本の街 神保町「Jam 神田村物語」
斐太安男
はじめに
東京のど真ん中、千代田区神田周辺は名づけて「本の街」。その中心は古本屋が軒を並ぺる神保町の古書店街だが、それだけではない。普通の本を売る大小の書店もあり、その本を創る出版社も大小数多くあることからそう呼ばれるようになった。小型ながら月刊誌『本の街』も発行されている。
この本の街の中に”東京のど真ん中”をさらに強調したい小さな村がある。
その名は「神田村」。といっても、行政区画の村ではない。
出版される本の大部分は、普通商品でいえば問屋に当たる取次ぎが流通機能を果たし、全国の書店に配られ(配本)、その店頭から読者の手にわたるが、神田村とは、神保町周辺の小規模な取次ぎの店が散在する地域を指し、出版業界の限られた人たちだけに使われる名称である。
この村を知ったのは、同じ神保町の二丁目北側にあった理工系専門の小さな出版社に初めて就職したときのこと。編集志望で入ったのに、主業務が返本再生と出荷伝票書きの営業(?)部署に配属され、書名誤記や定価間違いを指摘するお局様の甲高い声に萎縮する日々だった。さらに対人恐怖症の心に重荷になっていたのは新刊の見本本を持っての取次ぎ回りという本来の営業活動。しかし、やってみなければわからない、これが息苦しい社内から解放される思いがけない救いになり、後年、第二のふるさとと思い込むまでになる神田村を知るきっかけとなったのである。
普通、出版社は主要な複数の取次ぎに口座をもち、新刊本を配本してもらったり、書店を通じた読者からの注文を届けられて、それを出荷、集品してもらう。
先輩社員の運転する車の隣に座り、見本本を抱えての取次ぎ回り。最初は癒度の緊張で車から降りると足が震えた。仕入係へ行き、見本本と配本リストを差し出し「見本をお持ちしました。よろしくお願いします」と教えられた通りの口上。受け取った係の人はそれをさらっと見て、「はい、わかりました。ご苦労様です」とアッサリ。それで任務終わりだった。
アッサリの秘密は配本リストにあった。一般書の場合は内容から始まって対象読者、広告宣伝の仕方など含説明し、少しでも配本部数を多くしてもらう努力が必要だったが、専門書は対象購読者層が固定しており、出版社には各取次き傘下の書店別に豊富なデータが蓄積されていて、配本リストのままでも新刊委託期間終了時の返本率が低く、たいていそのまま配本してもらえたのである。
主要取次ぎとは、まず「東日販」と一口に呼ばれる東販(東京出版販売..現トーハン)と日販(日本出版販売)の大手11社。これは今も変わらず、それぞれ全国に傘下書店の流通網を持ち、規模や分野を問わず多くの出版社が取引口座を開設している出版界のそびえ立つ二大巨人である。
三番目以下は、栗田、大阪屋、太洋社、中央社の4社が1口に並べられた。東日販に比べ文字どおり束になっても及ばない規模だが、それぞれに一定の地域·分野などに強みをもち存在感はあった。出版社の多くはこの4社にも口座があり、後述するが、本屋になってから「取次ぎは?の質問に、たいていの出版社は東日販の後にこの4社を羅列した。
このうち栗田書店は、仕入れに通う書店主との濃密な交流など多くの逸話を残す創業者・栗田確也氏による神田村の出世頭で、当時はまだ神田村にあったが、その後引っ越している。もう1社、太洋社も営業所·店売を開設していた。
神田村の中心は、神保町1丁目靖国通り南側(なぜかこっちは奇数番地) 古書店街の裏「すずらん通り」のそのまた奥にあった。村だから軒を並べても数軒、点在する取次ぎの店頭には新刊の本や雑誌、売れ行き良好書の平積みが目につき、その奥には書棚も見えにぎわいか感じられた。同じ取次ぎでも、こちらは店頭販売(店売 =てんばい)が中心で、取次ぎ店と呼ばれていた。
しかし約十年後、書店としてここに通うようになり、第二のふるさととまで思うようになろうとは……思いもかけないことだった。
ふるさとといえば、厳しくも豊かな自然の中で僕を育んでくれた飛騨の山奥、第1のふるさとは、時代の流れ、過疎から限界へ、気軽に当てはめられた形容詞の筋道をたどって、あっさり消滅してしまった。地中深く石器や土器を遺す土の上に汗水たらし、へばり付くように永く住み継がれてきたその地は荒廃に任され、今は私の感傷の奥底深く沈み込んでる。
出版営業は1年半足らず、その後就職先を転々と変え、目指す編集の仕事に就いても長続きせず、その間に幾度もの失業期間を挟んで数社を渡り歩き、その果てにたどりついたのが約十年前にかいま見た神田村だった。
そして、夢中で通い続けたこの第二のふるさとにも、飛騨山中の集落を消滅させたような時代の流れが、あるものは強引に否応なく、あるものは根匠を揺さぶるような得体のれない不気味さを漂わせて接近してきている。段階でいえば、今は過疎化の時代…か。
縁起でもない!だが、
第一波は、丸の内→大手町から残された都心・神田へと延びる都市再開発の波。すでに神田村の過半がこの荒波をかぶり、押しのけられて数軒の取次ぎ店を含む跡地に高層ビルがそびえ立つ。これを機に店主の高齢化などで営業継続を諦めた取次ぎもあるが、神田村を離れざるを得なかった取次ぎ店も、その後苦境に立たされることになる。
改めて神田村の地の利の大切さを感じさせる現象だった。そして、いつまたこの村の狭くなった地面が高い塀で囲われ、掘り返されて高層用クレーンが稼働し始めるかわからない現状にある。
次に、かつては書店網の整ったわが国出版流通との優劣比較例証とされたアメリカ発、読者直送方式の南米巨大河川名を冠する販売会社の上陸がある。高齢化·後継者難で書店の減少傾向に加え、今の日本では充実した宅配網の利用にも事欠かない。そして、すでに出版流通機構の内部、大手取次ぎとも取引をつなげる。直接的な本の流れだけでなく、購入読者へのポイント付与という、長らく出版流通を支えてきた再販制度(再販売価格維持契約)の根底を揺るがすうねりも伴っている。
最後は、大げさに表現すれば『本』自体の存続の可否。かつて事務系オフィスでペーパーレス化が唱えられたが、ITの進化は止まるところを知らない。出版段階でもすでに紙の本と電子書籍の並行発行が行われている。パピルスの時代から、文字を印(しる)し、時空を超えて心と情報を伝え続け、文化·文明を進化発達させてきた紙の役割が終わり、紙でしか作れない本も消滅の時を迎えるのか ?
経験も、金もない無鉄砲な本屋を受け入れ、通わせてくれた第二のふるさとへの感謝と東京のど真ん中の小さな村”神田村"をもっと多くの人々、中でも全国津々浦々で志を掲げて出版に勤しむ人々に知ってもらい、「取次ぎ店は?」と問われて「東日販、大阪屋栗田·中央社(羅列しても今はこの4社) の後に「神田村の00」と答えてもらえるようになり、これを聞いて、通い来る本屋さんたちが少しでも増え、神田村取次ぎ店の店頭のにぎわいが衰えず、末永く継続していってほしいという熱い願いを込めて、この一文を書きつづりたい。
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