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音楽遍歴を振り返る【前編】

音楽好きを自称しているが、あまり好きなものは増えず趣味の範囲は広まらない。少なくとも自分ではそう思っている。多感で吸収力の強い10代のころを受動的かつ消極的な姿勢で過ごしたためではないかと思っている。20歳を超えてからの数年、いまのところは真新しいものにはあまり食指が動かず、新たな出会いが少ない。それまでの経験や記憶の貯金で今も食い繋いでいるような気分だ。SNSにいる同年代の人々が能動的に古今東西の音楽と出会おうとしていたり、音楽フェスなどの体験を心から楽しんでいる様子を見ると心底羨ましくなる。これ以上書くと嫌味になりそうなので黙る。

大衆音楽に触れるようになったのは両親の影響によるものである。曲にまつわる記憶を思い出すときに浮かぶ情景の多くは車の中だ。とはいえ幼い時の記憶はかなり薄れ始めており、年次も時期もエピソードも記憶があやふやなため、今のうちに覚えている限りのことを書き起こしてみようと思う。
3人家族のため、追憶の登場人物に出てくるのはほとんどが父さんと母さん。音楽の好みをはじめ、いろんなエピソードを今から書き起こし披露することになる。すいません。まあほとんどだれも読まない、自分の記録用なので許してください。



3歳過ぎ、好きな曲ができる

両親が私を託児所に預けて、さいたまスーパーアリーナで開催されたU2のライブに行った。託児所のお姉さんたちと遊ぶのが楽しかった記憶。なぜかU2のライブのために自分は預けられたという詳細な記憶とともにこの光景を覚えている。2006年の秋、一度は延期になったVertigo TOURの再公演。羨ましすぎる。"How to dismental an atomic bomb"のリリースが2005年。リピートでこのアルバムが車内でかかっていた。英語より先にスペイン語で1, 2, 3, 14の音を覚えたりしていたらおもしろい。ちなみにこの知識は大学1年の教養スペイン語の授業でも役立った。
一番最初の、「好きなアルバム」である。

ウノ!どす!トレセ!かっとーせ!
U2 - Vertigo (Official Music Video)


U2のvertigo TOURのライブDVDは今もお気に入りだ。40歳くらいの良い感じに脂ののったボノが、丸型のステージをぐるぐる走り回る。そして繰り出される名曲たち。
2002年のスーパーボウルのハーフタイムショーでのパフォーマンスも大好き。出演予定だったジャネット・ジャクソンが9・11テロの混乱をうけて出演辞退をしたあと白羽の矢が立ったのが、当時アメリカツアー中だったU2だった。オファーを受けたU2は出演を快諾、10分強しかない出番で2曲をしっかりと魅せて、祈りでスタジアムを、アメリカを、世界を満たした。まるで宗教みたいなバンドだ。パフォーマンスを浴びるだけで、自分が強いメッセージを己の内側から発したように錯覚する。そんな感覚に陥るほどU2のアクトはパワフルだ。
今のU2が世に出す音楽もアンプラグドのものがあったりして好きだけど、もうボノは全盛期の歌声は出せないのだろう。それでもSING 2 に出てくれて、同年代の人にもU2の話がしやすくなったのは嬉しいことだった。私の葬式では出棺の時に「Where the streets have no name」を流してほしい。

U2 At XXXVI Superbowl 2002 Full Halftime Show



そこそこの精度で歌ったり言語を操ったりできるようになるのはこの頃だったのだろうか。音楽にまつわる一番古い記憶はこの頃。当時、父か母のケータイのおさがり?をおもちゃのように触っていたような気がするが、その中の録音データに、

父「さいしょっから歌ってごらん」
私「てんてれれってっ てれれれ」

と、いきなり歌詞の無い歌を口ずさみ始めるというものがあった。これは家にあった電子ピアノのデモ音源の一曲目で、有名なピアノ曲?クラシック?なのだと思うのだけど、未だに曲の名前が思い出せない。今年の冬に見に行った、角野隼人のコンサートでちらと弾いていた気がする…でもセトリが見つからないのでやはり判明しない。ピアノの音の心地よさに耐えられずに、居眠りかました自分が悪い。クラシックはまだ私には早かったみたいです。
まだ幼稚園に行っていなかった頃だろうか、もののけ姫を繰り返し見ていた。そういう意味では米良義一氏の歌声も相当数聞いているはずである。あの主題歌が好きかと言われると、特別そういうわけでもない。ちなみにこの頃はままごとセットの木の包丁がお気に入りで、おでかけのときも帯刀していたらしい。



幼稚園児、くるりと出会う

いつの記憶か分からない、深夜の高速道路の車窓。何度もあったような気もするし、もしかしたら捏造したかもしれないような、蜃気楼みたいな記憶。レイハラカミ、フィッシュマンズ、SUPER BUTTER DOGかハナレグミあたりの曲のイメージがある。暗闇に流れていくオレンジ色のトンネルの灯り、たばこのにおい、きっと8時間かけて高速道路を南下している道中。母さんは寝ている。父さんが好きな曲を他人に遠慮せず聴ける時間帯だったのかもしれない。無言の空間に小さな音、でも確かに刷り込まれているあの感覚。
SUPER BUTTER DOGについてはハナレグミといまだに混同している。音タイムは大好きなアルバムの一つ。高校時代に一度だけ「バタ犬」という名前が通じたことがある。あの時の衝撃は忘れられない。

joy


ハナレグミ「音タイム」



ベストオブくるりのリリースが2006年。ワルツを踊れが2007年。きっとくるりを認識したのがこの頃で、曲と「作った人」を結びつけて理解できるようになった。違う曲も同じ人がつくったのだ、同じ人が歌っているのだ、と分かるようになったのである。
「ハム食べたい」という曲の歌詞の意味が分からなくて、ハムってあのハム?朝ごはんに出てくるあの?と父さんに聞いたことがある。曲に「きもち」を乗せることは理解していたけど、「ハムを食べたい」というきもちも曲にしていいのか、と少し衝撃だった。ちなみに今なら、ただハム食べたいって気持ちを気怠げに歌っているだけではない、ということくらいは分かる。

ハム食べたい  SCHINKEN



「さいとうくん」も覚えた。黒盤、白盤、紅盤。どれがいい?と選ばせてもらった?ような記憶がある。なぜせっちゃんというあだ名なのか、今もあまり納得いっていない。並行して奥田民生も認識し始めた。この頃はソロ活動をしている時期だ。

斉藤和義 - 歌うたいのバラッド / THE FIRST TAKE


イナビカリ_2018.10.13@NIPPON BUDOKA


YUKIちゃんのFive star とCharaちゃんのhoney。どちらも名盤である。声の個性も、彼女たちの魂の色がにじみ出たような詞の数々も、いまだに聴き返しては新たな感想や気づきがでてくる。引っ越しをし、小学生になってからは、寝る前にFive starのアルバムCDをステレオで再生していた。
思えば、蔦谷好位置の楽曲との出会いはここだった。superfly、髭男、back number、米津玄師などのアルバムの歌詞カードを見ては「ここにも」「ああああ、ここにも」と彼の名前があることにびっくり。売れっ子プロデューサーなんだからそりゃそうです。プロデューサーや編曲者がアーティストの曲に及ぼす影響、どこまでが誰のエッセンスなんだろう?と想像しながら音楽を聴くのが楽しくなった。

YUKI 『JOY』



はじめてカラオケに行ったのが幼稚園から小学校くらいの頃で、母さんが歌う曲たちをふと思い出すことがある。異邦人の歌いやすさはこれ以上ないと思うほどである。あと、機種変更した母さんの携帯にauの音楽サービスの機能があって、それに入っていたYUIの「CHE.R.RY」は何度も繰り返し聞いた。早口なのが難しかった。動物がたくさん出てくるMVが可愛くて好きだった。
この頃は歌の歌い方が分からず、しばらく「カラオケは音を正しく当てるもの、点数が高いほうがうまい」と思っていた。お腹から声を出した方が楽しく歌える、と母さんに言われてから、歌手の歌い方をまねてみたり、好きな時にライブみたいに叫んだり、人の曲に合いの手を入れて邪魔したりする楽しみ方も覚えた。

久保田早紀「異邦人」アニメーション・ミュージックビデオ


My Little Lover「Hello, Again 〜昔からある場所〜」




~番外編 じいじの膝の上の記憶~

驚いたことに、もう一つ幼稚園時代の記憶があった。祖父宅に遊びに行って預けられていたときだろうか、私はパソコンの虫だった祖父からYoutubeの使い方を教わった。
おそらく5~6歳くらいだろうか。ポケモンが好きだった私はきっと「ぽちぇもんの動画が見たい」と言ったのだろう。自宅ではキッズステーションでポケモンのアニメを見ていたから、それを見たいと伝えたのだと思う。
祖父が検索で探し出してくれたのはニコニコ動画に投稿されていた「歌ってみた ポケモンver.」みたいな動画たちだった。

ポケモンでコンビニ


元動画は見つからないが、もはやそんなことは問題ではない。

歌詞の意味も分からぬまま、漢字も読めず、ポケモンの絵が高速で流れるのをただただ眺めている幼稚園児の私。
意味がどこまで分かっているのか、俗っぽい内容の動画だが「孫が好きならば」と繰り返し耐えながら見る祖父。

今は亡き祖父との、大事な思い出の一つとなっている。
ことにする。そうでもせんと、笑いと羞恥心のようなものでどうにかなりそうで耐えられん。


小学校低学年、はじめてライブに行く

父さんが同じアルバムや曲を何度も繰り返し聞いていることに気が付く。a-haの寝る前「Take on me」タイムなど。ジャック・ジョンソンのこのアルバム、夏にいつも聴いてない?とか。季節やシチュエーションに応じて聞きたい曲が出来てくるという感覚を得た、きっかけのような瞬間である。

a-ha - Take On Me (Official Video) [Remastered in 4K]


父さん曰く、MVというものを取り入れた、音楽の歴史でもかなり最初のほうにあたる楽曲だという。一番初めの曲だ、と断言していた気もする。アンプラグドのライブバージョンも素敵なのでぜひ。

ジャミロクワイの「Virtual Insanity」に出会ったのも小学校低学年のころ。「すごく耳に残る曲があって、でも外国語の曲なんだけど、あれなに…」と母さんに聞いた覚えがある。「アルバムジャケットで、外国人のシルクハットの男の人が手を広げてて、緑っぽい写真で…」と言える限りのイメージを伝えたが、該当するアルバムを母さんが見つけてくれることはついぞなかった。半ばあきらめていたところ、新幹線の中で母さんのiPodからその曲が流れてきて、やっと再会できた!と嬉しく思ったのを覚えている。
ちなみに外国人の男の人が手を広げているという写真のアルバムは、スティングのBrand new dayというアルバムでした。そりゃ伝わるわけないし、ほんとにジャミロクワイ関係ないし、スティングはシルクハット被ってなかった。母さんすまん。
↓スティングのアルバム。しかも聴いたことありません。すいません。


Jamiroquai - Virtual Insanity (Official Video)



小学1年生のとき、シャンブルズというアルバムを引っ提げてユニコーンが復活。デビュー時からのファンではないので、子供のころのユニコーンのイメージって、(なんかニタニタした顔の)脂ののったおじさんたちがツナギの服を着てるという感じである。シャンブルズは大好き。「HELLO」という曲は今でも寝かせ、聴くことを繰り返している。
それまでのユニコーンを知らなかったけれど、素晴らしい日々という曲はおじさんの彼らにも、なんというか、似合うなと思った。しっくりきた。

これは今年に入って父さんと話したことなのだが、父さんが若いころは、周りの音楽をやっている男子の中ではユニコーンの存在は煙たがられていたらしい。煙たがられていたという表現が正しいのかは分からないが、曰く、やたら女子人気が高いバンドだったがために、男子バンドがコピーバンドをしようものなら「あいつらだめだ、魂売りやがった」と軽く裏切り者扱い?をされる空気感だったという。女子たちがコピーしてても「はいはい、かわいいかわいい」みたいな。

その話を聞いて私は大笑いした。苦笑している父さんの前で。なぜなら母さんは10代のころから、(かなりの?)ユニコーンファンだったからである。
数十年前とはいえ、バンドにはまる若い女の子の熱狂っぷりもなんとなく想像がつくし、ギターやってる男の子がそれを冷めた目で見ている気持ちもなんとなくわかる。
それでいて初対面に近い段階で、男女がこれから相手のことを知りましょう、となったときに「音楽とか聴く?」「どんな曲聴くの?」みたいな会話カードが早い段階で切られるのは想像に難くない。どんな会話があったかは知らないし、知らないままでいいけれど、少なくとも母さんの音楽の好みを聞いた父さんが、(女の子と話を合わせるために)少しでも自分のプライドみたいなものから目を背けた瞬間があったとしたら、超おもしれえなと思ったのである。

ユニコーン 『すばらしい日々』



当時家族ではまったgleeというドラマがある。シーズン6くらいまで出ている人気ドラマで、アメリカの高校の「歌って踊る合唱部、glee」を題材にしている。アメリカドラマではおなじみの、シーズン引き延ばしによるキャラクターの増加、無理のあるキャラ属性の付加は多々ある。でも青春群像劇という話の合間に見ごたえあるミュージックパフォーマンスが織り込まれているので、高校生同士の恋愛事情に興味が無くても十分楽しめる。シーズンごとのCDも出されていて、ドラマバージョンでは1番部分しか使われていなくても、CD音源ではフルバージョンが収録されていたりと、二度楽しむことが出来る。

GLEE - Somebody To Love (Full Performance) (Official Music Video) HD


フィンの歌い出し、一音目から泣ける。


J-POPに触れる機会がぐんと増えたのも小学生入学後。引っ越しで大きくなったテレビでバラエティやドラマに触れるようになったり、学校で年上の友達が出来たのが大きな要因だと思う。
テレビ番組では嵐をひいきしていて、出演ドラマの主題歌を音楽番組で披露しようものなら、録画して何回も繰り返し見たりしていた。今思えば嵐の出演作品にもいろいろな毛色のドラマがあったように思うが、お気に入りは「鍵のかかった部屋」である。大野智の存在感はすごいものがあったけれど、今はどこかの海に出て一人釣りをしていたりするのかな。素性を探ったりしない、釣り人同士の付き合いをのらりくらり楽しんでいたらいいな、と思う。

あと、旧ジャニーズの曲で一番好きなのはTOKIOの「リリック」という曲である。この曲が書けるのだから、長瀬智也は天才だと思う。「泣くなはらちゃん」は良いドラマだった。去年の大学祭でコーヒー屋の営業中、たくさんお客さんを待たせてしまい精神的に余裕がなかったとき、軽音部がこの曲を演奏しているのがふっと聞こえきてメロディの良さに泣きそうになった。泣くなまきちゃん。

泣くな、はらちゃん「OP&ED」 2/2



幼いころから仲が良かった友達一家とでかける車内で、一時期ずっとFUNKY MONKY BABYSが流れていた。初めていったライブは2010年のファンモン倉敷公演のようだ。大きな音にびっくりしつつも、自分が好きな曲をこんなに大勢の人が同時に楽しんでることってあり得るんだ、とライブの楽しさを知ることが出来た。それまでの私にとって、音楽は狭い空間で親しい人と聴くものだった。
この一家も斉藤和義が好きで、車内でよくCDが流れていた。この一家は男男女の三兄弟なのだが、上二人の兄弟の会話が印象に残っている。

兄「弟ちゃん、店で買い物するときはな、税込みって書いてあるほうの値段見るんよ。高いほうの値段が実際に払う値段じゃから。税抜きの数字の方がでっかく書いてあって、やす!って思ってレジに行くと、思ったより高くて残念な思いするからな」

弟の方はふうん、と兄の言葉が響いたのかよく分からない反応を返していた。まだ税込み価格の表示が強調されていないことも多々あった時期だ。弟よりも傍らにいた私の方が「なるほどたしかに」と勝手に納得していた。バイトで手書きのポップを作成するとき、税抜きと税込みの数字を書き込むといつもこの記憶がよみがえる。

アワービート


斉藤和義 - ベリーベリーストロング~アイネクライネ [Music Video Short ver.]



2010年、くるりがまた一年で新しいアルバムを出した。言葉にならない、笑顔を見せてくれよ。「あれ、魔女の宅急便の歌の人がくるりと歌ってる」と気が付く。夏の、汗で服がへばりつくような夜の印象。シャツは洗えばいい。
でもクーラーをつけないでいい夏の夜なんて最近はほとんどない。麦茶飲みながら、夏の夜にシャツの汗を気にする夜なんてもうないのかもしれない。
ヒートテックと花粉期、一瞬の春、梅雨、初夏(豪雨あり)、命の危機を感じる酷暑、地獄(台風あり)、一瞬の秋、冬、豪雪、冬、…みたいな日本の四季。

こちらも同じ年の夏の印象のアルバム、キリンジのBOYANCY。キリンジは好きだし名曲が多いけれど、アルバムを丸々一枚聴いているのはこれだけ。「都市鉱山」という曲の印象がとっても強い。リサイクルって大事だよね、という「ポリリズム」みたいな曲。(違う)
エイリアンズのアルバムジャケットのせいで皮脂テカテカ顔の印象の二人だけど(ごめんなさい)、こんなに夏の明るい日差しの似合う曲も作れるんだ、とびっくり。「スウィートソウル」も爽やかだけど、あれもこれも夜中のイメージがある。私は明るいキリンジも好きだ。

キリンジ 夏の光 MusicVideo



同年リリースのこちらは冬のイメージ、スティングのオーケストラバージョンの曲を集めたアルバム。straight to my heartという曲について、かっこいいよね、これが変拍子なんだよ!とプールの帰りに父さんに熱弁された、変拍子の思い出その①がある。女性のコーラスが凛とした歌声で、たしかにかっこいい。七拍子の感覚を手と太ももを叩きながら実感して、これが変拍子かあと思った記憶がある。

"Straight to My Heart"



たしかあれは小学校3年生くらいの頃、母さんが郵便局にお金を触りに行っている間、車の中で待機していた時。車のステレオに接続されていた母さんのiPod classicが再生したのが、コールドプレイのviva la vitaだった。あまりの衝撃に、はじめて自分の意志で巻き戻して、曲を頭から聴きなおした。郵便局から戻ってきた母さんに「これは誰なんだ」と尋ねて、こーるどぷれいと読むことを知った。バンド活動休止後の復帰作、こんな世界を変えてしまうほどの名曲を引っ提げて凱旋するなんて、あまりにもドラマティック。私の心臓の音が選べるなら、ドラムのウィルが叩いているティンパニみたいな大太鼓の音がいい。エルサレムの鐘の音でもいい。

Coldplay - Viva La Vida (Official Video)


スピッツのおるたながリリースされたのが2012年のこと。のちに判明するが、収録曲の半分は他アーティストのカバーである。当時は全部ひっくるめてスピッツの曲だと思っていたが、名曲のオリジナルに後々であってからスピッツのカバーバージョンの良さに改めて気づくことが出来た。
特にお気に入りはタイム・トラベルだ。作詞は松本隆。蕃紅花色って読めます?無理。松本隆作詞の難読漢字問題の一つ。私はつい最近になってスパイスとしての蕃紅花を認識し、お米と一緒に炊いて「これが蕃紅花色かあ」と実感したのだった。サフランライスは鮮やかな黄色だった。ちなみにサフランはとっっても高い。
この頃から父方の祖父、祖母が連続で大病を患ったりして体調を崩す。もう危ないかもしれない、と病院から伝えられて病院に向かったりした。かなり偏屈というか、好きなものが偏った祖父だったので、小学生になってからは祖父宅へ赴くのにとても気が向かなかった。父さんの機嫌が悪くなるというか、祖父宅の部屋の雰囲気に耐えられなかったのだ。全てをひっくるめて好きだとは言えないが、優しくしてもらった記憶もあって嫌いになれない。迫りくる身近な人の「死」の香りに耐えられなかった。それもあって「さよなら大好きな人」が聴けない(聴きたくない)ように思う。


小学校高学年、iPod nanoを買ってもらう

確か小学5年生くらいの頃に、誕生日かクリスマスくらいのタイミングでiPod nanoを買ってもらった。CDをパソコンに取り込んで、iTunes経由でiPodで音楽を聴くことが出来るというプロセスを覚える。取り込んだCDのアルバムジャケットを反映させたい、という私の希望に、父さんが「まずはAmazonのページを開いて、CDの名前で検索をかけて、右クリックで画像をコピーして…」と教えてくれたことも覚えている。なぜアマゾン?と思ったりもしたけれど、確かにひと手間かけるだけで解像度の低い画像をコピペしてしまうことがなくなったので、そういう事なのかな、と思っている。
それまでの私にとって音楽は誰かと一緒に楽しむものであった。家族と一緒にいる空間で聴くことがほとんどだったのに、iPodを手に入れたことで、自分ひとりの時間に音楽に触れることができるようになったのだ。TSUTAYAに行ってCDを借りるようになってから、知らなかった音楽と出会う新たな機会も得た。


サカナクション - ミュージック(MUSIC VIDEO) -BEST ALBUM「魚図鑑」(3/28release)-


この曲がドラマの主題歌だったのを知っている人はどれくらいいるだろうか。かくいう私も主演が江口洋介、シェフの役をするドラマだったという事しか覚えていない。しかし、エンディングで流れるこの曲の存在感は異様だった。2013年の冬にこの曲に出会ってからというものの、この曲が日常使いのプレイリストから選考漏れしたことは数えるほどだ。


~閑話休題「Xメロ」がある曲っていいよね~

私にとってはこの「ミュージック」が初めての「Xメロ」との出会いだった、と思う。Xメロとは、今年の7/21放送の「カセットテープミュージック」で取り上げられたマキタスポーツ氏発案(?)の言葉で、「曲中一回しか存在しない、めちゃくちゃ盛り上がるメロディ」のことを指す、と説明された。一般的に言う大サビ(Dメロ)のことを指す場合もあるだろうし、米米CLUBの「浪漫飛行」でいうところの『時が流れて 誰もが行き過ぎても~』のような、完全に独立したメロディを指す場合もあると思う。同番組内では「浪漫飛行」のXメロは『忘れないで~』をX1、『時が流れて~』をX2として、Xメロが2パートある曲として本曲を紹介していた。

米米CLUB「浪漫飛行」【SHARISHARISM ACE -THE 8TH OF ACE-】



曲の終盤に位置することが多く、サビのメロディにアレンジが加わったものや、今まで一切出てこなかった名メロディを懐刀のようにバン!と掻き鳴らして、フロアを熱狂の渦に飲み込んだりする。父さんと昼下がりにパスタを食べながらこの番組を見ていたのだが、この言葉の説明をマキタスポーツ氏が述べたのを聞いて「心当たりがありすぎる」「Xメロが名曲を名曲たらしめている可能性がある」と言い合って大笑いしたのだ。

「ミュージック」然り、Vaundyの「不可幸力」然り、「あの部分はサビかどうかは分からないが、みんなあの部分で盛り上がりたくてずっと待ってるよね」とか「あのメロディから入るサビ気持ち良すぎるだろ」とか、共通認識のように思っている部分が少なからずあると思う。私としてはあの部分に名前が付けてもらったことでかなりすっきりした、という話。

Mr.Children「名もなき詩」Mr.Children "HOME" TOUR 2007 ~in the field~


田原俊彦 抱きしめてTONIGHT


Apple Musicで「Xメロ」と検索したら良いプレイリストがヒットしたので、よかったら聞いてみてください。
しかし、ビートルズの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」については…まさかあの部分のことをXメロと言っているのか…?ちょっと怖くて聴きにくく思っている。
https://music.apple.com/jp/playlist/x%E3%83%A1%E3%83%AD/pl.u-oZylMvYs0dGYpG


本題に戻る。iPod nanoを買ってもらった結果、小学生高学年の私は寝る前に一人音楽を聴く時間を手に入れた。ポルノグラフィティの15周年ベストアルバムや、西野カナのピンクと緑のアルバムを永遠に聞いていた。シャッフル再生すると合間に「Viva la vita」と「ミュージック」と「Virtual Insanity」が挟まってきていた。曲数はどんどんと増えていったが、何かにハマるというよりはいろんなアーティストに幅広く手を付けていたと思う。

ひょんなことからRed Hot Chili Peppersの「Around the world」をリピートしている時期があった。母さんの弟にそれを言うと、彼は根っからのグランジ系をはじめとするロックのファンだと判明。そういえば部屋に大量のポスターが貼ってあったが、今思えばあの3人組の写真はニルヴァーナだった。レッチリのアルバム6枚分くらいのデータを入れたUSBをくれて、サブスクで聴けるようになった今でもなんとなくこのUSBを捨てられずにいる。

小学校高学年のこの頃から、習い事のプールにより一層力を入れ始めていた。車で片道30分ほどかかる温水プールまで送り迎えをしてもらっていたため、その道中で聞いた音楽というのは特に印象深く残っている。月末のテストで盛り上がらない気持ちを音楽で鼓舞したり、タイムアタックの前にはピッチの上がりそうな曲を聴いて頭の中を盛り上げようとしたものだ。

震災後にどうやら心の調子を崩したらしい草野マサムネ氏だが、その涙と膿をかき混ぜて「小さな生き物」という名盤を出してくれた。
「野生のポルカ」は泳ぐ前にたくさんお世話になった曲だ。
野生のポルカ   スピッツ




さて、ここまでですでに膨大な文量になってしまったので、一度前編として区切ることにする。思い出の曲たちのプレイリストをあらかじめ作って、それを見ながら文章を書いているので、後編では完成したプレイリストのURLも一緒に載せたいと思っている。読みやすくまとめることではなく、覚えている記憶を網羅的に記載することが目的のnoteなのでご容赦ください。それでは後編に続く。

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