前へ向かって踏み出すための力 〜ドラマ『むこう岸』〜
「楽しくなる」「ウキウキする」「ハラハラする」
ドラマや映画を観ていると、そんな気持ちになります。
でも時に、ドーンと胸を突かれ、グッと胸を掴まれるドラマとも出会います。
今回、自動録画されていたこのドラマもまさにそんなドラマ。
NHK「むこう岸 もと優等生ボーイ・ミーツ・生活保護ガール」
別の説明文ではこうあります。
違いがわかるでしょうか。
前者は「少女」が、後者は「少年」が、になってます。
全体的に少年・和真側からの視点ですが、これは2人の出会いから生まれた化学反応のドラマだと思います。
そして、まだ子どもである彼らを苦しめる背景にどれだけの大人たちがいるのか、ということ。
その大人たちの関わりによって、その化学反応が良い結果にもつながるし、破滅的な爆破にもつながるということを感じました。
ヤングケアラーの問題を描いた作品ですが、同時に「生活保護」の問題も描いてます。
生活保護受給者への偏見
「努力が足りない」
「ずるい」「甘えてる」
そんなことを子供達までが口にし、からかい、揶揄する。
実際、ごく一部で起きている不正受給などの報道によるところが大きいのでしょうが、こういう非難って障害者への非難とも相通じるところがあると思います。
「障害者は優遇されてる」
「障害者何様?」
というように。
でも生活保護も障害者対策も、そもそも人として「生きる」ことのスタート地点に立つための施策だと思うのです。
障害やなんらかの理由で、スタート地点よりずっと後ろの位置に立たざるを得ない人たちが、少しでも前に進むための施策。
でも、なんの助けもなくともそのスタート地点に立てている人たちは、社会がそういうマジョリティである自分たち用に創られているという優遇措置をすでに受けているのに、そう気づかないから、他者がそのスタート地点に並ぶために受ける支援を「ずるい」と思っちゃうのですよね。
印象的だったのは、和真の塾の先生であり元ケースワーカー・湯川先生の言葉
「情けなかろうがなんだろうが、助けが必要な時は必要なの」
「あなたは施しを受けてるわけじゃない。社会から投資されているんだよ」
湯川先生を演じる山下リオさんの優しくて温かい言葉の掛け方に感動しちゃいました。
これって、障害者も同じ。
必要な支援やサポートがあれば、納税者にもなれるし、消費者として経済を回すことにも寄与できる。
だから支援やサポートも「投資」なのではないかしら?
障害者を「役に立たない」と決めつけ、「サポートは無駄」としちゃうことを、「もったいない」と思ってもらえるといいなといつも思ってるので、ここでも大きく頷いてしまった私です。
私にとってこのドラマは今流行りの?ヤングケアラーの問題を描いている、という以上に「生活保護受給への偏見」を描いていると思いました。
生活保護受給者へ向けた社会の偏見
生活保護受給者自身の偏見
短い期間だったとはいえ、生活保護行政の端っこを担った経験も理由の一つかもしれません。
また、いちおう社会福祉士の資格を持つ身としては、森永悠希くん(映画「ちはやふる」の机くん)演じるケースワーカー・宇佐美さんの姿にも希望が!
こういうドラマとかドキュメンタリーでは、保護費削減のことばかり頭にある冷たいワーカー像みたいなのが描かれることが多いけれど、実際はちゃんと対象者に寄り添おうとするSWの方が多いはずなので。
困った時に相談に行こう、と思える相手、場所があるって、大事なことだと思います。
ともあれ、学生時代、そしてあの都庁勤務の頃、嫌というほど目にした文言をこのドラマであらためて目にし、その意味をあらためて考えさせられました。
生活保護法第一章第二条
「すべて国民はこの法律の定める要件を満たす限り、この法律による保護を無差別平等に受けることができる」
一部の心無い不正受給者の問題と、それを大袈裟に取り上げる偏った報道のせいで、社会の偏見が生じ、そのせいで、今この時も、今日も明日も見えずに苦しみつつも最後に頼れる縁(よすが)や制度に手を伸ばすこともなく苦しみ続けている人がいる、ということを忘れてはいけない、そんなことをこの1時間余りのドラマにあらためて感じさせられました。
最後まで読んでいただきありがとうございました!