故人を悼む。そして僕らは今日を生きている -スマホで100日連続noteに挑戦day38-
前職で大変お世話になった方が亡くなったと聞きました。知るのが遅くなって亡くなってもう半年経つのだけど、今日知ったので、今日このnoteを書いておきたいと思います。
タイトル画像は、その方が好きだった鹿児島の空。帰路は追悼の旅路となりました。
永遠なるものとは、、、人間の記憶
司馬遼太郎の「草原の記」を話題にしながら、モンゴル帝国の二代目の国王オゴタイの言葉として「財宝が何であろう。金銭が何であるか。この世にあるものはすべて過ぎ行く」と言い、さらに続けて「永遠なるものとは何か。それは人間の記憶である」と述べたという。・・・
これは故人の長年のご友人からの追悼文の一節。ご本人が引用されたものとのこと。
その故人は自分にとって上司であり、さまざまな業務上の困難を共に戦った戦友であり、歴史好きな趣味が合った同好の士でありました。
心から哀悼の意を表します。
お世話になりました。ありがとうございました。当時はいろいろありましたねえ^_^
本当にお疲れ様でした。
一緒に働けたことに、ご縁をいただいたことに感謝しています。
亡くなった方に対して、その方を悼(いた)む行動を取る際に、その方に関する記憶を語り合ったり持ち寄ったりするのは、人間普遍の流儀というか、形なのだろうなあ、と思います。
故人の存在の永遠性のようなものを、その故人を知る人間が、関わりや本人の生前の有り様の記憶を、保つことで、それぞれの記憶の中で引き受ける。そんな営み。
(遠くに見えるは故人も愛した桜島。空港に向かう帰路で)
故人に関する記憶と、それでも自分が生きている不思議
旅路は、なにを見てもなんだか、悼む行為の中にあって、自分なりにその方の記憶に語りかけているような、そんな感覚と共に、いました。
その方はとても偉大な方だったけれども、自分にとっては柔和で、飄々としていて、笑顔のイメージなのでした。
そして職場で問題が起こると、本当に困ったような顔をされるのでした。当時は一緒に途方に暮れたり、一緒に困ったりしましたねえ^_^
好きな歴史について語る時の、子どものような楽しそうなお顔と、情熱の塊のような語り口をありありと思い出します。
先生、僕は、その熱い語り口のおかげで、先生のおかげで、漫画「風雲児たち」を知ったのですよ^_^
そしてハマって、人生観が変わったのですよ^_^
そうそう、本日、たまたま別の病院で働く若い情熱溢れる歴史好きな方に、風雲児たちを、強く、強く、読むように勧めましたよ^_^
同好の士を増やします^_^
(故人について長年のご友人が書かれた追悼文はこちら。4/11-19の投稿。ご興味持っていただいた方に先生の人となりに触れていただける貴重な追悼文かと思いますのでご紹介させていただきます🙇♂️)
(故人の愛した鹿児島の食べ物と。献杯。)
その方と一緒に働いていたのはつい4年ほど前なのに、その方はもう亡くなっていて、それでも自分は生きている不思議。
このnoteを読んでくれているあなたも、僕も生きている。当たり前だけど、死んでしまった人と、生きている人がある、不思議。
東京に帰ってきて、電車には人が溢れ、若い人もそうでない人も、子どもも大人も、きれいでおしゃれな人も、そうでない人も、いっぱい。
そして、全員が、生きている。
不思議。
実家の父と母は彼よりも高齢だが、元気に日々、生きている。
不思議。
故人への感覚。ともにいる記憶と永遠性、自分にできること
亡くなってかなりたつ仙台育ちの祖母が好きだったずんだ餅や、わらび餅や、中華で紹興酒をいただく時は、僕は祖母の代わりに美味しく頂きます。
本当に美味しそうに食べる祖母だったので、その美味しそうに食べる祖母の表情を思い出しながら頂きます。
そんなふうに、歴史の名所旧跡巡りと研究をきっとあちら側でも続けておられる先生に習って、勝手に僕も歴史のことを学んだり名所旧跡巡りをするときに、先生を思い出すでしょう^_^
それは多分、自分なりの、先生の記憶への永遠性の担保というか、悼む行為なんだろうな、と思います。
そして先生の教えをうけた若い先生方や、もと同僚たちと、先生のことを思い出しながら、語る日を楽しみにしています。
年齢的に、増えこそすれ減らない訃報や故人となる友人知人家族の存在と、生きている限り向き合っていくのだろうし、悼む行為は増え続けるのでしょう。
そしていつか、自分も故人になる。
どうせ悼むなら、本人が喜ぶような、popな悼みかた、追求したいですね^_^
故人への敬意、その連なりが作る、歴史への敬意をもって。
あなたはどんな「故人を悼む」プロセスをお持ちですか?
そして探求はつづく。
(空港から遠くに霞む霧島連山。人は去るけど、山はそこに。)