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揺れた日常、支え合った時間――能登半島地震・2024年1月の記憶

2024年1月1日。新年の始まりに、生活は大きく揺れた。地鳴り、家の揺れ、止まった水道。その瞬間から「日常」は姿を消し、代わりに「非常時」が訪れた。

避難所での3日間――タイヤのパンクと寒い夜

住まいも実家も水が出なくなり、避難所へ向かうことになった。途中で車のタイヤがパンクし、荷物を背負い、黙々と歩き続けた。寒さと不安を感じながら、ようやく家族と合流し、避難所での3日間が始まった。

体育館の固い床、薄暗い明かり、周囲の寝息などが全て非日常的で、時間の感覚が曖昧になっていった。

親戚宅での日々――支援物資と往復の毎日

その後、親戚の家にお世話になることになった。温かく迎え入れてくれたことに感謝しつつも、大人たちが肩を寄せ合う生活は、次第に小さなストレスを生んでいった。

日中は支援物資をもらうために列に並び、その合間に自宅と実家を何度も往復する日々。行列の長さ、支援物資を受け取った時の安堵感、それを抱えて帰る道すがらの重さ。どれも記憶に焼き付いている。

他県からの連絡――嬉しさと繰り返される説明

他県の友人や知人からの連絡は、最初は本当に嬉しかった。
「大丈夫?」
「何かできることは?」
その言葉に救われた。

しかし、何度も同じ説明を繰り返すうちに、少しずつ疲れが溜まっていった。

「水が出なくて…」
「避難所で…」
同じフレーズを繰り返すたび、どこか無力感のようなものが心に広がった。

家族の摩擦――疲れが生んだ小さなすれ違い

家族や親戚との関係性も、時間が経つにつれて変化していった。最初はお互いに気遣っていたが、やがて小さな言い合いや冷たい言葉が増えた。

みんなが疲れていて、それが態度や言葉に滲み出てしまう。でも、それは誰かが悪いわけではなく、ただ、みんなが限界を迎えていただけなのだと思う。

妹夫婦からの支援――届いた温かさ

そんな中、他県に嫁いだ妹と義弟から届いた支援物資とお金は、心の底からありがたかった。

箱を開けた時の安心感、手紙に添えられた一言ひとこと

温かさが胸に染みた。

「何か必要なものはない?」と言われても、自分からはなかなか言い出せない。だけど、その気遣いと支援は、確かに私や家族を支えてくれた。

忘れられない1月――寒さ、不安、そして支え

あの1月は、寒さと不安、感謝と葛藤が入り混じった時間だった。避難所の寒さ、支援物資の重さ、連絡をくれた人たちの優しさ、家族間の小さな摩擦

時間が経った今でも、あの時の感覚はふとした瞬間に蘇る。そして、その経験が今の私を支えていることは間違いない。


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