手を常に探しているんだろう。
そんなわけでこの店が好きだ。詩人と絵描きは値引きされる。店の場所の説明は「○○バス停から徒歩20歩、または60歩」。移ろい変わりゆくものを愛し、定点観測するために開かれた場所。そこで各々が観測するのは自分か、他者か、それとも。
大事なことを書き忘れていた。ここの店主が淹れるネルドリップのコーヒーと、コロンビアの焙煎具合が大好きなのだ。それだけで有り余る幸福が得られる。
どうしても知りたい人は場所を教えてあげなくもない。でも私の身内の皆さんが行くときは一緒に行きたいかな。あの人とあなたを交えて話がしてみたいから。